変わらない日常のきらめき。ソール・ライター展。

弾丸で旅に出て参りました。
行き先は東京です。
2日間ほんとにいろんなものを見回って、めちゃくちゃ濃い旅になりました。

旅行はだいたいいつも弾丸旅で少ない時間の間ひたすら見て回ることが多いのだけど、今回もまたそんな感じ。
いやあでも総じて楽しかった。充実しました。


東京着いて、まず向かったのがこちら。

写真家のソール・ライター展。
これ、本当に楽しみにしてたのです。


「私たちが見るものすべてが写真になる」

そんな彼の言葉通り、展示写真には日常の中に潜むきらめきが満載で。
ほとんどの写真が彼の住むニューヨークの風景なのですが、1950年代〜60年代頃の人々の息づかいがそのまま感じられる、素晴らしい写真ばかりでした。

(図録めちゃくちゃ欲しかったけど、重さに負けて断念した…ネットで買えるのかな…
ポストカードは買った)


特に素晴らしいなと思ったのは、写真の色使い。
グレイッシュなニューヨークの風景の中にある色彩の切り取り方が本当に素敵で見入った。

彼の写真は、窓越しとかカーテンやシャッターの隙間とかから撮られているのが多い。

雨や雪の日の濡れた窓越しの写真、タクシーの窓から撮られたニューヨーカーたち、カーテンの隙間の向こうのすれ違う人。
ちょっとした覗き見のような視点(時には背徳感さえ感じるような)は、そこに写る人々について、想像をさらに膨らませてくれます。

きっとその先にあるのはいつも通りの他愛もない日常なんだろうけど、切り取り方一つでその日常がこんなにもドラマチックに見えるし、何かが起こりそうな予感を与えてくれる。


そんな中、ある一つの作品に目が留まりまして。
タクシーの運転手が振り返って後部座席(カメラを構えるライター)を見ている写真。
上半分は黒か何かの濃い色1色で、下半分に振り返る運転手が写る写真で。

作品を覆うフレームが光に反射して、その無地の上半分に、ふと私の顔が写った。
その瞬間、写真の中の運転手と目が合い、一瞬何か話しかけられているような感覚になった。

70年前のニューヨークと自分がリンクした瞬間。

今私が立っているのは、2017年6月。渋谷の文化村ミュージアム。のギャラリーの一室。間違いなく。
でもその一瞬だけ、時間も場所も超えて、私とその運転手は何かを共有した気がするのです。

こんなこと書いて、痛いかな私(笑)はは。


今は大抵のことはネットで調べればすぐ出てくるし、作品集だってネットの力でずっと手に入りやすくなって。
でも、いくらページをめくっても、画面をスワイプしても、こうやって現地で作品を五感で体験する衝撃には敵わないというか。

たまたまの反射で作品に写り込んだ自分と作品を勝手にリンクさせて勝手に感動を味わってるだけなのですが、やっぱりそういうライブ感には無限の可能性があるなと。
無限のワクワク感、予感。
どんなに世の中便利になっても、そこを追い求める純粋な好奇心だけは絶対に変わらないんだと、妙な確信が生まれた。

じゃあそれを今度は実際にどう身の回りに落とし込むのかはまだまだこれからなんですが、その楽しみを自分の出来ることを通じてちょっとでも体現出来たらいいなと。
ああこんな日常も悪くはないなと。
私が生み出すもので、誰かにそんな幸せを感じてもらえたら本望です。


あともひとつ印象的だった作品が、路上のあどけない少女を写したモノクロの写真たち。
幼い女の子のゆるく束ねた髪、今にも結び目が解けそうでハラハラするのだけど(笑)
健康的な髪の質感、流れも、70年前と今も何も変わらないんだなあと。
ここでもまた日常の匂いを感じて柔らかい気持ちになりました。

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