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就活の闇

浜松市で音楽教室をやっています。リトミックからバンド演奏、コーラス、音響、打ち込みなどなど、2才から18才(高校3年生)まで、子どもがやりたいことをどんどんやらせています。

2才から18才まで、子どもがどんな風に育っていくのか、親が何を考え、どう接していくのか、ずっと横で見てきました。また、卒業した後、大学進学や就職をしても手伝いや相談に帰ってきてくれます。

それから、若いお母さんたちの子育ての悩み相談に乗ることもあります。そこから派生して、今は「生きる力をつける親の会」として、子どもを自立させる子育てについて、全国に向けて発信しています。

そんな活動の中、日々、危機感や疑問を感じることがあります。これは、子育てをたくさん、俯瞰して、しかも継続的に見ているわたしだから見える景色だと思います。多くの親には見えていません。もしかしたら、「そんなはずはない」と思われるかもしれませんが、泣く子どもを少しでも減らしたいので、書いてみようと思います。


就活をしなかったら友だちがいなくなりました

わたしはバブルが弾けた直後、突然訪れた就職氷河期に大学を卒業しました。

大学にいる間、何を考えていたかというと、ひたすら「どう生きたいか」「何をして働きたいか」ということでした。それで、興味のあることを片っ端からバイトしてみました。テレビのアシスタントもやったことがあります(今では黒歴史)。

幼い頃からエレクトーンを習っていて、「先生じゃなくて、街角で演奏するデモンストレーターになりたい」と思っていました。(たくさんある夢のうちのひとつでした)

大学3年生のとき、電子楽器メーカーのローランドで、店頭販売のアルバイトを始めました。土日、楽器店に派遣されて、お客様に電子ピアノを弾いて説明して、販売するお仕事です。最初は憧れのデモンストレーターになれる!と始めたバイトでしたが、やっていくうちに、わたしは自分の才能に気づきました。

そう、めちゃくちゃ売れたのです!

勝手に製品を勉強して、説明できる機種がどんどん増え、売り上げも上がり、できる仕事も増えていったので、大学4年生の頃には、あらゆる仕事のトータルで、月40万くらい稼いでいました。のちのち、大阪本社で(たぶん経理などのお仕事をされている方々の間で)「名古屋にすごいアルバイトの子がいる」と話題になっていた、と聞きました。

すごく稼げただけではなく、その頃にはすっかり販売接客の面白さに魅了されていました。マーケティングや販売、接客について、自分でどんどん勉強していまして、ますます売り上げが伸びました。

ものすごく面白い仕事に出会え、やりがいがあり、暮らしていくのに十分な収入があるのに、これからなぜ全く知らない会社に就職活動しなくちゃいけないのか、大学4年生のわたしにはその意味が全く分かりませんでした。

それで、「このままローランドでバイトします」と言って、就活をしませんでした。「バイト」という身分について、何の不安もありませんでした。なぜかというと、わたしに「電子ピアノを売れる」という技能がある限り、たとえバイトでもローランドという会社からしたら、わたしはとても役立つ人間だから、簡単にはクビにならないだろうと思っていたことと、その頃には「セールス実績」という武器があったから、どんなことでもして食べていける(わたしにお金を払う会社は山のようにあるだろう)と思っていたからです。

その頃は知識がなかったけど、つまり、「フリーランスで生きていく」と決めたんですね。

当時、味方はひとりもいませんでした。親はもちろん猛反対、ローランドの先輩からもやんわりと諭され、何より、大学の友だちからは「何甘いこと考えてるの、そんなのでいいと思ってるの?」と、何時間も説教されたりしました。本当に友だちがいなくなりました・・・。

みなさんの言い分は、「安定しない」とか「保険が」とか、「大学の勉強を無駄にするのか」ということでした。

わたしは、既に国民保険と国民年金を支払っていたし、確定申告で税金も納めていたし、「何をしたって稼げる」と思っていたから、なぜ、誰もがそんなに脅すのか、本当に分かりませんでした。なんなら、いくら稼いだらいくら税金や保険がかかるのか、もう知っていましたから、不安の要素がありませんでした。

大学ではフランス語を学びましたが、そのおかげで、「一生、フランス語で仕事をするほど好きじゃない」ということが分かりました。趣味でフレンチポップスを歌えればそれで満足だったんです。今でもフランス語は嫌いじゃないです。独身の頃は「NHKフランス語講座」で熱心に学び続けてました。それから、ローランド時代にもリトミック講師になってからもフランス語の知識を仕事に役立てたことがあります。だから、全然無駄にはしていません。ただ、大学で学んだことを上回る能力と興味が他にあることに自分で気づいた、ってことです。

