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羞恥心の二分化

いま、羞恥心が問われている。

子どものころに経験して分かった偽善行為、の思い出。
自己の欲求を満たすために他人を利用するテクニック、
あなたのためにわたしがそうしてあげる、というシナリオ。

真はそうではなく、わたしの欲求が満足するまであなたを餌にしてそれを得たい。

大人になって話を合わせるための知ったかぶり、
聞いたことも見たこともない話に頷き関心を示す。

実力の伴わない己をカモフラージュするために偽装し演出する、など

恥ずかしい。

子どもへの性教育、
LGBT、

これからのタイムラインは、「差別」という視点ではなく「羞恥心」の二分化だと感じる。


Emeru



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