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「中国」という大きい主語

自民党総裁選を経て、衆院解散総選挙へ。国政レベルの選挙でいつも話題になるのが、対中政策ですよね。日中関係や中国共産党の議論の話は専門家の方々に任せるとして、今回考えてみたいのは、日本に住む人たちの「中国」や「中国人」に対するイメージ・認識です。
私はコロナ前より地方に住む立場でインバウンド誘致に関わってきており、特に中国本土からの誘致を担当していた時期も数年間あります。中国への出張も幾度となく行き、現地での友人も多くできました。今でも親交のある、尊敬すべき友人もいます。一方で、受け入れる日本側では中国人に関する見方は人によって違いますよね。この点について深堀してみたいと思います。

最近、中華火鍋の店も増えてきましたよね!


私に刺激と影響を与えた友人の言葉

コロナ前に中国の旅行会社などとやり取りする中で、仲良くなる人も何人かでてきました。その中の1人は、今でもたまにWeChat(日本のLINEに相当するサービス)でやり取りをしたり、コロナ後に日本に遊びに来たときは食事したりと今でも楽しく接しています。
普段、その方とは7割英語、3割中国語で接しているのですが、キャリアについての一言が今でも私に刺激を与えてくれています。

「安定した仕事というのは、生涯にわたって「辞めさせられない」仕事ではなく、自分がどこにいっても通用するように磨き上げることで選び取った仕事のことだ」

私自身、この言葉を胸に、ことし1月に地方公務員から別の民間企業に転職を果たしましたが、いつまでも色あせず、常に自分を鼓舞してくれる言葉としてこれからも大事にしたいと思います。

声が大きくて、列に割り込む中国人?

インバウンドの仕事をしていて、地元の事業者や自治体の人と話していると、中国からの旅行客に対してかなりネガティブなイメージを持っている人も多い気がします。「声が大きい」「列に割り込む」「私有地に勝手に入ってくる」などなど。。。
コロナ後、インバウンドが復活し、中国からも大勢の訪日客が来ています。こうした中で、「オーバーツーリズム」の一側面としてそのような事態が発生しているのもその通りだと思います。(オーバーツーリズムの問題はメディアでも頻繁に取り上げられるようになりましたり、富士山が見えるローソン問題はかなりセンセーショナルでしたよね)。
でも、中国の若い人に聞くと、「こうした人たちと一緒の集団として見られたくない」という思いは強いのだそう。私の知っている人たちも、大声でしゃべる人って全然多くないし、列に並ぶし、交通マナー守るし、マスコミで取り上げられるようなイメージの人って少ないと思います。

重慶もいい街だった

中国の"Z世代"の実像は?

中国の若い人の実像をインタビューなどをとおして鮮明に描き出した本が、Zak Dychtwald ”Young China - How the restless generation will change their country and the world”です。

2018年発行と少し古い本であり、コロナ後の変化(その有無も含めて)はわからないのですが、かなり面白く読める本です。90年代後半、もしくは2000年以降に生まれた世代は、「デジタルネイティブ」であり、物心ついてすぐに「北京五輪」「上海万博」などの国際イベントを経験した世代。本の中ではこのように紹介されています。

「ニーズ」(=水、食料、最低限の住居など生活に必要なもの)に支配される人が少なく、「ウォンツ」特に、「自分がどうありたいか」を元に考えられる中国で最初の世代である。

Zak Dychtwald

実際、私が接していている人たちも、これまでの慣習に捕らわれずに、好きな時に好きなものを買い、好きな街に旅に出かけるというライフスタイルが身についている人もとても多い気がしてます。また、少なくとも私が行った上海や成都はその要求を満たしてくれる街だと感じます。
日本の一部の層からは、「中国の反日教育を受けたからには、敵対心を持っているに違いない」といった言説もあるようですが、私が接している限り、若い人は政治に関しては「徹底的に無関心」。お上が民衆を縛る政策をだすこともあるものの、「災害」のように捉えている節があります。上記の本でもこんなことを書いていました。

中国の若者にとってのfreedomとは、抑圧的で庶民の生活を制限する政府からの解放ということよりも、文化的慣習や「こうするべき」といった不可避的な要望からの自由であり、自分の運命を自分で決める自由である。

Zak Dychtwald

大きい主語で語ることなかれ

「声が大きく列に割り込み中国人」と「過去のしがらみからの解放を求め、自由な消費を楽しむ中国人」。どちらもこの原稿で"中国人の実態"として紹介したイメージです。
また、まだまだ生産拠点を中国においている企業も多い一方で、TikTokやSHEIN、Trip.comなど、中国発のオンラインサービスを我々は享受する側にいます。

人によってイメージが違う「中国人像」。結局は、「中国人」という国籍による括りが絶対的なカテゴリーとして君臨し、単一的なイメージをあてはめないと気が済まないことが、このような帰結を招いているのではないでしょうか。
多様性が叫ばれ、個人個人の嗜好や考えがこれだけ尊重される現代にあって、「中国人とは・・・である」(同様に、「日本人とは」「韓国人とは」「アメリカ人とは」などと語りたがる人の多いこと…)という発想自体がナンセンスなのかもしれません。
より細分化して、「海外旅行が大好きな中国の20代女性は」とか、「20代のころに農村から上海に出てきた50代の男性は」とか、より細分化して見ないと物事の本質は見えてこない気がします。少なくとも「〇〇人は」などと語っている時代ではない、というはこれからも肝に銘じていきたいと思います。(政治的な対立を煽りたい人は別ですが…。)

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