最初はバイトでしたが、勝手にどんどん勉強して、できることが増えていき、実績も上げていたので、浜松の開発部から「正社員にならないか」と声をかけていただきました。(当時、そんな風に声をかけていただいた上司やそれを提言してくださった社員さんには本当に感謝しています)

その頃、わたしは、「電子楽器をたくさん売りたい」から「電子楽器を作りたい」に変化した夢に加え、「電子楽器を使って子どもに音楽を教えてみたい」という新たな夢も持っていたので、「自由に働きたいので、正社員にはなりません」と答えました。そうしたら、年棒制のスペシャリスト契約というシステムを用意してくださって、1年間、どこで何やっててもこの金額がもらえる、ただし、年度終わりに成果が出せていなかったらクビ、という契約にしてもらえました。

このシステムは、わたしには最高でした。クビになることは全然怖くなかったです。クビになったらどうしようとは全く思わなかった。「クビになったら別な面白いことを見つけて働けばいいや」と思っていました。若さゆえの無謀さかもしれませんが、別にいいですよね、それが若さ、未熟さ。わたしひとりが路頭に迷うくらい、若さで乗り切れる!

成果の表し方として、いつも「相手が思っている半分の時間で仕事を上げる」ってことと、「求められたものに少しだけ付加価値を付けて提出する」ということを心がけました。

わたしは販売実績では学生ながらローランド社内でも相当だったと思うけれど、それ以外はただの未熟な世間知らずだということを自覚していました。だから、突拍子もないことをやって空回りしても成果は出ない、というか、「会社の求める成果」なんか、社会人新人のわたしに分かるはずがないと思いました。だとすると、「時間の短縮」は誰がどう見ても成果だろうと考えました。単純に、人件費が半額で済みます。

それと、「(余計なことをせずに)会社が求めるものを正確に提出する」、これが求められていることだと思ったので、そこに「本質から外れない付加価値」を付け加えても、大外しはしないだろうと考えたんです。

就活は本当に必要だったのか

その後、次々、やりたいことを実現していって、今はローランドのメルマガを書きながら、音楽教室を会社にして社長をやっています。

仕事が嫌だと思ったことは一度もありません。ずっと楽しいです。
ときどき、飽きて「別なことしたいなー」と思うことはあります。でもそれも「きっと楽しいだろうなぁ」がベースです。

ストレスも苦労も、悩むことも行き詰まることも、失敗してすっごく怒られたことも、もちろん何度もあります。愚痴ることも泣くこともありました。でも、基本的にやりたくてやっていることなので、「次に向かって解決する」のみです。辞めたくて辞めた仕事はひとつもなくて、いつも「次にやることが見つかって」やむなく卒業、みたいな感じです。

仕事が大好きです。やりがいがあります。達成感、充実感もあります。
生徒のため、保護者のために動くことで、社会に貢献している満足感もあります。我が子の未来に投資するために収入を得ていることが生きがいにもつながります。何より、楽しいこと、やりたいこと、好きなことをやり続け、自分の力で得た収入であるという自信もあります。

あの頃、就活に翻弄した同級生たちは、今、どこで何をしているでしょうか。貴重な1年間を費やした会社に今も勤めている友人はほとんどいないのではないでしょうか。

当時、さんざん責められた「安定」については、別に困りませんでした。チャレンジしたことにより、一時的に収入が下がることもありましたが、日本は、手厚い社会保障制度があり、なったなりの生活ができます。収入が低ければ医療費と税金が格段に下がり、高くなると多く取られます。結局、年収200万から800万くらいだったら、あんまり生活は変わらないんじゃないかと実感しています。特に贅沢な暮らしに興味のないわたしにとっては、本当に同じでした。

ほんとに、日本は適度に暮らしていける制度がこれだけ整っているのに、なぜ、みんな「安定、安定」って言うんでしょう。「安定」って脅す人たちの中で、「不安定な生活」を本当にしたことがある人はいるのでしょうか。わたしには、とても快適な家の中から一歩も外に出ず、危険な目にも一度も遭ったことがないのに「外は危険だ、危険だ」と騒いでいるようにしか見えません。

