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スターゲイザー scene11 (完)

11.フルダメージ

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 今でも舞台に上がる前は、緊張する。
でも、この緊張感のない日々では物足りない。
どんな状況下でも、『俺は役者だ』と念じるとスイッチが入る。
嵐の渦中だろうと、銃弾飛び交う戦場だろうと、俺は飛び出していける。
なぜなら、役者だから。
それ以外の生き方を選ばなかったから。
曳馬さんは、地元でオヤジバンドをしていると言った。
あの人らしい。
今は、軌道に乗った工務店の社長業は人にまかせ、聞こえない人の文化事業促進のNPOの活動に没頭しているらしい。きっかけは次男の聴覚障碍だったが、どこにでも活路を拓いていく曳馬さんは、何をしていようが眩しい。

ずっと何かになりたかった。
俺はようやく出会った芝居というものを、ガツガツむさぼった。
そんな俺以上に、貪欲で、狙ったものの喉笛に喰らいつくあの人の、餓えて、でも綺麗な目を忘れることはない。
長く芝居を続けるほど、いかに特異な存在だったかわかる。
閃光。
あの人は日常を、切って割いて現れた、誰も見たことなかった光。
無尽蔵の才能。
俺は負けた。
曳馬太一という役者の存在に、打ちのめされた。
何度も。
あの人は、俺には超えられない壁だった。
でも、あの人と共に舞台を作った日々が、たった一年とは思えない濃密な日々があったから、今の俺がある。
手の届かない人ほど、なぜか近くに感じるのだ。
そうだ。
俺の相棒の、帰りたかった日々は、過去にじゃなくて、ずっと先の未来にあったんじゃないかと、思う。
俺たちのいた場所は、圧倒的な現実の磁場に縛られている気がしたけど、ほんとうのところはそこから少し浮遊していて、限りなく明日に近い場所に属していたんじゃないかな。
違うかな。
今の俺を見たらあなたは、少しは上手くなったと褒めてくれるかな。
見せたいな、俺の舞台。
今の俺の全て。
あなたが板の上で、噓をつくなと言ったから、俺は全部をさらけ出してるよ。
あなたは、今、どこで何をしているかな。
ひょろ長い猫背の、陰気でネガティブな俺の相棒。
同じ人間に人生狂わされたと嗤いあった、共犯者みたいな俺たちの関係。
あなたを決定づけたのは、ドギースプリットの第二回公演が終わった時。
それは、俺も同じだけど。
酷評された。
みんなが求めているのは、曳馬太一のいるドギースプリットだった。
でも、それ以上に堪えたのは、彼の不在。
それでも、俺たち、遠吠えの限りを叫ぼうと決めて、それからずっと輝ける負け犬の日々。
    
