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【翻訳記事】商品に金を払ってもユーザーは商品にされたまま(前編)

イーロン・マスクがTwitterのサーバー代をケチったのを皮切りに、ただでさえ悪かったサービスの質が下り坂を転がるようにドン底まで落ちた。プラットフォームの腐敗は長い時間をかけて進行するが、いざ崩壊するとなればあっけないものだ。

いまのTwitterにはAPI制限なるものが課されていて、ユーザーは一日に見られるツイートに上限が設けられている。APIを使い切ってしまえば、翌日の"配給"を待たねばならない。まるでインターネット戦時下だ。その一方で、Twitter Blueというダサいネーミングのサービスに課金するとAPIの利用上限が引き上げられる。それと呼応するように、とても取り回しのよかった無料アプリであるTweetDeckも有料化される運びとなった。優良サービスを有料化ってか。やかましいわ。

ちなみにTweetDeckはもともとサードパーティ製のアプリであり、買収されたことで公式アプリへと変わったという経緯を持つ。Twitter社が自前でサービスをロクに改善できないことを示す生き証人のような存在だ。そしていま、改善とは完全に真逆の出来事が進行している。

プラットフォーマーがサービスを改悪し、よりマシな道への通行料を徴収するという、お手本のようなメタクソ化。Pay to WinならずPay to Tweetという、出来の悪い三文ディストピアSFのような世界が実現してしまったわけだ。

この史上最悪レベルのメタクソ化を目の当たりにして、『もし商品プロダクトに金を払わないなら、お前が商品だ』という言葉を思い出した。これはサービスとユーザーと金に関する有名な言葉で、無料で使えるサービスはすべからくビッグデータなどの形でユーザーを金に変えているというような意味だ。

この言葉についてコリイ・ドクトロウがかつて書いていたので、以下に翻訳する。長いので前後編で。


『商品に金を払わないなら、お前が商品だ』という考えには、どこか奇妙な安心感がある。これはすなわち、『商品に金を払えるなら、自分が商品にされることはない』という推論に基づく安心感だ。だが、そんなのデタラメだ。企業がユーザーを商品にしないのはユーザーが金を出さないからだし、企業がユーザーを商品にするのは我々が企業を止められないからだ。

『プロダクトに金を払わないなら……』の裏にある理屈とは、『重要なのはインセンティブである』という古い経済学者的な視点だ。つまり、興味関心アテンションを金に変える企業は、ユーザーを覗き見し操ることにインセンティブを持つ。その一方で、ユーザーが金を出すなら企業はユーザーをただ幸福にしようとするという考えだ。

この考えは権力ではなく経済学に基づいた企業活動の理屈である。それが実際の出来事とどのように対応しているか現実世界と照らし合わせて理解しようともしない、理屈と教条の産物である。現実はずっと醜いのだ。

Appleは自社のプライバシー重視のシステムデザインをほめたたえる看板やビラやネット広告(たとえば、"プライバシー、これがiPhone"といったもの)で地球を覆いつくしている。また、このようなこともあった──2020年、Appleは第三者によるiOSの監視機能をとても簡単にオフにできるように決めた。すると、96%のユーザーが監視機能をオフにしたのだ。

この決定により、Facebookはたった一年で1000億ドルもの金を失うことになった。損失はとどまることを知らない。Appleのプライバシーウォッシングは反競争的策略であるとFacebookは責め立てた。ユーザーのプライバシーなどAppleにとってはどうでもよく、ただ自社の広告ブロック機能の競合他社を排除したかっただけだと主張したのだ。

このキャンペーンはFacebookこそがユーザーに君臨する真の王者であると気取ってみせるものであり、Appleはペテン師だと非難するものだ。これはお笑いだ。Facebookは明らかにユーザーを見下しており、大小何千通りものやり方で毎日のようにその事実を証明してみせている。Appleのプライバシー保護ツールについてFacebookが不満を持つ本当の理由は、それがFacebookの稼ぎを1000億ドルも減らしたからだ。当然のことである。

