020 感謝しかないお話です。
ふと会いたくなったので、
私が忘れられない、大好きだった
学校の先生3人のお話を。
人生の一番の先生は両親ですが、
両親には教わることができない
大切なものを教えてくれた人です。
1人目は小学校の図画工作の先生
とびっきり美人で、
校舎の端にある図工室で
いつも暖かく迎えてくれた先生。
私は小さい頃から感情をそのまま
言葉にして発するのが苦手で、
踊ったり歌ったりで
感情を表現してました。
ミュージカルやってました、、)
4年生の時、中学受験のために
ミュージカルをやめて塾に通い出し
さらに、いじめられるようになって
感情を表現する手段も無ければ、
物凄い速度で溜まっていく一方で、
見つけたのが、ものづくりでした。
毎日のように休み時間には
図工室に行って、先生と話して、
何かをつくって。
ものづくりの楽しさを教えてくれた
最初の人が、この先生です。
今の私の基礎になってる。
連絡手段も無く、会えないけれど、
もしも会えるなら、心の底から
ありがとうございました。
と伝えたいです。
2人目は中学の美術の先生
また美術で、
これまたすっごい美人で。
この先生には、技術を学んで、
人格を形成してもらいました。
3人の中でひとり恩師と呼ぶなら
間違いなくこの先生です。
私は小学校高学年でものづくりに
ハマっていたこともあり、
この先生に誘われて美術部に
入部しました。
だけど、絵を描くことは苦手で、
大きなキャンバスは避けてました。
そんな私と他の部員を連れて、
先生はほぼ毎月美術館で
校外学習をしてくれました。
ほんものを見て学べと。
歴史的背景とか、技法とか
詳しい人の話を聞きながら
見ると学べることがまあ多くて、
沢山見ているうちに、
描き方を掴めるようになりました。
それから、絵も得意になり、
キャンバスが感情表現の場になり、
いくつか賞をいただいたり。
本当の意味で美術が好きになり、
意匠設計という今の進路を決めた
私の出来上がりです。
それから、人格の部分でいうと、
小学生でいじめられていた経験から
軽く人間不信といいますか、
仲の良い友達をつくることが
出来なくなってしまっていた私に、
寄り添って話を聴いて、
その上でたまには周りを見ろと
突き放したりもしてくれたのが、
この先生なんです。
放課後、友達と帰るのも苦手で、
美術室に入り浸っていた私の
話し相手になってくれましたし、
私と似たような境遇の子を見抜いて
友達になったら上手くいくよと、
引き合わせてくれました。
社会人になった今でもその友達とは、
月2回も会うほどの仲です。
人に期待しないことが正解で、
誰とも深く付き合わないように、と
半分殻に閉じこもっていた私を
連れ出してくれたこと。
本当に感謝しています。
3人目は中学高校の担任
中高一貫の私立に通っていて、
学年の先生は持ち上がり方式、
クラスは成績順。
この閉じた環境で、
中一から高一までの4年間、
担任だった先生です。
成績にはうるさい人で、
だけど本当に情のある人で、、
中一の時、私は自分の学力からして
偏差値の高い学校だったことから
なかなか成績が追いつかず、
受験で運よく一番上のクラスに
入ったものの、落ちそうでした。
5教科の点数がまあ悪い。
だけど、副教科は得意で、
音楽で98点を取ったんです。
純粋に喜んでいたのですが、
テスト後の三者面談、母の前で、
この2点は何。と怒られました。
高得点だったね、じゃない。
この詰めの甘さこそが、
成績伸びない要因だろと。
まあ今考えると正論ですね、
ただ受験を終えてすぐ、
12歳の私には衝撃でした。
しかも、初めての三者面談、
親の前でこんなに怒るの、と
かなりショックでした。
けれど、本当にその通りで、
そこから私の成績は
どんどん伸びていきましたし、
何でもやるなら、最後まで。
この精神は身につきました。
これまた、
ありがとうございました。
この一言に尽きます。
それから、この先生に
一番に感謝しているのが
卒業直後、大学受験のお話です。
私は大学受験、親とも、
その時の担任とも、揉めていました。
第一志望が京大だったんですが
センターに失敗して、
到底届きそうもなくて、、
担任はここまで勉強したんだから、
1ランク落として大阪大学を狙え。
母にはこんだけ頑張ったんだし、
もう1年浪人して京大にしたら。と、
だけど私は、建築を学びたい一心で、
意匠設計がしたい、それだけで、
目当ての研究室がない阪大は
あり得ないと思っていましたし、
何より早く独り立ちしたかったから
浪人だってあり得ないと思ってました。
3ランクほど落ちても、
国公立で建築ができればいい。
やりたいことをするために大学に行く。
それのどこがダメなんだと、
学歴が大事なのもわかるけど、
国公立であればある程度は担保される。
意匠設計がしたいんだから、
もっというと美大に行きたい。
ずっとこればっかり考えてました。
予想通り、前期で京大に落ち、
後期試験を控えたまま
親とも揉めながら、とりあえずと
参加した予備校の説明会にいたのが
この高一まで担任だった先生で。
私が中一の頃からずっと、
建築がしたい。と言っていたのを
ちゃんと覚えていてくれて、
6年間美術にのめり込んでいたのも
ちゃんと知っていてくれて、
成績主義、学歴重視で
口うるさかったのに、
優しい顔でこう言ってくれました。
本当にやりたいことができるなら
場所はそれほど大事じゃないよ。
これだけ6年間、信念曲げずに
頑張ってきたあなたなら、
どんな場所でも上手くやれるよ。
担任じゃないし、親でもないから
これ以上は言えないけど、
応援してるよ。頑張ってね。
揉めてばっかりのなか、
勉強に追われて疲れきって、
ただ認めて欲しかった私は
これだけの言葉で救われました。
結果、後期受験で受かった
国公立に行きましたが、
自分のやりたいことを見つめて
環境に惑わされることなく
4年間過ごせたと思ってます。
この先生は連絡が取れるので、
つい半年前、大学卒業式あとに
会いに行きました。
先生の言葉で救われてたんです。
その節はありがとうございました。
と伝えてきました。
はっきりじゃないけど、覚えてる。
今どう?やりたいことは?と
聞き返してくれました。優しい、、
これからも、たまには会って
近況聞いてくれるそうなので、
先生に胸を張って、
やりたいことできてますよ!と
言えるようにしておきたいです。
と、こんな感じで、
お世話になった先生3人のお話でした。
あのとき救ってくれた恩を
どこかでいつか返せるように、
先生に恥じないように、
今私にできることを見つめて
生きていたいなあと。
改めての決意表明といいますか、
備忘録的noteでした、!☁️☁️
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