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 夜の白川公園は、日が落ちると半袖ではさすがに寒い。
動いていればすぐに温まるだろうが、今日は劇団の精算会といって、公演で立て替えたお金や、ノルマの差額の返金などをする事務的な集まりだ。
 寒いからといって、八幡桜は踊っている。複雑に編み込んだ髪型は、どれだけ激しく動いても崩れそうにない。
もともとダンスの勘のいい役者らしく、自己流の振り付けのレベルが高い。
「かっこいいっすね。」
そう言って、航介が八幡の動きを真似る。
八幡に比べ、滑らかさやリズム感はないが、一度みた振付はすぐ踊れるし、自分の見せ方をよくわかっている動きだ。
「遅くなって、ごめんなさーい。」
大きな鞄を、斜めがけにして両手には別の鞄をさげて、夏香が走って来た。
「そんな、急がなくてもいいのに。」
と息を切らせた夏香に、八幡は声をかける。
夏香は「暑い」と呻いてペットボトルを取り出した。
喉を潤すには甘すぎるのではないかと航介には思われる飲み物を、夏香は植込みの幹に手をついた姿勢でぐびぐび飲んだ。
「チガさんが、夜勤が急遽入ったっていうんで、寄って届けてきたんです。」
遅刻の事情を説明するが、彼女は皆にメールもしているので了解済みだ。ドギースプリットの第2回公演に、客演した役者のチガヨシキ氏への返金を済ませてきたのだ。
東奔西走する夏香に、航介はいつも感心するし、その小さな体や小動物的な雰囲気から健気さも感じる。
反対に、鷹揚で、身に着けるものも派手で個性的な八幡は、演技の達者さや場数の違いからくる余裕で、航介から見れば大先輩の風格だった。
その八幡は、
「キャラメルバニラバナナミックス?なにそれ、ちょっと味見〜」と夏香からペットボトルを受け取っている。
「なっちゃん、変な飲み物よく見つけてくるよね。」
木の影がそう言ってふらりと立ち上がった。全身黒ずくめの宇希である。
「私が気に入ったものって、すぐ販売休止になっちゃうんです。あ、早速ですがこれが、今回の公演の収支報告です。」
夏香がA4サイズの紙を配布したあと、宇希をみた。手元の紙に視線を落としてはいるが、読んでいないのは明らかである。何かのタイミングを測っているような、表に出せない感情をなだめているような、不穏な沈黙を保っていた。
「宇希さん」と夏香は進行を促したつもりだったが、彼女は唸るような声で言った。
「曳馬さんが、許せない。」
航介は、またその話かと胃がズシリと重く苦しくなった。
    ことの発端は、曳馬がドギースプリットの公演を観に来なかったことだ。
長男の誕生。継父との確執。就職。曳馬が芝居に割く時間がないことなど、一目瞭然だった。
それでも劇団員たちは待ち続けていた。彼不在の第2回公演だったが、本番は見に行くから下手な芝居するなよ、と言った彼の期待に皆応えようとした。遠く離れていても、曳馬は皆の支柱だった。
二日間の公演の間中、航介は客席に彼の姿を探した。宇希は夏香に頼んで、舞台が見渡せる最後列の中央席を毎回、空けさせた。しかし結局、曳馬は来なかった。
打ち上げに「ゴメン!時間、間違えて!」と言って現れた時の、皆の失望と無念は言わずもがなだった。曳馬は持ち前の気安さで、座組みにずっと参加していたかのように、宴席に馴染んでいた。役者たちが、観客の反応が思わしくなかったと洩らしたのを封切りに、曳馬は彼等にアドバイスを始めた。客演のチガは膝を乗り出し、八幡は曳馬の隣に横座りし、早くも酔いがまわった航介は壁に持たれて彼を囲んでいた。その彼等の中に、宇希が入ってきた。
ーなんでこの人、泣きそうな顔してるんだろ。
航介がぼんやり眺めていると、彼女は突然、
「そうじゃないでしょ。」
と言うが早いか、曳馬の胸ぐらを掴んで立たせた。宇希の背が彼より高いことに、航介は初めて気がついた。
 そこから先は、売り言葉に買い言葉だった。
「もう二度とドギスプには来ないでほしい」
最後にそう言い捨て、宇希は打ち上げ会場から出て行ってしまった。
後に残された航介や八幡をはじめとする役者と、数人のスタッフ達は通夜のようになった宴の席に残された。
     夏香と八幡、果ては航介も曳馬を取りなそうと必死になったが、
「俺が悪い」と言って、珍しく打ち上げ代3890円を耳を揃えて払うと、出て行ってしまった。
    その後、航介には珍しいことだが二人に電話をかけた。どちらの味方をしたいのでもなかったが、ドギースプリットは曳馬の劇団だと思っているし、一方で、彼の不在に宇希がどれだけ打ちのめされていたか知っている。それでも存続させることに意味があると、客演を呼び、明らかに増えた裏方の仕事もこなし、常に超過労働だった宇希に、観にこないというのはあんまりな仕打ちだった。しかし、航介が何を言おうが、曳馬と宇希の日本海溝のような溝は埋まらなかった。

   宇希は絞り出すように続けた。
「名古屋に来てるのに、見にもこなかった。理由が、べーへーさんと麻雀してて忘れたとか、理由にならないし。」
「べーへーさん、誠心誠意謝ってくー」
「べーへー氏が謝っても、しょうがないよ。」
航介が言いかけたのを、怒気を含んで遮った。
「どうして、仮にも主宰が自分とこの公演の時間を忘れるんだよ。べーへーさんだって、今回はスタッフでもなんでもないんやし、そんなの曳馬さんが、曳馬さんが・・・」
宇希の息が続かなくなり、声が震えかけた。
「その程度にしか思ってないってことで。」
そのままずるずるとしゃがみ込むと、打ち上げには来て言いたい放題だったことに言及した。
「あんたが、高みの見物みたいに言うなよ。」
もうその場の劇団員の誰の顔も見ていなかった。脳裏の曳馬に言っているのだ。
「どんだけ悩んで、夏の合同公演を降板させたか。どんだけ、苦しんで次の公演打ったか。それでも、そんなに軽いなら・・・。もう、踏みとどまってる意味ないから、ドギスプは解散させる。」

