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ミキモト

MIKIMOTO。

パールにも宝飾品にも全く関心がない。

しかし、銀座を歩いた時にMIKIMOTOが目についた。

思わず一枚、銀座四丁目交差点から撮ったのがこの写真です。

ミキモト

もう少しひきめで撮ると、銀座のシンボルともいえる、和光の建物がみえる。

 銀座四丁目交差点から

こう見ると銀座の風景が映える。

なぜ、ミキモトに目がついたのか、それはよく旅行で訪問し、住んだこともある三重県にゆかりのある企業だから。

私にとっては、ミキモトといえば、ミキモト真珠しまのイメージです。

ミキモト真珠島では御木本幸吉さんが、真珠の養殖に三重県の地で初めて成功したことが説明されています。

鳥羽に行くと、昭和な感じのお土産店に真珠の小物や宝飾品が売られています。

時には旅行の特典で無料に近い値段で真珠を手にすることもできます。

ミキモトというのはその土産物街の延長線上にある集大成、あるいはイルカ島の観光船の経路の一つであり、鳥羽水族館と並ぶ鳥羽の王道観光地という認識でした。

ミキモト真珠島
観光三重 より引用
伊勢湾フェリーから真珠島を撮影

 さらにいうと、今も輝く企業である日清のカップヌードルミュージアムというよりは、近代遺産である、富岡製糸場のようなポジションという認識でした。
しかし、実際は東京の超一等地にドンと店を構えています。 
関西や東海地方の人達にはミキモトが東京の企業であることが意外と知られていないかもしれません。
※真珠島の運営会社はミキモトのグループ会社で三重県鳥羽市が本社です。

何度でものせます。

ミキモトの東京進出はかなりはやいです。

半円真珠の養殖に成功した1893年の6年後、1899年には銀座に店舗を構え、これが真珠や宝飾品の販売店としてのミキモト一号店です。
さらに1913年には海外進出も果たしています。

尚、同じく三重県発祥の大企業、イオン(当時の岡田屋)はこの時はまだ三重県の四日市で商売をしていました。実はイオンはある時期から東京進出を狙っていた企業です。

 東京のイオンといえば、マイバスケット
もちろん「イオン」もある。
有明ガーデンにもイオンスタイルが出店する

夢の東京進出を果たすのは戦後になってからです。

色んな企業が合併して出来ているので、東京一号店がどこかは確認できませんでしたが、東京本社設立が1976年(大阪と二本社制)で本店移転(大阪→東京)が1983年です。

現在は千葉の幕張に本社があります。

イオンの東京進出の歴史は企業の合併など色々とありました。

「大黒柱に車をつけよ」の家訓に象徴されるように本社機能を転々と移動させています。

千葉県の幕張新都心にあるイオン本社
イオンホームページより

他方、ミキモトは地元のうどん屋を業態転換して鳥羽で営業する訳でもなく、当時でも一大消費地であった大阪などを飛ばし東京を一号店とし、すぐに海外進出も果たしています。
明治期に起こった文明開化に伴う西洋化や天皇陛下を東京に住まわせることによる政治機能の中央集権化という時代背景も影響しているのかは分かりません。

ミキモト創業時の店舗
MIKIMOTOホームページより引用

しかし、三重県発祥で東京進出を果たした企業でもかなり歩んで来た道は異なります。

ただ異なるとは言えども、昔から政治の中心地となった東京が年々文化の発信地となり、どんどん人が集まって来ています。

大阪も含めたその他地方と東京の関係性は今後どうなっていくのでしょうか?

このままだと地方の過疎化は間違いなく起こると思います。10年後20年後、人が集まる東京も色んなバランスが崩れていくのではと懸念しています。

ただ、それが高齢化なのか、インフラが追い付かなくなるのかは分かりません。

世界のMIKIMOTOの今後も気になります
この先MIKIMOTOの見方が変わったり、宝飾品の価値が変化するかもしれません

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