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失感情症で心身症だった私


最近YouTubeで初めて失感情症(アレキサイミア)という言葉に出会いました。

失感情症と心身症の関係


ネットで失感情症(アレキサイミア)について調べてみると、厚生労働省e-ヘルスネットには、心身症との関係が書かれていて、私の人生のことが説明されている!と思いました。

失感情症(アレキサイミア)
最大の特徴は「自分の感情を表現する言葉を見つけるのが難しい」ということでした。そこから感情を言い表す言葉が欠けていること=失感情(言語化)症という概念が出てきたのです。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-04-006.html

心身症と失感情症はとても密接な関係があるのです。

心身症というからだの病気とこうした感情を言葉にすることが難しいということとに関係があるのでしょうか?それは私たちのからだとこころは密接に関係があるからです。
私たちは自分が「腹が立っている」とか「とっても怖い思いをした」とその感情に気づき、それを言葉で表現をすることを普段何気なく行っていますが、心身症の患者さんたちはどうもそうしたことが上手ではないのではないかというのです。昔の諺にある「もの言わざるは、腹ふくるるわざ也」のように、自分の微妙な感情の変化に気づき言葉にしていくことは、私たちの健康維持にとりきわめて大切というわけです。
失感情症の概念は研究者の間で検討されて、以下の特徴としてまとめられました。
1)自分の感情がどのようなものであるか言葉で表したり、情動が喚起されたことによってもたらされる感情と身体の感覚とを区別したりすることが困難である。
2)感情を他人に言葉で示すことが困難である。
3)貧弱な空想力から証明されるように、想像力が制限されている。
4)(自己の内面よりも)刺激に結びついた外的な事実へ関心が向かう認知スタイル。

筆者、注)失感情症の概念については、上の引用にあるとおりですが、それが先天的なものか、または環境でなったかは人それぞれかと思うので、また別の機会に考察したいと思います。


心身症(自家中毒)で入院した理由


私は2才の頃、心身症である自家中毒で入院した経験があります。

1−2才の乳児が、感情を言語化して表現することは当然できません。

乳幼児は、泣いたり、笑ったりして、感情表現します。

私も生まれたばかりの頃は、よく笑う子だったそうです。

母が最近でも言っていました「弟が生まれてからあなたは泣いてばかりで可愛くなかったわ」と。

なぜ私は心身症になったのか、当時は誰もわかりませんでした。

ただ年子の弟がいるのを知った看護師さんが「弟は家族にお願いして、お姉ちゃんを抱っこしてくださいね」と母に言ったそうです。

つまり私は2才にして、母の愛をあきらめ、自分の感情を我慢することを覚えました。

祖母が育ててくれた記憶はしっかりありますが、母の記憶はありません。

どうりで母との情緒的なつながりを感じないのです。

小児の心身症-総論
心身症とは(冨田和巳)
http://www.jisinsin.jp/outline.htm

定義としては「『心身症は身体の病気』だが、その発症や経過に『心理・社会的因子』が大きく影響しているもの」となります。

失感情症になった経緯

自分は、乳幼児期に母親からの安心感を得られず、愛着性トラウマを抱えたと思います。

トラウマといえば、虐待とか災害とか近い人の死など大きな出来事が及ぼすものと思われるかもしれませんが、マイクロトラウマといって、小さなかすり傷であっても、何度も継続的に繰り返されることによって刻み込まれた傷がトラウマとなります。

母親の関わり方にムラがあって、ネグレクトしているけれども、気が向くと干渉するというタイプだと赤ちゃんはとても困惑するという話を「家族心理学」の講義で聞いたことがあります。

母は、自分目線が強く、押し付けがましく、子どもに寄り添うとか共感することがありませんでした。

なので私は何か心配な事があっても、母に助けを求めようとは思いませんでした。(母には安心感はありませんでした)

母の言動は以下のようなものです。

母は毎日離乳食で、ゆで卵ばかりわたしに食べさせていたので、私は卵嫌いになってしまいました。

小さい頃はピンク色など女の子らしい洋服に憧れる子でした。
ウィンドーに飾られたかわいい洋服に釘付けになっている私に、一緒にいた親戚が「○○ちゃん、試着してみたら?」と言ってくれたのですが、母は「この子には似合いませんから」と言ってスタスタと行ってしまいました(涙)

私はずっと髪の毛を伸ばしたかったのですが、いつも母の好きな美容室でショートにされていました。
長くしたいと言っても聞いてもらえませんでした。
小4の頃、やっと肩くらいまで伸ばすことができました。
ある晩、急に母が夜中に私を叩き起こし、わたしの髪の毛を短く切ってしまいました。理由は学校でシラミが流行っているからということでしたが、私はシラミにはなってなかったです。わたしの意思を聞かず、いきなり髪の毛を切られたので大泣きしました。
普段は静かな父がその夜「髪は女の命なんだ!」と言って母を叱ってくれたことが、唯一の救いです。
父は仕事で忙しく存在感が薄いのですが・・・そういうところは常識あるので・・・というかそれが当たり前ですよね!

たしか小4のころから、わたしは過食症でした(心身症ですね)

弟もまた自分目線が強く、わたしの気持ちなんてお構いなしでした。

母と弟に振り回されている私は、次に何が起きるかわからないという不安と緊張にいつも晒されていました。

私はこのような家庭環境にいたことから、心配性・失感情症にならざるを得なかったです。

元々、私もASの特性があると思います。ただ私よりもずっとAS特性の濃い母は、私の気持ちを察することも聞くこともできません。私が願い訴えても、ほぼ母のこだわりを押し付けられていました。

そのうち、私は自分の感情を出すこと・表現することを諦めました。

これを「学習性無力感」というのでしょう。

そして「求めても与えられないなら、最初から求めない方がまし」という言葉を自分に向けて語るようになったのです。

一方「心配性は損だ!」と考え、感情にふたをすることを覚え、何事も心配しないおおらかな性格になろうと決心しました。

時系列でふりかえると

乳児期に泣くことをやめ「手のかからない、いい子」になりました。

小学校低学年では、感情に蓋をすることを覚えました。母が感情的に怒ってるときには、「鼻歌を歌って」回避するようになりました。

そして小学校卒業する頃には、母と暮らしていけないと決意し、中学からは学校の寮に入ることを決めました。

中学1年で親元を離れ、初めての寮生活をスタートしましたが、1学期は毎晩、咳が止まらず、今思えば、喘息を発症していたと思います。

失感情症と心身症を体現した私がこうしてできました・・・・






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