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運をよくすることはできるのか?

またまた投稿までの期間が空いてしまいましたが、本日は「運」について考えてみたいと思います。
きょうの投稿は、リチャード・ワイズマン「運のいい人の法則」(角川文庫)という本(https://amzn.asia/d/7TyZhzz)の読書記録なのですが、今後、どのような人生を送りたいかを考えるにあたっても刺激になる部分も多くありました。

「運のいい人」と「運の悪い人」

皆さんは「自分は運がいい人」か「自分は運が悪い人」か、どちらだと考えているでしょうか。振り返ってみると、私はここ数年「運がいい方」と思うようになりました。
でも、運がいいって何だろうと思い、手元の電子辞書で調べてみると…

①人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。天命・運命。
②よいめぐりあわせ。幸運。

大辞泉

「運」には2つの意味がありますが、私が「運がいい」と感じているのは②の意味においてだとおもいます。つまり、
・ここ数年、通訳案内士や中小企業診断士試験に合格することで、今後も自分の好奇心を掻き立ててくれるような友人たちと出会うことができたこと。
・前職に飽きが来ていたところ、タイミングよく転職先が見つかり、割と自由にやれていること。
などなど、10年前は組織に唯々諾々と従っていたものが、自分が主体的に物事を立案・遂行できるようになったからこそ起きた変化を「運がいい」と捉えているのだと思います。

「天命」はある程度主観的

一方で、「運」の定義のうち①の方、すなわち、天命や運命はどうでしょうか。確かに、「公共交通機関に乗っていたときに事故にあう」とか、「通り魔に遭遇してしまう」など、どうしても避けられないものもあると思います。
でも、考え方ひとつで「運がいい」方に転換してしまうこともあるのだと、本書では教えてくれます。
身近な例で考えると…、
・交通事故にあって骨折してしまった
 →「骨折程度で済んだ」と考えるか、「事故にあったこと自体を不運」と 考えるか。
・人事異動先に超絶パワハラ上司がいた
 →「転職の契機」ととらえるか、「耐え忍ぶしかない」と考えるか。
・自分より明らかに仕事ができないA氏のほうが先に昇進した
 →「自らを奮い立たせる」か、「やる気をなくす」か。
人のとらえ方次第(=認知)で物事は変わっており、それが「運の良しあし」を分けるのではないかとこの本を読んで強く思った次第です。

雨が降ってもポジティブ、みたいな。

Serendipityを大切に

本書では、自身を「運のいい人」と考えている人、「運の悪い人」と考えている人の2グループに分けて研究を行い、興味深い結果を引きだしていますが、総じて言えるのは、人に対してオープンで、フランクで、アンテナを高くしている人のほうが「運がいい」ということです。
そして、そういう人のほうが「道端に落ちているお金を拾うことができる可能性が高い」という興味深い結果も出ています。

私が今後、ますます「運いい人」になるためにはどうすればよいか。そのキーワードだと思うのがSerendipityです。「偶然の出会いや出来事を自らの幸せに変える力」と私は解釈をしているのですが、例えば、
・飲み会や外部の研修などで一緒になった人で、「もっと話をしてみたい」と思った人は次のアポイントをとる。
・機会があればその都度で自分の夢や野望について話してみる。
・会議で発言すべきか迷うくらいなら発言する。
ほんの少しの心持の変化で、「運のいい方」に向かうことができるのではないかと思います。

「運のいい人」から「ますます運がよくなる人へ」。私も意識して日々の行動に反映させていきたいと思います。

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