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no.13 努力は個性じゃない。と思うんです。

みんな違って、みんな良い。
ちょっと待って、
みんな良い。って本当?

今日仕事で多様性のお話が出てきて、
これが頭に浮かんできた。

みんな違って、みんな良い。
多様性を認める言葉としては、
語呂のいい言葉で完璧。だけど、

私はこの言葉が好きじゃない。

甘えに聞こえてくる。

もちろん多様性を認めることの
重要性は理解しているつもりだし、
私自身、いろいろな分野で
マイノリティになることはある。

ただ、ここで言いたいのは
多様性の尺度で測っていいものと
測っちゃいけないものがあるのでは。

ということ。

少なくとも、努力で変化する能力値に
多様性の言葉は合わせるべきじゃない。

学校のテストで100点だった。
ある人は60点だった。

その差を多様性だけで語るのは
間違ってる。と私は思う。

ここから私の体験談になりますが、

私は小学5年生まで
驚くほど勉強ができなかった。

でも、進学塾に通っていて
周りの状況をみて中学受験を決め、
到底届きそうもない志望校を選んで、

どうしても受かりたかった。

6年生の夏休み前、塾の先生に言われた
夏休みの40日間×24時間を
どう使うかで何時間の差がつくか、
分かるよな?と子供騙しの言葉。

これを真に受けて必死に勉強しました。

結果、夏休みで偏差値7あがり、
停滞したものの冬休みでも5あげて、
志望校に合格しました。

まだ12歳、幼いながらも
友達と遊ぶ時間、寝る時間を削って
辞めたいと泣きながら勉強した経験は
私にとって大きなもので。

それから比較的どこに行っても
ほんと賢いよね、頭良いね、と
言われるようになりました。

それだけならいい。嬉しい。

だけど、私は頭悪いからさ、とか
私はそういうのじゃないから、とか。

余計な言葉が付いてくることが殆どで。
これっておかしいと思いませんか。

他人の努力を
個性の一言で無かったことにする。

その個性が無い私は無理。と決めつけて
それ以上の努力を怠る。

本当におかしな話だけど、海外に比べて
日本ではこのおかしな話が通りやすい。

どこで努力するのかとか、
どんな方法で努力するのかとか、
そこに多様性はあると思います。

勉強は苦手だけど、芸術は強い。
スポーツは苦手だけど、勉強はできる。
夜遅くまで起きて頑張るのは苦手だから、
毎日通勤通学のタイミングで頑張る。

それこそ、
みんな違って、みんな良い。
じゃないですか。

何も、私より勉強が苦手な人に対して
私は努力でできるようになったから
あなたも努力すればいいじゃない?
なんて言ってません。

凄いね!と言うのであれば、
凄いね!で終われない?と言いたい。

あなたはこれが出来て凄いね!
私はこっちで頑張るね!
それじゃダメなの?というお話です。

なかなか難しいですが、これまで
賢いね!もとの頭が違う、ずるいわ
なんて言ってくる人達に

私の努力を全部無くされたような、
そんな気がして悲しくなったことが
沢山あります。

絶対この悲しい思いをしてる人、
私だけじゃないと思うんです。
かなりたくさんいると思います。

少しでもそんな人達に
届けばいいなあというnoteでした。

余裕がなくなって、
久しぶりの投稿でしたが、
この辺で。


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