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【脚本の授業】「最も個人的な物語こそ、最もオリジナルである」というはなし

私がアメリカの大学で脚本の授業を取っていた、前学期のことです。

授業の終わりに、教授が言いました。
「来週、それぞれ自分の宝物を持って来て欲しい。その宝物を不透明の袋に入れて、自分の名前の書いた紙切れも一緒に入れて教卓に置いてね。」

なぜ教授がそんなことを言ったのかよくわからないまま、次の週には生徒みんな、言われた通りに宝物を持ってきました。それぞれが持ってきたアイテムは指輪や絵、本、ボールなど様々です。最初は袋に包まれているので、どれが誰のものかはわかりません。

そしたら先生が「今からゲームをする」と言います。ゲームのルールは、どの宝物が誰のものかを当てるというシンプルなもの。

まず、クラスメートのうち3人が教室の前に並んで座ります。

その3人のうちの誰か1人の宝物を、教授が全員に見せます。そして、その宝物を3人に渡します。3人は端から1人ずつ順番に、なぜこのアイテムが自分の宝物なのかを説明します。

1人だけが本当のことを語り、残りの2人は作り話をするため、みんなで誰が本当の持ち主なのかを見極めなければなりません。

1回目〜2回目はクラス中、誰が本当の持ち主かすぐに見極めて正解していたのですが、3〜4回目からは曲者が現れます。

教授が出してきたアイテムは小さな子供用のゲーム機。そして3人がそれぞれ、なぜこのゲーム機が自分の宝物なのか説明し始めます。

生徒A: 「子供の頃、幼馴染のレイチェルがくれたものだ。2人でよく一緒にこれで遊んでいた。彼女はもう引っ越してしまったので今は会えないが、これを見ると彼女のことを思い出す。」

生徒B: 「親からもらった。家で1人で過ごすことが多かったので、よくこれで遊んでいた。」

生徒C: 「私がアメリカに来たのは3年前。それまではブラジルで育った。子供の頃、私は家族とよく旅をしながら暮らしていた。旅をしょっちゅうしていると、友達に会えない期間が長く、寂しかった。寂しさを紛らわせるために、このゲーム機でいつも遊んでいた。」

クラス中、ほぼ満場一致で生徒Cがこのゲーム機の本当の持ち主だと推測しました。

教授が「じゃあ、このゲーム機の持ち主は手を上げて」と言うと、なんと生徒Bが手を上げました。

クラス中びっくり。Cには完全に騙されました。

なぜCの話をみんな信じたのか、ここでディスカッションします。そこでわかってきたのは、Cの話の持つ具体性が鍵だということです。「ブラジルで育った」、「3年前にアメリカに来た」、「いつも旅をしていた」などの具体的な言葉が、彼女の作り話に説得力を持たせていたのです。

そこで、教授がCに聞きます。

教授「ゲーム機で遊んでいたというのは嘘でも、ブラジルにいたというのは本当ですか?」
生徒C「本当です。よく旅をしていたのも嘘じゃない。」
教授「そうだと思った。じゃあ、作り話に説得力を持たせるのに必要なもの(コツ)って何?」
生徒C「少しの真実。(A little bit of truth.)」
教授「そう。その通り。」

生徒CがA little bit of truthと言ったその瞬間、私の頭の中で色々とシナプスが繋がったのを覚えています。

たとえ作り話でも、自分の本当の体験を元にした要素を少し加えるだけで一気に説得力が増す、ということを教授は私たちに伝えたかったのです。

ポンジュノ監督がアカデミー賞を受賞した際も、マーティンスコセッシ監督の言葉を引用して"The most personal is the most creative (最もパーソナルなものこそ、最もクリエイティブだ)"と言いました。「パーソナルなものを作れ」とは、まさに映画専攻の教授たちがみんな口を揃えて言うことです。

それはやはり、個人的な体験や気持ちを元にした作品は、絶対にその人にしか作れないものだからです。

個人的な体験や感情を元にした作品ほど、リアリティやオリジナリティが溢れるものはありません。たとえフィクション作品であっても、パーソナルな要素を含んだものにはリアリティが生まれます。そのため、自分の個人的な体験を参考にすることは物語を書く上で大きな強みになる、と言うのです。

ウェイターとしてバイトをしたことがある人は、ウェイターとして働いたことがない人よりも圧倒的にウェイター役を上手く描けるでしょうし、ファッション業界で働いたことがある人はその経験がない人よりも圧倒的に上手くファッション業界の物語を書けるでしょう。(「プラダを着た悪魔」とか、まさにその例ですよね)

私はそれまで、物語を書く宿題を与えられても何を書いて良いのか全くわかりませんでした。しかし、「パーソナルな感情を元にして書いてごらん」とアドバイスをもらってから、少しずつですがアイデアが湧いてきたのを覚えています。

「私にしかわからない体験/感情、私にしか書けないものってなんだろう?」と考え始めたのです。そこから、私は踊りの経験があるので「引退間近のダンサー」に関する短編を書き始めたり、絵が好きなので「締め切りに追われるイラストレーター」の物語を書いたりもしました。

春学期の締めくくりとしての期末課題では、高校時代の体験を元に、地震直後の出来事をテーマに約15ページの脚本を書きました。

アメリカに住んでいると、クラスメートがこれまでに経験してきた困難の例としてはよく薬物などが挙げられるため、彼らの書く脚本は大きな割合で薬物依存に関するものだったりします。アメリカで育っていない私が彼らの素晴らしい脚本を読むと、ふと「自分には絶対にこんなもの書けない」と思ってしまうのですが、自分はアメリカ人クラスメートとは全く違う環境で育ったからこそ、私にも私にしか書けない物語があるはずだ、と信じることができるようになりました。

私は、アメリカで外国人として生活しているからこそアメリカ人より無知な部分もあるし、同時にアメリカ人が持たない視点も持っています。自分の個人的な体験こそ、自分の書く物語のユニークさを形成するものです。

私は個人的に脚本を書くのが全く得意ではないのですが、自分の本当の気持ちや体験を元にして、「少しの真実=A little bit of truth」を盛り込みながら自分にしか作れないものは何なのか、今後も模索していきたいなと思っています。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

それではまた!

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