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才能と語学力との結びつき〜結局は「育ち」で色々決まるのか?〜

 自分のような三文ライターとしては、その活躍ぶりを尊敬せざるを得ない、かの有名な女子御三家卒の辛酸なめ子先生もかつて、雑誌アエラのインタビューで語っておられたが、語学力の高い女性には綺麗な人が多い。経済的な豊かさと容姿の優劣の間には、間違いなく相関性があり、書いてて少し辛い気持ちになるが、それは間違いなくリアルにある!ある!ある!ある!と言えることであろう。

ICUで友人たちと接する中で痛感したのだが、ICUには本当にため息が出るような、綺麗で人柄の良い女性が多かった。田舎では、綺麗な人といえば性格が猛烈に意地悪だったり、あんまり勉強ができない、という偏見があったのに(これも「綺麗な人」への強い差別意識の成せる技らしいよ!)綺麗で性格が優しくて勉強も得意、なんなら運動も得意で楽器も弾けるのに、全然威張らない上に話も面白い、というような人が普通に、その辺にゴロゴロいたのである(そして卒業して同窓生がほとんどいない環境に放り込まれて長い時がたった今思えば、大変にパッとしない男性たちばかりと付き合っていた→彼らの1億倍くらいパッとしなかった私の意見であるが)。

なぜ、そうなのかと言えば、大手有名企業に勤める裕福な旦那様(広告代理店、商社、その他海外赴任の可能性が高い大手企業や大学教授、医師など)と、美しい女性が(例外はたまにはあれど)結婚し、海外赴任になったりして海外生活をすることになる。そういうご家族の子女たちが、日本の大学の中でも国際交流に力を入れている大学であるICUに入学してくるわけであるし、もっと日本国内でウェイウェイ言わせたい私立大学を選ばずに、小規模なICUに入っている、というところでもまた、独特の選民意識と真面目な人の度合いの高さ、というようなものが相まって、まぁとにかく「こんな人この世にいたんかいな」と思うような、優しくて、可愛くて、切なくて、心強くなるような人々たちと日々、遭遇し続けた。

J-WAVEを愛聴していた高校時代までは、そんな世界があると知らなかったのだが、日本国内で生まれ育ったとしても、海外の教育に近いレベルの高い教育をインターナショナルスクールなどで受けさせようとする、日本の中の貴族のような人々が存在し、その貴族のような人々によって「語学が堪能なレアな日本人女性(男性も)が明るい家族計画によってすこやかに生まれる」という仕組みが、確実に存在する。J-WAVEなどでDJをつとめているような完全なる日英バイリンガルの方々は、「ラジオ英会話」や「家出のドリッピー」や「スピードラーニング」で一生懸命頑張ったのではなく、インターナショナルスクール出身者だったのか!と後で気づいたのだった。最初から全然違う立場だったのね、と。

有名なところでは私の学生時代から今に至るまで、圧倒的に再生回数が多いと思われる宇多田ヒカル氏や、朝ドラで活躍されている宮沢氷魚氏などの活躍が近年めざましいが、芸能人やアナウンサー、モデルやミュージシャンなどになっている、ご家族がすでに有名な方、というような人々の中には、インターナショナルスクール出身者が多い。海外育ちだったり、帰国子女の男性女性には、綺麗なだけでなく、人柄というか立ち居振る舞いがそもそも違うというか、日本生まれ日本育ちの卑屈で誤字脱字ばかりを指摘するような人々(私もこちら側ではあるが、本当にどうかと思う)とは何か圧倒的に異なっているというか、人間的な組成というか、基礎力のようなものがまるで違う人が多いのではないか、というようなことは、本当に日々、大学で思い知ったことであった。(まぁ、インターナショナルスクールに宇多田ヒカルのような人がたくさんいる、というわけではないでしょうけれども・・・)

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