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90分ワンカット、グルメ映画の皮を被ったスリラーを味わえ - 『ボイリング・ポイント/沸騰』

自分でもあまり気付いていなかったのだが、俺はワンカット映画が好きらしい。ホラー、アクション、コメディといったジャンルを問わず、ワンカットであればそれだけで観たいと思ってしまう程度には好きだ。

いや、映画だけではない。ゲームにおいてもそうだ。オープニングからエンディングまで、カットシーンと操作パートの全てがワンカットで遊べるゲーム『God of War』(2018)は凄まじい没入感を得られる傑作で、山のような積みゲーを放置してついつい遊び直してしまう。11月に発売される続編は2022年の個人的大本命ゲームだ。

いきなり話が逸れかけてしまった。

以前、ワンカット映画『1917』について書いたとき、俺はこう述べていた。

長回しによって作られた映像には強い没入感が生まれ、カットで中断されることもないため緊張感が長続きする。優れた長回しには、観客に否応なしにしんどさを押し付ける強さがあるといえる。では、しんどさが重要なジャンルといえば?そう、戦争だ。

血と泥濘の先に - 『1917 命をかけた伝令』

このとき、俺は思い違いをしていた。戦争だけがしんどいわけではないということ、戦争だけが地獄ではないということを見落としていた。それに気付かせたのが、今回紹介する映画『ボイリング・ポイント/沸騰』だ。

※この先では、『ボイリング・ポイント』の完全なネタバレを行う。このまま読み進めても一向に構わないが、覚悟を決めることだ。

これはグルメ映画じゃない

一年で最も賑わうクリスマス前の金曜日、ロンドンの人気高級レストラン。その日、オーナーシェフのアンディ(スティーヴン・グレアム)は妻子と別居し疲れきっていた。運悪く衛生管理検査があり評価を下げられ、次々とトラブルに見舞われるアンディ。気を取り直して開店するが、予約過多でスタッフたちは一触即発状態。そんな中、アンディのライバルシェフ・アリステア(ジェイソン・フレミング)が有名なグルメ評論家サラ(ルルド・フェイバース)を連れてサプライズ来店する。さらに、脅迫まがいの取引を持ちかけてきて…。もはや心身の限界点を超えつつあるアンディは、この波乱に満ちた一日を切り抜けられるのか……。

公式サイトより

無用な勘違いを防ぐために先に述べておきたいのは、本作は『幸せのレシピ』や『深夜食堂』といった、いわゆる”グルメ映画”ではないという点だ。一流シェフによって作り上げられた高級料理がメインに映されないどころか、焦点が合うタイミングすらほとんどない。つまり、本作は徹底的に人を、そして人が作るしんどい空間を描く一種のスリラー映画である。そのしんどさの前に、美酒美食の喜びは容易に消え失せてしまうのだ。

ロクデナシだらけの高級レストラン

本作を観るとまず、このレストランはロクデナシだらけだと思うことだろう。遅刻するスタッフは何人もいるし、まるで悪びれない。遅刻した連中の穴埋めに不慣れな作業をさせられる者もあり、そのせいで調理の効率は悪化する。食材の発注もまともに出来ておらず、万全なメニューを提供できない。何時間も遅刻してやってきた挙げ句、店の裏手で売人から麻薬を買うようなイカれたスタッフまで見せられると、もはや乾いた笑いが出てしまう。いや、なんで仕事中にヘロイン買おうって思うんだ……?

レストランの心臓ともいえる厨房から、もう駄目っぽいのが伺える。そこに追い打ちをかけるのが、異常なまでの客の入りだ。アンディはオーナーシェフであるが経営のセンスはなく、このレストランを実質的に支配しているのは共同経営者の娘、ベスだ。このベスがまた腹の立つロクデナシで、儲けのためにはオーバーブッキング上等とばかりに予約を詰め込むのだ。店のインスタのフォロワーを増やすことに腐心して現場を無視し、客からの無理難題を部下に押し付けてなんとかかんとか解決することを”ホスピタリティ”と呼んで憚らないような、典型的なクソマネージャーだ。

クソマネ

それではホールスタッフはどうかというと、こいつらもなんだか好きになれない。四六時中手を動かさないとやってられないキッチンスタッフを尻目に私語ばかりだし、かといって各テーブルの状況を共有できているわけでもない。やるべき仕事をやらず、忙しく見せるためにナプキン折りをしてサボる姿には妙な生々しさがある。ちなみに、ホールスタッフの多くはアルバイトであり、レストランでの仕事は本業ではない。高級レストランの接客が、その実、薄給の非正規雇用によるものだという光景には思わずため息が出てしまう。