 八幡が座り込んだ宇希の肩に手をまわし、そっと抱いた。びくっとして顔を上げたが、そのまましばらく抱擁を続けた。
「台本のプロット、全部読んだよ。」
彼女は腕を解くと、言った。
「辻ちゃんの台本は、みんな曳馬さんにアテて書いてあるんだね。」
宇希が八幡を見返した。
「八幡、上手いし、もっといい役をアテればよかった。演出も、下手だった。」
「違うよ。そういうことじゃないよ。一人の役者の可能性、あらゆる方向から光を当てていて、いいなって思ったよ。」
「私もそう思います。」と夏香が言った。
「合同公演の時は、曳馬さん出なかったけど、今回ほどがっかりされてないでしょ。みんな、辻宇希の曳馬太一が見たかったんだよ。」
そんなことはない、と宇希は言った。続けて、
「八幡ならもっと大きな劇団で主役張れるし、上島君も、いろいろやって横の繋がりができたし、どっかで拾ってもらえるよ。なっちゃんも、もう、最低な主宰と作家の面倒はみなくても、いいよ。だから、ごめん、やめよう。やめたいです。」
と最後は懇願になった。
「俺」
と航介が言った。
「ドギスプ辞めるつもりないぜ。」
「あんたが続けるのは、自由だけど、じゃああたし抜きで仕切りなおしてよ。あと、もう曳馬には関わらないほうがいい。」
宇希は立ち上がった。
この人はほんとうに、芝居をやめるつもりだと航介は思った。
打ち上げの会場で、曳馬に「もう二度とドギスプに来ないでほしい」と凍てた目で告げた宇希。どれほど悲しかったか、悔しかったか航介には痛いほどわかった。
同じ人間に惹かれて、ここまできたのだ。
その彼が、二度と戻ってこないのもよくわかっていた。だからこそ、ここで解散させるわけにはいかないと航介は思った。
「宇希さんが、俺を誘ってくれたんですよ。」
所属劇団が解散し、寄る辺なかった自分を、光の当たる場所へ連れていってくれたのは、宇希だ。しかし彼女が口にしたのは、思いがけない一言だった。
「どうでもよかったからだよ。」
「え?」
「曳馬とソリが合わなくても、曳馬に傷つけられても、どうとも思わない人間だったから誘ったんだよ。」
「え?何だそれ」
「あの性格でしょ。近くにいればいるほど、被害が及ぶ。名の売れた役者は呼べない。」
怪しくなった雲行きに、夏香が慌てて口を挟んだ。
「航介君が、新人だったからですね。バランスとれたコンビですよ」
「なっちゃん、この際だから言うけど、たまたま目に入ったんだよ。この人で良い理由なんて、他人に無関心なことぐらいだよ。」
「ははー、なーんだ。」
と彼は力が抜けたように笑った。
「なんだ最初から捨て駒だったんだ。」
八幡と夏香の頭を過ぎったのは、打ち上げでの曳馬と宇希の喧嘩だ。八幡は航介を、夏香は宇希を制しようとしたとき、
「期待はずれでよかったよ。」
と航介は、晴れ晴れと笑った。
「曳馬太一の相手役として、見染められてスカウトされたと思ってたから、正直きつかったぜ。期待されてなかったんだ。どうでもよかったんだ、俺。」
航介は見た。
ひとまわり痩せた宇希、小さな夏香、華やかな八幡。そのよく知る輪郭の中に、小さな勇気に火を灯してくれるものがある。
「ーあのさ、俺、ずっと期待ばっかされてたの。でも、何やっても結局期待はずれだったの。本当は、なんもできないダメなやつなのに、顔と雰囲気だけで、なんかやってくれそうって思われるんだぜ、たまったものじゃないよ。」
もちろん、航介は傷ついていないわけではい。でも、それも本心だった。
大げさに笑って見せた後、
「でも、俺、頼まれたから。宇希さんとドギスプのこと頼まれたから、曳馬さんに」
と言った。
「頼まれるなよ。」
宇希は睨みつけてくる。
「いちばん、頼まれたくない奴に頼んでんじゃないよ。」
航介が怯まないのを見て、苦々しげに呟いた。
「ほんとうにもう、書かないんですか?」
航介はきいた。
「呪いだから」
宇希が答えた。
彼女の脳裏には、曳馬からの言葉が染みついている。
『俺にあの役書いてくれて、辻ちゃん、ありがとな』。
