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役に立たない古文を学んで何になる?

「古文教えて楽しいですか?」と先日、
知り合いの大学生の女性に聞かれました。
英語の講師をやっている人です。
「楽しいよ」と私が答えると、
「でも、古文って
役に立たないじゃないですか?」
と彼女は重ねて尋ねました。

私の知る範囲では
彼女は真っ直ぐな人なので疑問をそのまま
言葉にしただけのことでしょう。
こういう忖度のない質問は
ありがたいものです。
古文講師という
自分がまとっている職業の意義を
捉え直すことができるからです。

「まあ、直接役には立たないかな」
そう言った後、
私は古文の効用を考えました。

私立文系の受験生は、その大半が
早慶上智GMARCHに行きたがります。
国語の代わりに小論文が必要な慶大や、
青学の国際政治経済などを除けば、
おおむね入試に
古文が課されてしまいます。

今時、なぜ、
役に立ちそうもない教科を解かせるのか?

私は古文を出題する大学の立場から
推測してみました。
ここから先は私個人の感想です。

直接役に立たないものを学ぶ。
これはある意味、贅沢なことです。

すべてが合理的でなければ
気がすまない人は、そんなものに
手間暇かけてはいられないでしょう。

理屈では割り切れないところもあるけれど
「やれ」というなら、やってみようか…。

私の経験では、
受験のために古文に取り組む人は、
だいたいこのパターンです。
そして、演習しているうちに、
おもしろさを感じ始める人が
少なくないのです。
つまり、

古文が得意になる人≒勉強好きな人

人気の高い早上GMARCH。
私がそこで入試業務に関われるなら、
「勉強好きな人をとりたい」
と切に願うことでしょう。
「役に立たないから」と、
簡単に切り捨ててしまう人よりもね。

もちろん、
それが古文でなければいけない
ということではありません。
「経済学部志望だから
英語・現代文・数学で受けます」
というのもありでしょう。

古文は主語は省略するし、
肝心なことは言わないし、
和歌は技法だらけだしという面倒な教科。
他人の気持ちを察することができないと
大意すら理解できません。

正しく読めたら、

何百年も息づいてきた和歌や日記や物語

ですから、
さまざまな知恵が得られるのです。

そう考えると、
国語であえて古文を必須にするのは

古文で高得点を取れる人は、
教養にしかならないかもしれないことに
一生懸命になれる意欲的な人

そう認識しても良さそうです。

知ることに前向きな若者に来てほしい

そんな心づもりで
入試国語から古文を除外しないのは、
妥当なことだと言えるでしょう。


平安貴族サバイバル 木村 朗子著 笠間書院



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