![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109534362/rectangle_large_type_2_39cd15af2272dccb140782aa1e614187.jpeg?width=1200)
羞恥心の二分化
いま、羞恥心が問われている。
子どものころに経験して分かった偽善行為、の思い出。
自己の欲求を満たすために他人を利用するテクニック、
あなたのためにわたしがそうしてあげる、というシナリオ。
真はそうではなく、わたしの欲求が満足するまであなたを餌にしてそれを得たい。
大人になって話を合わせるための知ったかぶり、
聞いたことも見たこともない話に頷き関心を示す。
実力の伴わない己をカモフラージュするために偽装し演出する、など
恥ずかしい。
子どもへの性教育、
LGBT、
これからのタイムラインは、「差別」という視点ではなく「羞恥心」の二分化だと感じる。
Emeru
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?