どんな誓約よりきつく、それは宇希を書くことに縛りつける。解くことのできないもの。
「あなたが書いてくれたら、どんな役でもやるよ。」
と八幡が言った。
「なんなら、脱いでもいいよ。」
「え!ほんと?」「嘘ぴょん」
少しだけ空気が和らいで、八幡は歯を見せて笑った。
「でも、やりたいのは本当。私、ドギースプリットのファンだからさ、私に出来ることならやるよ、なんでも。」
「桜さん、ほんとに?」
これ以上心強い味方はいないとばかりに、航介は八幡の両手を取った。
「あの旗揚げ公演観た時、私は絶対ここの舞台に立たせてもらうって思った。航介とは、二回同じ舞台に立って、たしかにmake a wish!のシスター役以上のハマり役はないかも知れないと思ったよ。」
航介は手をゆっくりと離した。
「航介がどんな演技しても、曳馬さんは受けて返してて、すごいスリリングだった。私には、あんな変化球受けきれんよ。面白かった。あ、これじゃただの感想だ。あれ、おかしいなあ」
ん?と航介を筆頭に皆が不思議そうな顔になった。
「言いたいこと、筋道つけて話すの難しいわ!」
八幡は笑ってサジを投げた。
「付き合わせてよ。掛け持ちだからって、お客様扱いしなくていいから、キャストでもスタッフでも、使ってよ。」
「八幡…」
「私も!」
と夏香が言った。
「私も、困ります!」
夏香は小さな頭を抱えて言葉を探していた。
「困るんです、いないと、困るんです。」
「誰が?」
と航介が聞いた。
「私は小さくて、脚立に登っても灯体を釣ることができません。木材やパネルを運ぶのも一苦労です。音響の知識もセンスもありません。ミシンは使えますが、服のデザインとかはセンスがないので苦手です。でも、芝居は好きです。見るだけじゃなくて、私もやりたい。私にできることは、事務関係だけです。舞台に関わりたいんです。」
夏香に必要とされているのは俺だと航介は思った。
「大丈夫だぜ、なっちゃん。」
「でも、作家は、他へ行けと言うんです。」
夏香の目を透明な膜が覆い、見る間に溢れてきた。
「うわあ、泣かせたー」
幼児めかした口振りで八幡が宇希を非難した。
「え、あ、そういうつもりじゃなくて」
「どういうつもりでも、私はドギスプがなくなると困るんです。」
しどろもどろの作家に、夏香ははっきりと言った。
「私の好きな人達が、いなくなるのは困るんです。」
「やろう。」
と八幡が両の手で拳を握って言う。
「いっぺんでいいから、やっとこ。」
「ドギスプは曳馬太一の劇団じゃないよ。」
皆を見渡しながら宇希は、
「もう、誰からも、あの人はいつ出るのって言わせない劇団じゃなきゃ嫌だよ。あたしは曳馬という役者の名前を全力で消しにかかるよ。それでも、いいの。」
と言った。
八幡は任せておけとばかりにうなづき、夏香は複雑な顔を見せたがうなづいた。
「私は別に、曳馬さんのことが嫌いな訳じゃないです。でも、あの人を越えるっていう目標なら、いいです。」
「越えるぜ、なっちゃん。」
航介は落ちている枝を一本拾った。
「とりあえず、もう一回やろうぜ」と言って八幡と視線を交わす。
「旗揚げ公演がピークだった劇団なんて嫌だしな。越える、絶対、越える。」
彼は皆が並んでいる手前に、真っ直ぐにザッと一本の線をひいた。
「俺、主宰ってことでかまわないかな。」
「いいよ、別に。」と宇希が言う。
「じゃあ、ここからが俺たちのスタートラインです。」
航介の言葉に、土に引かれた線を見ながら、なるほどーと八幡が笑った。
「進めなくなったら、何度でも何度でも、線を引きます。そしたら、そこがいつでもスタートライン。」
航介は、その線の先、街路樹を、白川公園を越えて走る道路を、街の、その先の秋の空に輝く一等星を見て言った。
「今日から俺たちが、ドギースプリットです。」

終り




この歌から。スピッツ/スターゲイザー   https://youtu.be/SC6fWmtzGf0



読んでくれてありがとうございます。