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丸10年講師を続けてこられた訳

国語を教えて丸10年が経ちました。
とても楽しい。天職だと感じます。
ありがたいことに、生徒さんが途絶えたことはありません。
自分が心掛けているあれやこれやのおかげでしょうか。
講師としてのモットーを、ここで一度まとめてみようと思います。

「圧」にならない
勉強は多かれ少なかれ負担のかかるものです。その上、講師が威圧感のあるタイプだったら、これはきついでしょう。(追い詰められた方が頑張れる人もいますから、このタイプの講師を否定するものではありません)私は必要なことを教えることに徹し、それ以外は透明であるよう努めています。フワッとした軽い存在でありたいのです。講師が疎ましいから国語も嫌いになった…それだけは絶対避けたいです。

否定しない
いろんな考えがあります。昨日まで正解とされていたことが、突然揺らぐこともあります。生徒さんの言動を、私はまず受け止めるように心がけています。(もちろん、何かを壊しかねないような危険な行為は止めます)その後、ベターな考え方を一緒に探すようにしています。

思い込まない
歳を重ねてつくづく感じるのは、思い込みは危険ということです。そこそこ豊富な人生経験があるので、それをもとに判断するのは簡単なのですが、世の中の変化のスピードは速まるばかり。経験の乏しい生徒さんはその渦中の真っ只中にいるのです。もがきながら出してくれた誤答に、講師が高みからアドバイスしても心に届かないような気がします。私も一緒に渦に飲まれて、なるほど、こう考えたから間違えたんだねと、頷き合えるよう励んでいます。

「圧にならない」や「思い込まない」は、私のnote方針と重なるところも多いです。当noteは半年休んだり、古文中心のはずが短歌日記になったりと、いろいろブレていますが、一つだけ変えていないこと…それは、私の言葉で読むひとに少しでも和んでいただきたいという想いです。テレビやネットやリアルの場で酷い言葉にふれるたび、胸が痛くなっていた私は、言葉と共に笑顔になりたい、なってほしいと願ったのでした。

言葉に生かされている自分。恩返しの気持ちも込めて、これからもnoteに和みの言葉を綴っていけたら…と考えています。

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