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八幡の藪知らず前を通ってみて

 暇さえあれば、私はいろいろなところを巡っている。

 巡っている場所は、大体神社やお寺、城跡や古戦場などの史跡が大半を占めている。たまに古書店にも行っているが。

 寺社や史跡は、メジャーな観光地ではない限り、静かな場所であることが多い。鎌倉の禅寺よような例外もあるが。

 

 今までいろいろな場所を回ってきて、一番不気味に感じた場所がある。千葉県市川市にある「八幡の藪知らず」だ。

 八幡の藪知らずは、都営新宿線の終点本八幡駅から少し歩いた先にある竹やぶ。

 先ほど、不気味に感じた、と言ったように、ここはただの竹やぶではない。日本に今でも残る禁足地の一つで、中へ入ると出られなくなる、との言い伝えが残されている。

 なぜ入ってはいけないのか? これについては、倭建命の陣所だった説、平将門の近臣6人が土人形になった場所、または平貞盛が祈とうを行った場所説がある。また、葛飾八幡宮の放生池があった、あるいは隣村との共有地だったからという合理的な説まである。

 いずれにせよ、霊的な意味や史跡の保護といった観点からも、入ってはいけない場所なのは確かなようだ。


 私が八幡の藪知らずを初めて知ったのは、心霊スポットを紹介した動画をYoutubeで見たときだった。

 見た感じでは、どこにでもありそうな竹やぶ。だが、少し引っ込んだところに祠があったり、石でできた柵の中が荒れ放題だったりしたことに違和感を覚えた。

 同時に、私はこの曰く付きの場所に興味を抱くようになった。動画と実物では違って見えるだろうな、と考えたからだ。

 そしてこの前、八幡の藪知らずの前を通過した。

 八幡の藪知らずの前は、交通量の多い道路が通っており、周辺にはマンションや店などがある。

(あ、そういうことだったのか)

 八幡の藪知らずが見える歩道橋を渡っていたとき、私は違和感の正体に気がついた。

 人通りが多く、家屋や店、ビルがたくさんある場所に、この部分だけを切り残してしまったかのように、竹やぶがあったからだ。

 こういった場所は、大体曰く付きであることが多い。八幡の藪知らず以外では、平将門の首塚がそのいい例だ。

 ちなみに平将門の首塚は、江戸時代の名残を残した土塀にくくられた中にある。外側が丸の内のビル街なので、植えられた木の葉っぱが繁り、昼間でも薄暗い感じは、どこか異様に感じられる。

 そして、この2つの共通点は、「曰く付き」であるということ。

 こうした場所は、人の手が入ろうとすると、その場所を守る誰かの力が働くのか、作業に関わった人間に何かしらの災いが降りかかる。それを「偶然」という言葉で片付ければそこまでなのだが。

 だが、従業員の健康や安全、精神衛生的なことを考慮してみると、作業中立て続けに何かしらの事故が起きるのはよくない。気の弱い人であれば、作業に来たくなくなるであろう。

 曰く付きの場所というものは、これらの事情を考慮して、壊そうにも壊せないから、そのままにされている場合が多い。そして、その場所だけが、時の流れから切り取られたようになるので、見物人に異様な雰囲気を感じさせるのだ。

 私はこのことを心にとどめ、歩道橋の階段を降りた。

 八幡の藪知らずがあるところは、動画で見た印象そのままだった。

 訪れたのは真昼間だったのだが、かなり薄暗い。昼間でもこの暗さなので、真夜中となるとさぞ不気味な感じがするだろう。

 石でできた柵の中を覗いてみる。

 中には切られたと思われる竹や、捨てられたごみが散乱していた。

 真ん中には、入れる、といっても石の柵で囲われ、コンクリートで舗装された小さなスペースなのだが。

 そのスペースに入ってみると、神様を祀った小さな祠と石碑が建っている。

 藪の薄暗さも相まってか、祠は八幡の藪知らずの不気味さをより際立たせているようにも見える。

 軽くお参りを済ませたあと、私は近くにある葛飾八幡宮へと向かった。


【動画】


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