掛け値なしの愛の居場所(テレビドラマ カルテット感想)
人を好きになるのって楽しいけど悲しい。そういうものだと私は思っている。
私も人間なので、ときには誰かを好きになったり、好意に応えようと努力したこともある。でもなんだか愛ってそんなに交通整理がうまく出来てないもので、好きだったはずなのになんだか冷めた気持ちになったり、ときには好意に不安さえ感じてしまうときがある。好きって言葉にすればたった二文字なのに、行動で示そうとするととてつもない労力が必要なんですね。
そんな好いたり好かれたりする人間関係になんだか疲れてしまったり、冬の寒さにも嫌気が差したので、もう何度目になるか分からないカルテットを観ることにした。
おそらく疲れて元気を出したいときって、もっとハッピーでポジティブなものを見たほうが良いのかもしれないけど、今の私にはカルテットのような優しく背中をさすってくれるような作品の方が合っていると思っている。それに作中だとほとんど冬だし、軽井沢で雪積もってて、なんだか今見るのにぴったりだし。
カルテットの主役4人は、みんなそれぞれなんだか面倒くさいけど、とても楽しくて、愛おしい。足りないところをお互い補い合ってて、傍から見ればいびつかもしれないけど、なんだかとっても素敵なバランスの4人だと思う。
私は4人それぞれにちょっとずつ共感して、好きになって、それぞれの片思いを応援したくなってしまう。でも思いは届いてほしくない気もしていて、この片思いの楽しい時期が、まるで学生の思春期の頃のようなむずかゆさもどこか感じられる。作中で、片思いは1人で見る夢なんて表現されていたけど、まさにそんなみんなの夢を覗き見しているみたいな、そんな楽しさもあった。
カルテットは、大人たちが好きなものを好きだと言って、ときには悪ふざけして、でも自分の本当の気持ちはそっとしまってしまう、大人になりきれない大人みたいなところが、きっと感情移入させてしまう一つの要素なのかもしれない。
みんなあんなに相手のことが好きなのに、思いは伝えようとせず、相手のことを第一に考えて行動してしまう。片思いのままだけれども、相手のことをそれだけ思えるっていうのはとても素敵なことですよね…。好きって言葉にしなくても、その行動から好きって気持ちが溢れているのだから。そしてそれが肝心の相手には伝わってないもどかさもまた良い。
私は4人のなかで特にすずめちゃんが好きで、いつもちょっと泣きそうなあの声とか、気持ちが隠しきれてない行動とか、見ていると本当に別府さんが好きなんだなあと分かって、しかも真希さんのことも好きで、自分の気持ちに蓋してることが分かってしまうから、その気持ち分かる、とも思うし、こんなに頑張っているんだから報われてほしい、とも思ってしまう。ただカルテットのみんなに愛されているすずめちゃんがとても幸せそうで素敵なので、このままでもいいのか…と思わせてしまうところもある。それに結論なんてなくてもいいのかもしれない、そんな素敵な恋をできたってことの方がもっと大切なんだと思う。
カルテットのみんながおいしそうにご飯を食べたり、ふざけあったり、並んで歯磨きしたり、そんななんてことない行為に普遍的な愛情を感じる。人と暮らす楽しさってこういうことだよね、みたいな。結婚に限らず、こういった誰かとの時間が人生を豊かにしていくのかもしれない。
私も今度誰かのためにご飯を作って、くだらない話をしてみたい。なんなら寝落ちして、翌朝やってしまったね、なんて笑いあえる相手がいたらいいな、なんて思った。