問題は、この「危険だ、危険だ」を、危険な目に遭ったこともない大人が、未来ある若者にさんざん言ってしまう、ということです。

他人には言わないかもしれませんが、自分の子どもには、日々、無意識のうちに「安定しないことは危険」という考えを、植え付けてしまっていると思います。

わたしはずっと外にいました。外は全然危険でもなんでもなくて、楽しさと魅力に溢れていました。そこに30年間身を置いていると、「自信」を手に入れることができました。全く後悔することはありません。

さんざん脅され、怒られた、あれは一体、なんだったんでしょうか。何が根拠だったのでしょうか。今となっては、全く分かりません。

就活の問題点

今、わたしの元生徒たちがまさに就活中です。

わたしが感じている、就活の問題点を挙げてみたいと思います。

■幸せはカタログの中にはない
新卒を募集している会社の中に、自分の幸せな道が用意されているとは限らない。

何をやったかは実は関係ない
就活で聞かれる大学での実績は仕事に直結しないし、それで評価されて入社するわけじゃない。重要なのは「何をやりたいか」。

新卒にはそんなにブランド力はない
会社は優秀な人材を他に取られないうちに確保したいだけ。新卒じゃないと働けないってことじゃない。

大学生に会社のことなんか分からない
初任給/福利厚生/先輩談で、会社の本当のところは分からないし、ましてや大学生に判断できることじゃない。

選んでいるのは就活生じゃない、会社だ
当たり前だけど、会社は個人の幸せを用意しているのではなく、優秀な人材を選んでいる。

社会人のスタートは入社ではない
社会人とは、「雇われること=安泰」ではなく、経済的・生活的に自活しながら、自分の幸せを自分で確立し、政治・経済などの社会活動に参加している人のことだと思う。

女性のキャリアが断たれるのはなぜか
社会が女性の進出を阻んでいるというより、むしろ、女性が続けたい職に出会っていないのではないか。

進学校に行くとなかなか道を外れられない
若者がやりたいことにチャレンジできないのは、相変わらずいい高校→いい大学→いい会社の安定した道こそ幸せだと、大人が刷り込むからだ。

わたしは、就職を自分の生き方として捉えるためには、「親が」、子どもが好きなこと、やりたいことにチャレンジするために、幼い頃からずっと一貫して背中を押し続けることだと思います。

就職=雇われる=安泰、ではなく、やりたいことを一生続け、社会に貢献する喜びを得ること、雇われるだけではなく、いろんな形、いろんなチャンスがあり、少なくとも日本ではたいしたリスクはないということを、大人が教えなくてはいけないと思います。

ひとつずつ、その根拠をお話したいと思います。

幸せはカタログの中にはない

子どもたちは、「就活」以外に社会人になる道を知らないので、自分の大学から行ける範囲、自分が入れる範囲の会社をカタログのように広げられ、その中から選ぶことになります。

限られた範囲の中から、「行けそうなところ」「できそうな仕事」を選んでいるように見えます。

その子の本当に幸せは、そのカタログの中にあるのでしょうか。

わたしが「販売接客」に才能があり、好きだ!ということをやってみるまで全く知らなかったのと同じように、大学3年生の時点で「自分に何ができるか」で選べる範囲なんて、本当に狭くちっぽけな世界です。その外側に、どんな世界が広がっているか、子どもたちは知りません。見たことがないから。

でも、広い世界を見たことがなくても、子ども自身が確実に基準として持っているものがあります。

それは、「自分がどう生きてきたか」「どう生きていきたいか」「何が好きか」「何をやりたいか」ということです。

これは、カタログには書いていません。誰かが提示したものの中にはないのです。外に出てみれば、いくらでも道はあります。大人には分からないかもしれないけど、子ども自身が「好きだ」と思っていることに賭けるエネルギーや情熱を甘く見てはいけないと思います。

わたしの生徒で、「刺繍作家になりたい」と言っていた子がいて、周りの大人はみんな「それでは食べていけない」と止めました。でも、その子によくよく話を聞いてみると、刺繍の世界、どんな作家がいるか、どんな活動をしているか、たとえば今どんなことができるか、次々、アイデアを持っています。刺繍が好きではないわたしとは比べものにならない、知識量とアイデア量と、何より「実現したい」というパッションがあります。

大人は、このことを甘く見過ぎています。

就活で「こんな風に自分をアピールするんだよ」と習ったセリフより、ずっと生き生きと、「あぁ、それはきっと実現するね」と思える情熱で語ることができるのです。やったこともない大人がなぜ「そんなのでは食べていけない」と言えるのでしょうか。

