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フィンブルの冬に備えて - 『ゴッド・オブ・ウォー』

一週間ほど前に『ゼノブレイド3』をクリアしてから、なんだか調子がおかしい。

幼少からの長い付き合いである不眠症がいっそう酷くなった。眠れなくなると、精神状態が悪化する。精神状態が悪化すると、眠れなくなる。悪いループだ。こうなると、新しいコンテンツに触れようという気力も減退する。それで無理をして、積んでいたゲームを遊んだりウォッチリストに入れていた映画を観ても、思うように楽しめない。

まるで、脳神経が風邪を引いたようだ。

秋口という季節がそもそもよくない。急かされるような気分になって鬱陶しい。しかも、俺はひどく不養生だ。眠れない深夜2時にいきなりオムレツを作って食べたりしている。そこに『ゼノブレイド3』で大変不愉快な思いをしたのだから、それは調子が狂うというものだ。

狂ってしまったのならば、調律せねばならない。比類ない名作を遊び、ゲームとはかくあるべしという気持ちを取り戻すのだ。

こういうとき、俺が決まって手に取るのは『ゴッド・オブ・ウォー』だ。

ワンプレイ・ワンカット

『ゴッド・オブ・ウォー』はPS2から長く続くシリーズだ。3作目までは筋肉入れ墨ハゲダルマの主人公クレイトスが怒りのままにギリシャ神話の傲慢な神々を殺していくゲームで、ザ・洋ゲーとでもいうべき振り切った暴力描写が人気だった。この記事で書くのは2018年にPS4向けに発売された『ゴッド・オブ・ウォー』で、これはナンバリングを外し、正統続編であると同時に世界観を一新したリブート作品になっている。

数多の神々を殺した男、クレイトス。彼はギリシャ神話の世界から北欧神話の世界へと流れ着き、そこで家族を作り暮らしていた。彼の妻、ラウフェイの葬式から物語は始まる。
妻は『私の遺灰をこの世で一番高い山の頂から撒いてほしい』との遺言を残した。一人息子のアトレウスと共に、クレイトスは九界を巡る弔いの旅へと出る。

本作のもっともユニークな点を挙げるとしたら、全編がワンカット、つまりカメラの切り替わりが存在しないことだ。メニュー画面を除いて、プレイのすべてを一つのカメラが追いかけることになる。プレイの没入感を高めるために操作パートとムービーパートをシームレスに繋げる試みはゲーム史上長らく続いてきたが、『ゴッド・オブ・ウォー』はそれを究極の形で実現した一例といえる。

……こうやってぐだぐだと言葉で説明するよりは、以下のクリップを見てもらうほうが手っ取り早いだろう。

張り詰めた緊張、そしてドラゴンボールのような躍動。それを映し続ける一つのカメラ。何度見ても最高だ。断っておくと、この青い入れ墨の男、バルドルとの戦闘は最序盤のボス戦である。今後これと同レベルの凄まじいカメラワークがずっと続くことになるといえば、本作のヤバさが分かるだろうか。

上のクリップを見ても分かるが、『ゴッド・オブ・ウォー』のグラフィックは発売から4年経った今も全く見劣りしない。高精細で、鮮やか。とてつもなく滑らかなモーションがキャラに魂を吹き込んでいる。PS5で遊ぶと4K60fpsが実現でき、超AAA級の贅沢な映像体験を味わえるのも嬉しいポイントだ。

『ブッ殺す』と心の中で思ったなら

シリーズの恒例として、ボス戦をクリアするとクレイトスはそのボスを惨たらしく処刑フェイタリティする。子育てには全く向いていないクレイトスだが殺しに関しては天才的で、いつも創造性に溢れたフェイタリティを見せてくれる。あまりにも暴力的すぎて、思わず笑ってしまうほどだ。

バトル中はやられたい放題なのに戦闘後のムービーになった途端にイキり出すボスなど、本作には存在しない。巨大なドラゴンから強欲な神々に至るまで、イキったが最後あらゆる敵がクレイトスのクリエイティビティの犠牲になり、等しく殺されるからだ。

そう、大事なのは、プレイヤーがブッ殺したと確信した敵が、実際にブッ殺されることだ。

プレイヤーの殺意とクレイトスの殺意がシンクロする。そこには深い没入感が生まれ、物語の強度が上がる。『ゼノブレイド3』でボスに与える100万ダメージなど薄っぺらい虚仮威しフェイクだが、クレイトスが首を刎ねればトロールだろうが神だろうが死ぬ。そこにこそフィクションのリアリティは生まれ、だからこそ俺はこのゲームを何度遊んでも楽しめる。

クレイトスは、立ちはだかるものすべてフェイタリティする。すると必然的に、殺されない者の異常性が高まる。先程名前を挙げたバルドルはまさにその特異な不可殺の存在で、殴っても大岩に押し潰しても首を折っても死なない。なんとか退けたと思えば復活し、行く先々でクレイトスと衝突する。すべてを殺す者クレイトスと、誰にも殺せない者バルドル。二人の因縁が本作のカギとなることが直感的に理解できる関係性だ。

染み入る物語、彩る人々

本作までの『ゴッド・オブ・ウォー』シリーズは、バカゲーに片足を突っ込んでいるようなところがあった。イキった神々がクレイトスにボコボコにされるのを面白おかしく見る暴力コメディという風合いが強かった。見下ろし型クォータビューのアクションゲームということもあり、かなりアーケードライクな楽しみ方をされていたともいえる。

