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台湾メモリー(3)~知られざる友の高度な日本語力 無口すぎると 気がつかれないの?~

 生まれて初めて台湾に行った時の思い出について
綴ろうと思う・・・なかなか出発しないのだが。

台湾人の友人の実家は、台湾第3の都市、高雄(タカオ=中国語読みで言うとガオション)にあった。

タカオ、と聞いても中央線の高尾行の高尾、が脳内で変換されてしまう
くらい、そこがどこなのか、何も知らぬまま、
るるぶ台湾、地球の歩き方・台湾を片手に向かった台湾であった。

当時、台湾と言われても、香港と北京と台湾がどう違うのかは、
全然わかっていなかったような気がする。

一緒に行った台湾人の友人がひたすら案内してくれて
同行した後輩がものすごくいろいろと調べてくれて
本当に何の心の準備もないままに、行った。

イトーヨーカドー武蔵境店に行くくらいの気楽な感覚であった。

そもそも、台湾からの留学生であった寮の友人とは、
旅行前に、どこかへ一緒に行ったことは、一度もなかった。
彼女は、あまり、出かけない人だったのである。

彼女の日本語はとても流暢だった。
だが、一対一で話したことも数回あったレベルで、どんな人なのかも
何で日本に留学していたのかも、実は、あまりよく知らなかった。

彼女は、当時、寮の1階の本棚に置いてあったガラスの仮面などの
大量の少女漫画をすべて(!)日本語で読破したと言っていた。

すべて(!)日本語で読んだのか!と、異様なほどの
日本語力に圧倒されたのだった。

彼女はとてもシャイで、そんなに誰とでも気軽に話すような人ではなく、
寮においてある漫画をすべて読破できるほどのとてつもない日本語力が
あることが、寮の友人たちには、あまり気づかれていなかった。
なぜなら、「誰とでも積極的に話すわけではなかった」から、
気がつかれなかったのである。

これは外国語学習において度々発生する出来事の一つだと思う。
脳内の知識は、外には見えない。

脳内にいろんなことがうごめいていても、
文法や語彙の知識が膨大にあったとしても、
それは、あまり、気がつかれないのだ。

今にして思えば、ほとんどどこにも出かけない(よく知らんけど、多分)
彼女が、台湾に旅行に行くことを、誘ってくれたことは、間違いなく、
私にとっては人生を変えるほどの大きな出来事だった。
”Life changing experience” であった。

なかなか出発しないが、台湾メモリーは続く!

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