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第13話 理学療法士という仕事

今久しぶりに上京しています。理学療法学術研修大会という学会というか研修会に参加するためです。

通常の学会よりも実技研修などが多く好きな学会のひとつです。そのため毎回参加しています。

ここで僕が理学療法士として現在の理学療法の立ち位置について少し考えを述べながらまとめてみたいと思います。

結論は”視野が狭くなって存在感がなくなっているので価値のあることにコミットしたほうが良い。”と言うことを述べてみます。

まず理学療法は非常に曖昧な仕事です。理学療法を提供したからと言って必ず効果があったかと言うことが現代においても断言できません。介入したことで良かったかもしれないし変わらなかったかもしれないと言う程度のものだと僕は理解しています。世にいうエビデンスというものが確立していないのです。

いやいやエビデンスの確立してものもある!という反論が聴こえてきますが結局は『運動することは良いことだ』ということに終始しているような気がします。ただ運動してもらうのなら理学療法でなくても良いのではないかと思います。実際最高のケアを実践している介護事業所では理学療法士が行うリハビリよりもよっぽど対象者の機能を高めることができていると思います。神奈川にいた時にお世話になった加藤忠相さんが運営しているあおいけあがとても良い例です。

そして宗教化している、ということも言えます。この手技は効果がある!と次々に新しい主義が概念が出てきては消え出てきては消えています。誰か頭の良い人が曖昧な概念を体系化するのです。たくさんの療法士がその概念に飛びつきます。体系化を成し遂げた者は先駆者として崇められているように僕には見えます。あたかも宗教のようです。

理学療法士は皆不安なのです。自分たちの技術が本当に患者を治療できているのか不安だから宗教にすがるのだと思います。

僕は理学療法士のそんなところがあまり好きではありません。

実際厚労省の役人の方の話など聴いて見ても、そんな宗教じみた主義主張に対しては『すごいね、だけど保険の範囲外だよね』という話をよく聴きます。そのことに対して多くの理学療法士は『分かってない!』と嘆きますが。僕は『まともな感覚だ』と思います。

そんな宗教化を進めて視野を狭くしていくことよりも、もっと広い目線でできることを考えた方が良いと思うのです。理学療法士は対象者の動作を分析することができます。その人がどんな障害を抱えていて、何ができなくで、どうすればそれができるのかを知ることができます。これは他の職種にはできないことです。できているかどうか(Can do)は他の職種でもわかりますがどうすればできるか(How to)ということについては考察し提案することはなかなか難しくレアです。

どうすればできるかを考えて方法を提案し生活の中でできるようになると、生活が維持できるし身体機能も維持することができます。

生活にコミットして初めてリハビリテーションは意味を成すと思うのです。筋トレはしても生活の中で使わなければ鍛えた筋肉は衰えていきます。

逆を言えば生活にコミットできるのが理学療法士で、生活の維持や改善に大きな影響を与えることができるのだと思うのです。

それこそが理学療法士に求められていることであって、価値があるのではないかと思うのです。

そこにしっかりとコミットして存在感を示した方が良いと思います。

自分達がやってきたことを否定する勇気を持って他の分野や業界をまたいで価値を提供していった方が良いと思うのです。

なんだか身内ディスみたいですがあくまで僕の意見です。日々学術的な検証と論文を積み重ねている方々は尊敬しています。


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