だが、4作目にして雰囲気は大きく変化した。『デビルメイクライ』寄りだったアクションは爽快さをそのままに『ダークソウル』寄りになり、操作中のカメラは肩越し視点へと変更された。それはとりもなおさず、プレイヤーが操作するクレイトスを等身大の人間としてつぶさに描こうとする試みだ。荒ぶる戦神を映すだけならば、これまでのスタイルが踏襲されていただろう。

『ゴッド・オブ・ウォー』は9つの世界を巡る壮大な冒険だ。それと同時に、家族愛の美しさと哀しさに主題を置いた、極めてパーソナルな物語でもある。

神殺しにして親殺し、付け加えると家族殺しでもあるクレイトスは北欧神話の世界に来てずいぶんと老け込んでしまった。自らの過去の負い目からか、クレイトスは息子に対してもよそよそしく、その教育方針は極めてスパルタだ──かつてはスパルタの戦士だったのだから、当然といえば当然だが。

最初、クレイトスはアトレウスを旅に同行させまいとした。アトレウスは長い間病弱だったし、狩りもまともにできないくらいに戦士として未熟だったからだ。そしてクレイトスが最も恐れているのは、息子が自分と同じような暴力衝動に飲み込まれ、血塗られた神殺しの道を歩むのではないかということである。オイディプス王のように、そして自分のように、忌まわしい親殺しの運命に縛られるのではないかという恐れである。

一方のアトレウスはといえば、やはりまだまだ腕っぷしの足りない子供だ。己の強さを父に証明したいが、ほとんどの場合は一蹴される。あまりにも強大な父の存在が彼には誇らしく、同時にコンプレックスでもある。まだ甲高い声で屁理屈を捏ねて父に口答えする姿はなんともいじらしい。単純な力こそ足りていないが、アトレウスには母から受け継いだ数々の知識と優しさがある。ルーンを読み、他者と打ち解け、好奇心いっぱいに世界を歩く。どれも、暴力に明け暮れてきたクレイトスには不可能な芸当だ。

バルドルの襲撃により、息子を連れて行かざるを得なくなるクレイトス。遺言を果たす旅を通じて親子は互いに欠けているものを補い合い、溝を埋め、絆を紡いでいく。クレイトスの息子に対する評価も変わっていく。アトレウスの戦いぶりに「気を抜くな」「詰めが甘い」と繰り返し小言を述べていたのが、彼が成長するに連れて「悪くない」「よくやった」へと変化する。俺はどうもこういう描写に弱く、何度遊んでもしみじみしてしまう。

フルドラ兄弟

そんな二人が旅で出会うのが、フルドラ兄弟と呼ばれる二人の小人族ドワーフだ。口汚く粗野なブロックと、慇懃無礼で潔癖症のシンドリ。彼らは、かつてラウフェイのために氷を司る魔斧"リヴァイアサン"を鍛えあげた鍛冶屋である。二人揃えば並ぶもののない腕利きだったが、トールの武器"ミョルニル"を巡って仲違いし、今は離れ離れで鍛冶をしている。無理もない。見るからに彼らは凸凹コンビで、前までうまくやっていけたのが不思議なくらいに正反対な性格をしているのだから。

クレイトスとアトレウスは親子の確執とその融和を描いているが、ブロックとシンドリが描くのは兄弟におけるそれだ。作中でフルドラ兄弟が二人揃って登場することはほとんどなく、プレイヤーは一方通行な愚痴をしばしば聞かされることになる。ほとんど非難めいたドワーフの愚痴は、しかし、同時に人間臭い懐かしさと親しみのこもったものである。

クレイトスとアトレウス、ブロックとシンドリを通じて、プレイヤーは自身の家族や友人のことを思い浮かべずにはいられない。

『ゴッド・オブ・ウォー』は北欧神話を舞台とし、山を崩したり神殿をひっくり返すような──これは比喩ではなく事実だ──ブッ飛んだスペクタクルが巻き起こる。それらは神話らしく現実離れしている一方で、登場人物たちの心情や行動原理、関係性には今を生きる我々自身に通じる普遍性がある。ゆえに、プレイヤーはこのゲームを通じて個人的な感情を揺さぶられ、共感を呼び起こされる。これは神を殺し、人を語るゲームなのだ。

フィンブルの冬が来る

俺は今回、自分の調子を整えるためだけに『ゴッド・オブ・ウォー』を遊び直したわけではない。来る11月9日に発売される続編『ゴッド・オブ・ウォー:ラグナロク』の予習をするためだ。

前作で母の弔いを果たし、物語は一件落着した……わけではない。北欧神話の神々と衝突したことで、因縁が生まれてしまったからだ。アトレウスの血筋の秘密なども含め、問題は残っている。その上、この世界には定められし終末、神々の運命ラグナロクが迫っている。戦乱と荒廃が蔓延る厳しい時代、フィンブルの冬が訪れたのだ。平和な隠遁生活は望めない。

前作では可愛らしさが勝っていたアトレウスは変声期を迎えて一回りたくましくなったが、クレイトスは相変わらずむっつりとしかめっ面だ。前作で互いの溝を埋めたのに、親子関係は再びすれ違っているらしい。かつて父からの愛と承認を求めたアトレウスが、いまや将軍としてのクレイトスを求めているのは印象的だ。

北欧神話の世界観は独特だ。ラグナロクも含めて時間軸が一種のループ状態にあり、未来は既に決定づけられているとされる。クレイトスとアトレウスは終末の運命に立ち向かい、新たな道を切り拓くことができるのか。

神話への挑戦が始まる。


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