その子は何も「初めから刺繍一本で月に20万円稼ぐ」とは言っていません。もし、月に収入が1万円だったとしたら、そのまま何もせず凍え死んでしまうような子ではありません。なんらかのバイトをして収入を補充して、好きなことができるように工夫できる子です。それを追求していったら、もしかしたら月に100万円の安定収入を得るようになるかもしれない。そんなことは、就活に関わる大人は誰も知らないはずです。

就活の問題は、誰もそのことを子どもに教えてやらない、ということです。つまり、「あなたはあらかじめ社会で生きていける情熱を持っているんだよ。それをやってごらん。そんな道もあるよ。ダメならまた考えたらいいじゃん」ってことです。

何をやったかは実は関係ない

就活中は、ちやほやと、就活生の経験を聞いてもらえます。子どもたちは、自分のやってきたこと(大学での学びやボランティア、部活での活躍など)をまとめて報告します。

子どもたちは、きっとそれが実績となり、仕事につながっていくのだと思っています。自分の能力として認められたから、入社できたのだ、評価されたのだと思っています。

でも、働いたことのある大人はみんな知っているはずです、実はそれは全く仕事に関係ない、ということを。でも誰もそのことを子どもに教えません。だから、子どもたちは「何をやったか」を必死で集めてアピールします。

自分の「現時点での出来」を評価されていると思っているから、入社してから「なんもできない自分(当たり前)」に愕然とし、悩み、苦しむのです。

本当に必要なのは、「何をやったか」ではなく、「何をやりたいか」です。自分にしかない、確固たる「何をやりたいか」はどこにあるか。今まで「何が好きだったか」の延長線上に、ものすごい武器として存在しています。誰にも強制されていないのに夢中でやってきたこと、それが立派なボランティや活動や部活じゃなくてもいい、その情熱が社会人になって初めて出会う苦悩から自分を救います。

新卒にはそんなにブランド力はない

今、新卒って、そんなに重要ですか?大企業は新卒しか採らない、と聞きますが、中途で入っている方も何人もいます。実際、どうなんでしょうか。

わたしは、「やりたいこと」が軸にあれば、新卒だからって何かが優位に働くことはないと思っています。でも、あんまりにも世の中「新卒で就職」がもてはやされているので、自分に見えている世界は幻なのか?と思ってしまうほどです。

実際、周りで楽しく仕事をしている人に話を聞くと、全然「新卒が素晴らしい」「就職に有利」「よりいい会社に入れる」なんて誰も言っていません。

本当のことはどこにあるのでしょう。少なくとも、就活生は「新卒にこそ意味がある」と思って、必死で限られた時間内で「自分にぴったりな会社」を探しています。

新卒なんか、言うほどブランド力はない、2〜3年、やりたいことを試してみたって、たいした遅れは取らないと言ってあげる大人はいないのです。

大学生に会社のことなんか分からない

就活生(主に大学3年生)は、就活で後悔しないために、「会社について調べる/知る」ということを熱心に指導されます。

わたしは、「大学3年生にこの会社がどんな会社か分かってしまうようなことは絶対にない」と考えているのですが、みなさんはどう思いますか。

わたしだって、同業他社の本当の実情なんて、調べたって分かりません。せいぜい、公表されている数字、SNS、噂レベルです。企業秘密の経営の方向性なんて、絶対に誰にも漏れません。ましてや、大学3年生、社会にも出たことがない子が理解できる範囲なんて、たかが知れています。

本当のことは、入ってみるまで絶対に分かりません。それなのに、大人はそのことを教えません。だから、「この会社をよく調べたからきっとこうだろう」という思い込みと、現実のギャップに「こんなはずじゃない」って思うんだと思います。

調べるといっても、せいぜい初任給、福利厚生の充実、先輩の話などです。楽しく充実した仕事をしている人は誰も、数万円の初任給の差や福利厚生、他人の体験談に左右されていないと思います。

先輩の話は、ならいごとの体験レッスンに例えると分かりやすいと思います。

わたしの教室に入ってほしいと思ったら、「体験談」として誰の話を載せるでしょうか。この教室が好きで、満足して通っている方の話「だけ」ですよね。もし、「こんな教室に入るんじゃなかった、今でも後悔しています。やめた方がいいですよ」という体験談も載っているパンフレットがあったら見てみたいです。