店が店なら、客も客だ。高いからというだけの理由で高い酒を頼んだり、絶妙な焼き加減のラムローストを生焼けだと突き返したり、メニューが小難しいからとりあえずステーキを焼いてくれと言ったり、まるでメチャクチャだ。これはつまり、”高級な店にやってきた自分は高級な客である”という勘違いが生んだ傍若無人さである。本来、敬意を払うことと金を払うことは別の事柄なのだが……残念なことに、金さえ払えば失礼が許されるという誤った認識に陥る人間は洋の東西を問わず現れてしまうらしい。

瀟洒な見かけのレストランに渦巻くロクデナシ群像劇をワンカットで見るのは、とにかくしんどい。CGや早回しを適度に使った『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』や、戦争ならではの爆発や銃撃戦で派手に演出した『1917』と異なり、『ボイリング・ポイント』は無編集・ノーCGの純粋なワンカット映画だ。カメラは派手に動き回らず、ドキュメンタリー調ともいえる地味で薄味な画が90分もの間流れ続ける。こうして、オペレーション崩壊レストランの地獄の様相はフィクションの枠を超える。しんどさが次第に、現実と地続きになっていくのだ。

9割のロクデナシと1割の善人

普通、フィクションは現実よりも誇張した形で悪を描く。これは、現実から離れることで逆に現実を浮き彫りにするという、ごく単純で伝統的な作劇方法である。この場合、悪はしばしば単一のキャラクターに集約され、正義の鉄槌を受けるべき存在として表現される。

『ボイリング・ポイント』においては、最初はベスを悪役として描いているように見える。しかし、その予想はじきに外れる。先程も述べたように、このレストランにはロクデナシが多すぎるからだ。誰か一人を責めたところで、クリスマス前の金曜に忙殺されている現状を改善することなどできない。無能マネージャーのベスとヤク中のスタッフをクビにして、インフルエンサー気取りのクソ客を店の外に放り出しても注文の嵐は止まないだろう。そして、実際のところそれさえもできない。いったい誰を、何を責めればいい?ハッキリしたことは何も分からないうちに頭は混乱し、崩壊職場の理不尽な苦痛だけが残る。恐怖すら感じるリアルさだ。

地獄ミーティング

主人公のアンディとて、ロクデナシどもの蛮行に頭を悩ませる罪なきシェフというわけではない。見ていると段々分かってくるのだが、この男、シェフのくせに大して料理をしていないのだ。スタッフへの指示や上客への対応、さらに別居中の家族からの電話にてんてこまいで、完全にキャパオーバーしている。あっちこっち忙しく動き回ってはいるものの、本来の仕事はこなせていない男。それがアンディなのだ。

アンディはめちゃくちゃファッキンと言う

劇中、アンディは運動部が使うようなボトルでしきりに何かを飲んでいる。

俺はてっきり、仕事があまりに忙しいのでアンディは作業をしながら水分補給をしているのだと思っていた。しかし、終盤で険悪になったスタッフがアンディに”酒浸り野郎”と罵声を浴びせたところで、やっと理解した。こいつ、ずっと飲みながら仕事してやがる!根っからの下戸である俺には想像もつかない、えげつない労働倫理の崩壊を見せつけられてしまった。

このあとヤクもキメる

……もっとも悲しく、辛く、しんどいのは、これらロクデナシの影に、本当の被害者が存在していることだ。すぐにいなくなるアンディの代わりに厨房を仕切るシェフのカーリーや、スイーツ担当のおばちゃんや、ヤク中が遅刻したせいで一人で洗い物を担当することになった妊婦のスタッフ。実際に料理を作り、部下を励まし、後片付けをする彼女らが、ロクデナシ連中の尻拭いをさせられている。あらゆるネジが外れたこの空間がギリギリでレストランの体を成しているのは、他でもなく彼女らのおかげだ。けれど、誰もそのことに気付いていない。

強くたくましく哀れな女、カーリー

そう、誰一人として、彼女らに十分なリスペクトを払うことさえしないのだ。カスマネージャーのベスが、以前から相談されていたはずのカーリーの昇給のことすら忘れ去ってしまっていたのには、観ていてかなり本気の怒りが湧いてしまった。

カスマネ

かように地獄とは、9割のロクデナシと1割の良識ある被害者でできている。その地獄とは、あるときはレストランであり、あるときは我々の職場であり、またあるときは、我々の社会そのもの・・・・なのだ。

そして、この崩壊レストランの地獄はさらなる地獄を呼ぶ。そのタイトルの通り、”沸点”に向けて、90分かけてじわりじわりと進んでいくのだ。終わりはあっけなく、静かで、しかしどうしようもなく訪れる。目先の利益を追いかけ、忙しさに追い回される限り、いずれそれは必ずやってくるのだろう。

Abyssus abyssum invocat.

繰り返すが、本作はグルメ映画などではない。ある局所的な空間における地獄、崩壊、終焉を90分ワンカットでしんどさたっぷりに映し出す、上質なスリラー映画なのだ。

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