しかし、だからといってFacebookがAppleのシニシズムを非難するのが間違っているというわけではない。Appleはユーザーに対して絶大な支配力を及ぼしているのだから。それは"直接的"な支配である。Appleは、ユーザーが選んだソフトウェアのインストールや非公式の修理サービスの利用を禁じている。これらの行為を技術的に困難にするためにAppleは何百万ドルもの金を開発につぎ込んだり、修理する権利に関する法律が話題になったらそれをただちに封殺するための大企業連合を率いたりしているのだ。

Facebookに対して寄せられた批判のいくつかは、Apple同様の支配を、よりいっそう陰湿なやり方でFacebookも行っているという非難だった。曰く、機械学習を組み合わせた貪欲なユーザー監視により、Facebookはユーザーの心をコントロールし、自由意志を奪い、Facebookの指示通りになんでも行うアルゴリズム制御のゾンビへとユーザーを変えてしまえるようになったのだと。

メスメル(訳注:動物磁気説を唱えた18世紀ドイツの医師・疑似科学者)からMKウルトラ計画(訳注:CIAがかつて行っていた洗脳に関する研究で人体実験も行われた)に至るまで、これまで提起されたマインドコントロールが実際はデタラメだったことを踏まえると、これはぶっ飛んだ主張だ。(とはいえ)Facebookがマインドコントロールを行っているというこの手の主張の最大の根拠は、Facebook自身の宣伝材料にある。その中で、Facebookは自社のマインドコントロール機能をもとに、ぜひ自社に金を落とすべきであると広告主に請け合っているのだ。

Facebook批判をする者がこうした主張を繰り返すと、彼らは"批判宣伝"に陥る。これはリー・ヴィンゼルによる便利な造語で、批判そのものが対象のプロパガンダを強化してしまうことを指す。Facebookが悪しき天才イヴィルジーニアス(訳注:他者へ強い悪影響を与える人間を指すイディオム)というなら、まあ、少なくとも、彼らは天才ジーニアスではあるのだと。

一部のFacebookユーザーは自身が目の当たりにする広告宣伝を疑うことなく信じ込んでいるが、だからといって彼らを自己欺瞞に浸らせていいというわけではない。ユーザーを支配しようとしている点や、ユーザーの利益を犠牲にして自社の利益に与するためにこの支配を利用しているという点において、Facebookを非難することは可能だ。

ユーザーを支配するために欺瞞と強制を用いる。これこそ、巨大テック企業の真の罪だ。こうした支配を手にする会社が、罪を免れて支配力を利用するであろうことは確実に予想できる。こうした企業は人類を食らいつくさんとするペーパークリップマキシマイザー的な人工生命体であり、道徳的な人物にはならない。

訳注:ペーパークリップマキシマイザーとは、哲学者のニック・ボストロムによって提唱された『人工知能にペーパークリップを最大効率で作らせるとどうなるか?』という思考実験である。ボストロムによると、AIはペーパークリップのために人類を全滅させる。人類はペーパークリップ生産の邪魔であり、かつ人体に含まれる炭素がペーパークリップ生産にうってつけだからだ。

Appleによるプライバシー保護の取り組みは有益であるという理解がもっとも一般的だ。ユーザーのプライベート保護が顧客のビジネスにとって魅力的であるとAppleは考えており、それは間違っていない。私だってプライバシーは欲しいのだから!だが、プライバシー保護を訴えて利益を増やすかたわらで、Appleが嘘をついて得る利益はもっと増えているかもしれない。

これが連中のやり方だ。今月初め、Myskという小規模なセキュリティ調査企業がある動画を公開した。それは、iPhoneの『端末の分析情報をすべて共有しない』ことを確約する機能にチェックを入れても、iPhoneはユーザーの情報を抜き取り続け、Appleに収集データを送るという事実を明らかにする動画だった。

何をタップしたのか、どんなアプリを検索したのか、どんな広告を見たのか、任意のアプリをどれだけの時間使用し、どのようにしてそのアプリを見つけ出したのか。iPhoneが収集するデータは異常なほどに細分化されている。

(後編へつづく)


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