見出し画像

ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために


就職して4か月ほど経った頃、声が出なくなった。声帯にポリープができていた。実家に戻り手術をして、しばらく静養していた。
そろそろ東京に戻らねばと思っていたある日の朝、会社の同期たちがお見舞いに来た。私には内緒で、仕事を終えた金曜の夜から車を走らせ、土曜の朝に訪ねて来てくれたのだ。私はサプライズに感動していたが、寝起きだったため、驚いてぼーっとしていた。
そのとき、家には父と私しかいなかった。父は、娘のために遠方から来てくれた客人をもてなそうと張り切った。朝の8時に、車で来た人たちに、ビールと琵琶湖名物の鮒(ふな)寿司を出した。
鮒寿司とは、鮒に米を抱かせて発酵させたもので、恐ろしく臭いがきつい。皆さすがにビールは断ったが、父に気を遣い、鮒寿司を口にした。神妙な顔で噛み続ける一同。二人はなんとか飲み込んだが、もう一人の同期は涙目で、「ごめん、これどうしても飲み込めない」と無言で私に訴えた。
もう十分だよと、私は父に気づかれないよう、そっとティッシュの箱を差し出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?