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私は死にたかった

最近よく思い出す。死にたかったあの頃のこと。そして、生きててよかったなあとしみじみ思う。

死にたいときはまあとにかく死にたいわけです。
手首切るなんて死ぬ気のないやつのやることだ、と聞いてたせいか、手首は切っていない。
むしろ、こんなに死にたいのに死ねない自分死ねって思っていた、笑

あるとき、仕事の先輩に死にたいと言ったら、それは本気で思ってない、と批判された。
死にたい気持ちなのにわかってもらえないことが悲しかった。
もっと死にたいと思った。

またあるときに付き合っていた人に死にたいと言ったら、
そんなこと言われてもなんにもできない、と言われた。
もっと死にたくなった。

死にたい気持ちを否定してほしいわけじゃない。やめろ、とかじゃなくて、でも共感してほしいわけでもない。

映画、恋人たち で主人公がどんぞこに落ちて生きるのをやめようとしているのきに、同僚がかける言葉が優しい。

ぼくは、あなたがいなくなったら、さみしいなあ

ああ、ほしい言葉はこういう言葉だったんだろうなあ、と号泣した。

ただ、ちっぽけでいいから、自分の生きる意味があれば、それでいい。

私が死んだら、この目の前の人は、すごく悲しむんだろうな、と想像できると、たぶん、人は、死ぬことができなくなる。

私にはそんなことを思わせてくれる人が、ほんの少しだけいて、ごまかしごまかし生き延びてたら、気づいたら前向きに生きられるようになった。

病気で辞めざるを得なかった会社。
復帰をすると言って、乗れなかった飛行機。立ちすくむ自分。ああ、なんて自分はだめな人間なんだろうと泣いて、自分を責めて、何度も泣いた。
今も、残っている同僚が羨ましい。
やめた自分は逃げたと思われただろうし、逃げたんだろう。
でも、私は会社に戻りたかった、戻ろうとした。でもだめだった。それは逃げなのかな。
大企業なのにやめてしまって、みんなからいい会社だと聞くたびに胸がきゅっとなる。
そしてそのあと死ねなかった自分は、今度は死からも逃げたんだろう。

それでも
今は、生きててよかったなあって思う。

ハナレグミのさよならカラーを生で聴けた。
死にたい気持ちの時にずっと聞いていた曲を、生きて、ナマで聴けるのはすごく不思議で、感動的なことだった。
これをいま聴けたのは、私がいま生きてたからなんだなあと思って、涙が止まらなかった。

死ねないことを批判するのは簡単。
でも、自ら死を選べないのは、生物の本能だから諦めるしかない、と学者が言ってた。
だから、死ねない誰かを批判しないでもらえたらうれしい。

大丈夫、あなたは生きてていいんだよ

と伝えてあげてほしい。

そして死ねなかった私が、自分とした約束。
自分をうらぎらないこと、自分だけは最後まで自分の味方でいること。

だからふとまた落ちそうになるときには自分で自分にエールを送る。

あなたはそのままで大丈夫だよ、と。

ヘタレな自分や自分みたいな誰かをそっと応援する日記みたいなものです。