BLM (1) 黒人迫害の歴史

 白人警官によるジョージ・フロイド殺害で、またもや暗い影が米国に拡がっています。世界的なコロナ禍によるストレスもあって、各国で内乱が発生しています。コロナによる死者と、市民と警官による戦闘で多数の犠牲者が出ており、過去に類をみない治安悪化を生んでいます。白人警官による黒人への暴行は枚挙に暇がないほど多く、とんでもない人権侵害が実行されていますが、歴史を遡ると深い闇があります。

 現在も多くの国で人権侵害は起きてますが、黒人に対する白人の差別は米国独自の事情があり、原点は南北戦争です。
 黒人奴隷開放は南北戦争の北軍勝利によってもたらされました。南北戦争が起きるまで長きにわたる闘いがあり、それはフランスのユグノー戦争(宗教戦争)にまで遡れます。
 また、基本的人権の獲得まで、フランスとアメリカでそれぞれ発生した闘争が相互に影響を与えてきた事実は無視できません。

 出典はWikipediaのほか、大デュマ「三銃士」「王妃マルゴ」、アン・ゴロン「アンジェリク」、ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」、ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」を文献として大いに参照しました。
また、「若草物語」「風と共に去りぬ」から学んだことも多数あります。
参考映像はYouTubeから見つけたものですが、なるべくストレートニュースの報道動画を選びました。

<フランス>
ユグノー戦争 1562年 - 1598年
カトリック 対 プロテスタント(ユグノー)
「アンリ4世のカトリックへの改宗・ナントの勅令発布」

フロンドの乱 1648年 - 1653年
中央政府(王室) 対 貴族・民衆 
「絶対王政の確立」

フランス革命 1789年5月5日 – 1799年11月9日 
国王軍 対 市民 
「共和政の成立」

フランス共和国憲法制定 1789年
「自由・平等・友愛」

<アメリカ>
アメリカ独立戦争 1775年-1783年
「イギリスからの独立」

アメリカ合衆国憲法 1787年
「人民主権と権力分立(13州の成立)」

南北戦争 1861年から1865年
北軍(アメリカ合衆国)対 南軍(アメリカ連合国)

エイブラハム・リンカーン「奴隷解放宣言」
1862年9月、南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じた宣言
・奴隷制の廃止
・アメリカ合衆国の領土保全の成功
・アメリカ連合国の消滅
・レコンストラクションの開始

 何と言ってもフランスのユグノー戦争が40年近く続いたことが驚異で、プロテスタントに信教の自由が認められるまで長い年月を要しました。
 例えば当時20歳だった新教徒は、60歳まで闘い続けたことになます。
今でも西フランスあたりに行けば、顔が削り取られた聖者像が多く見られます。偶像崇拝を認めない新教徒による偶像破壊(イコノクラスム)が根底にあります。
 アンリ4世がカトリックへ改宗して玉座に就き、ナントの勅令発布でユグノー戦争は終結しました。
 アンリ4世の子、ルイ13世にその路線は引き継がれたものの、ナントの勅令はルイ14世によって撤回され、多くのプロテスタントが北米に亡命しました。

 同じ頃、イギリスの清教徒(ピューリタン)がメイフラワー号で北米に逃げ、合衆国はプロテスタントに実効支配されました。
 これが現在の WASP(White Anglo-Saxon Protestant)の出発点となっています。
 教会による支配を嫌い、米国の徹底した個人主義・自由主義の原点になっています。小さな政府を求め、自己責任社会や白人至上主義によって格差社会が誕生しました。
 亡命したプロテスタントは先住民族(ネイティヴアメリカン)と衝突し、銃の使用・所有は当然の権利と考え、全米ライフル協会の誕生しました。
さらに、銃は先住民族との物々交換にも使われました。
 銃による狩猟に夢中になった先住民族は農耕をやめ、欧州から持ち込まれた伝染病と飢えによって多数の先住民が亡くなってしまいました。

