見出し画像

【歌詞解釈エッセイ】パスピエ『七色の少年』と今を生きること

 過去のことを美化してしまうことがある。これは普通のことで、人間の脳には誰しもそんなエフェクトが入っている。もちろん老若男女問わずだ。

 けれども、この世というものは残酷で、嫌でも今を見せつけられるもの。

 そんなことを考えていたときに、パスピエの『七色の少年』という歌を聴いた。

『七色の少年』は、過去を引きずっているけれど、前に進もうとしている少年の歌だと私は見ている。

ショーケースの中に 思い出を並べて見せびらかしたり
悲しい歌 歌って気を引いたりしたいよ

パスピエ『七色の少年』

 出だしの部分からしても、少年が思い出を大切にしていることがわかる。「ショーケースの中に」とあることから、その思い出は美しく輝かしいモノなのだろう。

 その次には、美しい思い出と対称的に「悲しい歌」という表現が使われている。ここでいう「悲しい歌」というのは、現在のことを言っているのだろう。比べてみると悲しくなるような、そんな悲しい境遇にあるのかもしれない。それも、人から同情を引けるくらいに。

 出だしからわかるのは、少年が子供よりも青年に近い、つまりは中高生くらいということだ。思い出という語るべき過去があるからだ。それも、今という時代を「悲しい」と思わせるくらい美化された。

さあ走り出せ 七色の少年よ
僕だけが置き去りになってる
夕立のあとの虹が半分で途切れて
ちょっと切ない気持ちで微熱に酔ってんだ

パスピエ『七色の少年』

 サビの部分では、思い出とは一転して、未来志向へと変わっていっている。ここで少年は、自分が今を生きていないことを知ってしまったのだろう。

 この後に続く「夕立のあとの」の部分は、美しい過去と訣別する覚悟を示している。だが、最後の方で「切ない気持ち」とある。このことから、踏ん切りがつけられなかったのだろう。

脚の長い影が 歩いても歩いてもまだついてくる
僕の方見て 笑っているんだ

パスピエ『七色の少年』

 二番では一番と打って変わって、ダークな感じになる。その後に、

瞼の裏側に 浮かんだり消えたり君は忙しい
懐かしいような ついこの間のことのような

パスピエ『七色の少年』

 と続く。

 捨てようとしても、その思い出が自分に付きまとってくるような感じだろうか。それも、その思い出が前へと進む自分の足を阻むように。思い出は少年の頭の中で、それを追体験させる。うれしかったこと、辛かったこと、名のしかったこと、悲しかったことを。

ずっとあれから今日まで 僕はあの日の朝で
繰り返し何度も何度も 目を覚まして

パスピエ『七色の少年』

 何度も頭の中で追体験しては、今に戻るということを繰り返す。そして、少年は、自分が今を生きていないことに改めて気づく。そして、切ないながらも、今を生きる決意を固める感じだろうか。

 またこの歌は、スピッツの『正夢』のようにSF的な解釈もできる。

 あのころに戻りたいと思った少年が、特殊な液体を飲んで、過去を追体験する。けれども、あのころも今と同じように辛い時期があったんだ、と思い、改めて今を生きる決意を固めた。そんな感じだろうか。


 いつ思い出しても、思い出はきれいだ。

 思い出せば、いつでも心はあのころに戻るし、辛いときに勇気や自信、元気をくれることもある。高校に入りたてで、ひとりぼっちに慣れていなかった私は、思い出にどれだけ勇気づけられたか。

 けれども、遅かれ早かれ、思い出とはいつかは訣別しなければいけない。たとえそれが、どんなに美しいものであっても。そうしなければ前へと進めない。

 思い出と訣別するときは、当然胸が痛い。甘美な幻を捨て、今という現実を生きるために生まれ変わるのだから。

 今という時間は、残酷で、無様で、汚くて、悲しくて、短い。そんな今だけど、しっかり歩んで行ってほしい。その軌跡がいずれ、美しい思い出へと変わってゆくのだから。

関連


この記事が参加している募集

書いた記事が面白いと思った方は、サポートお願いします!