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『トキノワ』と救い

 最近、パスピエにハマっている。

 彼らを初めて知ったのは15のとき。

 NHK教育テレビで、17時半から放送されていた『境界のRinne』というアニメを見てから。そこで1クール目のEDと2クール目のOPを歌っていた。

 ちなみに『境界のRinne』は、少年サンデーに高橋留美子が連載していた同名の漫画が原作。

 パスピエの曲の特徴としては、放課後感の強いメロディー、そして少年だったころの気持ちを振り返る内容の歌詞が多い。歌詞には「論理」などといった気難しい言葉がよく出てくるが、メロディーがそれを揉み消しているせいか、コミカルに聞こえる。スピッツのように40数曲も聞いていないので、詳しい傾向はわからないが。

『境界のRinne』第一期の1クール目のED『トキノワ』は、まさしく「放課後感の強いメロディー」だった。

 イントロの部分と、

始められないのは 終わっていないから
パスピエ『トキノワ』

 という歌詞の前にあるエレクトリックギターの音色は、特にそう感じさせる。おそらく、そう感じているのは私だけなのだろうが。

 EDに流れるこの曲を聴いているとき、私はいつも、「これで嫌な一週間が終わったんだな」と思っていた。内容が「オカルトあり笑いアリの学園コメディー」ということもあり、なおさらそう感じていた。よく『笑点』や『サザエさんの』OPを聴くと、謎の哀愁に浸ってしまうという話を聞くが、それと同じ感覚。

 ──学校通うのがそんなに苦痛だったのかい? アニメのエンディングごときで哀愁を感じるくらいに。

 そう思った人がいるかもしれない。

 正直なことを言えば、私は学校に通うことそのものが苦痛だった。

 求められることがバカにならないほど多く、毎日のように進路進路と聞かされる。

 なりたいものが何一つないのに。受験が終わったばかりなのに。もうこれからのことを考えさせられる。せめて今だけでもゆっくり生きたいのに。

 おまけに私は孤独だった。

 特に仲のいい友達はいないし、仲良くなれそうなクラスメートもいなかった。3年で縁を切った知り合いと出会うまでは。

 ──同じ中学だった子と話せばいいじゃん。

 そう思った人もいるだろう。

 だが、彼らは彼らで、すでに誰かと仲良くしていた。そのため、私の入り込む余地など、どこにもなかった。

 だから、選択肢なんて悩むまでもなく、1つしかなかった。

 ずっと一人でいること。ただそれだけ。

 一人でいるのは、正直苦痛だった。

 誰にも気にとめられることもない生活。周りの生徒からは、

「あ、またこいつまた一人でいるな」

 と思われていただろう。

 中学のときのように、誰かに振り回されて疲れることがないので、気ままに過ごせたのはよかった。だけど、どこか物悲しくて、寂しい。

 そんな気持ちを悲しい歌として歌って、誰かの気を引きたかった。だけど、

(こいつ、痛いやつだな)

 と思われそうだったので、誰にも話せなかった。

 私の本当の気持ちを打ち明けられる相手が、誰もいなかったのだ。

 そんな私にも、救いはあった。

 休みの日に、家が近い友達の家に行くときだ。

 孤独とか、学校に行くときの辛さとか、将来のこととか。いつも無理やり考えさせられる物憂いことを忘れられた。明るかったときの当時の自分に戻れた。そんな気がする。

 それに『境界のRinne』やパスピエなども、友達の間でちょっとしたトピックになっていた。

 祭りの日は早めに家の近くにある友人宅に来て、『境界のRinne』をリアルタイムで見たり、友達がパスピエの曲を入れ、それを流したりといった感じで。

 そのときに流れるOPを聞いたときは、憂鬱や哀愁といった感情は微塵も感じなかった。やはり、友達がいたからだろうか。

 今になって振り返ってみると、好きなアニメや音楽が、物理的に離れた私と友達を結んでいた。心をつなぐ、かすかな光だったのかもしれない。


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