会社はいわば「体験」だから、何か商品のアマゾンレビューのようなわけにはいきません。100人が「良い」と評価しているから自分も良いとは限らない。

入る前は良いことしか言いません。入ってほしいから。でも、入ったあと、その人自身がどう感じるか、それは誰にも予測できないんです。自分しか分からない。自分で考えるしかないんです。そうしたら、材料は初任給でも福利厚生でもない、自分がどうしたいか、何がやりたいかです。

やりたいことがあって入社していたら、予想外のこともギャップもポジティブに捉え、「そうきたか!」とワクワク楽しめると思います。

選んでいるのは就活生じゃない、会社だ

就活では、「自分が」会社を選んでいるかのような錯覚を覚えます。就活マーケットがそのように持っていくからです。

でも、冷静に考えて、そんなはずはないのです。

実際には、会社は「いかに優秀な人材を選ぶか」にお金も労力も費やします。選んでいるのは就活生ではない。会社が就活生を選ぶのです。当たり前です。

就活生は「選ばれるための材料」を用意します。たったの一瞬、たったの一部の材料で、正確に就活生の人生を把握して、幸せな道が用意されるわけがありません。

大事なことは、とにかく「自分」だと思います。「自分がどう生きていくか」「何がやりたいか」、それが実現できる会社かどうか。しかも「会社がやらせてくれるかどうか」ではなく、「なんとしても実現するまで情熱を持ってチャレンジできるかどうか」、就活はどこまでも自分軸だと思います。

社会人のスタートは入社ではない

就活生たちは、社会人のスタートは「入社」だと思っています。だから、就活は「入る会社を選ぶこと」だと思っています。

多くの場合、社会人=会社員だと思っていると思います。

なぜか。
周りの大人がそう教えるからです。
社会人といえば、「雇用された状態」だと教えている。

「なるべく良い会社を選ぶ(良い会社の定義はいろいろだとしても)」ことが、将来の幸せに繋がる、となぜか教え込まれています。

それはめちゃくちゃ他人軸な生き方です。良い会社だったはずが、社長の交代により、全く別物になることはよくよくあることで、一般社会人なら誰でも知っています。なのに、なぜ、そのことを現実として教えてやらないのでしょうか。それは、あいも変わらず、大人が「雇われることこそ安泰、安泰こそ幸せ」と信じているからです。

わたしは、社会人とは、経済的・生活的に自活しながら、自分の幸せを自分で確立し、政治・経済などの社会活動に参加している人だと思っています。「入社」は全然大きなタイミングでもきっかけでも、ましてや「幸せをくれる約束」でもありません。

女性のキャリアが断たれるのはなぜか

わたしは、たくさんの若いお母さんに出会います。お仕事を辞められたお母さんも多いです。

おひとりおひとり、キャリアがあったはずです。子どもの頃から、高校受験をし、専門学校や大学などへ進学、もしくは就職。なんらかのお仕事をされてきた方が多いと思います。しかも、長い人生から考えたら、ほんの数年前。何年もかけて積み上げて入社した会社があったはずです。

ところが、出産でそのキャリアが断ち切られ、ある程度子どもが大きくなった時に同じ会社、同じ仕事に戻られる方はとても少ないと感じています。

きっと、入社するときには「女性の活躍」ということもひとつの条件として調べたのではないでしょうか。

キャリアを断ち切られ、全く別な仕事にリセットしたのは会社のせいでしょうか。社会のせいでしょうか。

わたしは、それよりもっと多いのは、実は「お母さん自身が、さほど前職に戻りたいと思っていない」のではないかと思うんです。子どもを保育園に預けてまで、鍵っ子にまでしてやりたいと思っていない。

だとしたら、なんのための就活でしょう。その時間をもっと自分を見つめる時間にし、たとえ収入が少なく、会社員というポジションじゃないとしても、出産後も楽しく無理なく続けられるキャリアはなんだろうかと、人生という視野で考えることはできなかったのでしょうか。

まぁ、できなかったと思います。なぜなら、その現実を誰も教えてくれないからです。最初から「数年でやめよう」と思っていなくて、真剣に「ずっと勤め続ける」と思って選んだ会社、女性が働きやすい会社だとしても、重要なのは「そうまでして続けたいのか、やりたいのか」ということです。その、自分に向き合う作業にこそ時間を使うんだよ、と誰かが言ってくれたでしょうか。

進学校に行くとなかなか道を外れられない

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