 1787年に制定された合衆国憲法で民主化が進み、フランス革命への布石となったことも興味深い事実です。

 南北戦争によって無数の未亡人や戦争孤児を出し、戦況を知りたい市民が新聞報道に一喜一憂する時代が4年間続きました。
 モールス信号の発明で遠くのニュースが短時間で伝わり、新聞が飛ぶように売れる時代になりました。各紙は従軍記者を南北戦争に帯同し、リーク合戦が始まります。記事は先に電信で新聞社に送られ、写真は早馬によって数日後に届く体制が確立されたのですが、すでにフェイク・ニュースが始まったと言われています。
 例えば、南軍兵士の死体に北軍兵士の制服を着せ、「南軍優勢」を伝えたため戦闘が長引き、両軍の戦死者は50万人に登っています。
 更に、南北戦争の終結で残った多くの武器が日本に売却され、戊辰戦争で使用されました。つまり、軍産複合体ビジネスがすでに始まっていたと言ってもいいでしょう。

<追記>
 南北戦争の終結で、余ったのは武器だけではなかった。
南北戦争に参加した学者も終結後に学者としての仕事が激減した。
その1人がクラーク博士だった。日本に来て、札幌農学校で教鞭をとった。「少年よ、大志を抱け」と有名な言葉を残している。

 黒人奴隷の開放が行われたものの、白人の黒人に対する根強い差別・人権侵害はその後も続きます。
 民主党のジョン・F・ケネディ大統領は、黒人解放運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコムXらの活動を支援し、
公民権法が制定されました。

ジム・クロウ法 
1876年から1964年にかけて存在した、黒人の一般公共施設の利用を禁止制限したアメリカ合衆国南部諸州の州法。

公民権法 1964年7月2日 ジョン・F・ケネディ
(ジム・クロウ法は即時廃止) 

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
(1929年1月15日 - 1968年4月4日) 
“I Have a Dream” 1963年8月28日
宿泊先のバルコニーで1968年4月4日、白人男性で累犯のならず者、ジェームズ・アール・レイによって暗殺。

マルコム・X
(1925年5月19日 - 1965年2月21日)
黒人解放運動 
所属していたNOI(ネーション・オブ・イスラム)との関係悪化に伴い、1965年2月21日の演説中に3名の構成員によって銃殺。

 それでも白人至上主義者による黒人差別は続き、KKKのような過激組織を生み出しました。

クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan、略称:KKK)の台頭
・第1のKKK(1865年-1874年)
・第2のKKK(1915年-1944年)
・第3のKKK(1946年-現在)

ANTIFA(Anti-Fascist Action)
1932年にドイツで広がった反ファシズム主義者。
この主義主張はアメリカではKKKに対するカウンターとして広がり、Rose City Antifa (RCA)となりました。
ANTIFAはトランプ大統領の選挙戦を通じて、再度頭角を表します。

ミンストレル・ショー(minstrel show)とは、顔を黒く塗った(Blackface)白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと。
ミンストレルとは、原義では中世ヨーロッパの宮廷にいた吟遊詩人や宮廷道化師たちを指すが、
アメリカではミンストレル・ショーに出演する芸人たちのことをミンストレルと呼んだ。1964年、ジョン・F・ケネディの公民権法制定で、ジム・クロウ法が廃止され、ミンストレル・ショーは衰退しました。

Al Jolson Blackface Minstrel Show
1963年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアによる有名な演説。
I Have a Dream Speech by Martin Luther King .Jr
1962年、マルコムXによる演説。
白人警官による黒人への不当行為に反対行動。
この演説も虚しく、白人警官による人権侵害はいまだに続いています。
Malcolm X’s Fiery Speech Addressing Police Brutality
1964年に結成されたサザン・ロック・バンド、レーナード・スキナード。
星条旗ではなく、今では禁じられている巨大な南軍旗を背景に置き、スタジアムをフル・ハウスにするほど人気を博す白人至上主義者。
1977年のライブ、見ての通り観客はすべて白人。
Lynyrd Skynyrd - Sweet Home Alabama


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