読書について考えていたらいつの間にか人生について考えていた
読書に関する本を読んだ。
荒木博行 『自分の頭で考える読書』 日本実業出版社, 2022.
ショウペンハウエル 『読書について』 斎藤忍随 訳, 岩波文庫, 1960.
外山滋比古 『異本論』 ちくま文庫, 2010.
3冊それぞれの書評はいずれ書くつもりであるが、今回はこの3冊を読んでいろいろ考えたことについて書く。
『自分の頭で考える読書』では、「本は読み手によってはじめて命を与えられる」ということが述べられる。ほとんど文字情報のみで構成される本は、映像媒体などと比べて、ある意味で情報量が少ないが、それは情報の受け手にとって五感的、時間的な余白が生まれるということでもある。
余白が大きいからこそ、本を読んだ時のタイミング、コンテキスト、コンディションなどによって、コンテンツの味わいが変ってくる。つらい時ほど深く刺さることがあるかもしれない。
『異本論』でも似たようなことが述べられる。
本のこの特性について、『自分の頭で考える読書』と『異本論』の両方で、楽譜に喩えているのが面白い。すなわち、楽譜というのは奏者の演奏によって初めて音楽が奏でられるが、本も同じ構図があるという。
『読書について』では、読者が本の内容をそのまま受け取るのではなく、各々の読者が、自身の精神に合わせて、形を変えて取り込むということが述べられる。
『異本論』ではさらに、本だけでなく芸術全般がそのような特性を持つことが示唆される。
本は物体ではなく現象である。読み手に読まれ、解釈を与えられることにより、形をなす。これは本だけでなく、この世のあらゆるものについて同じことがいえるのではないかと思った。人間は五感を通じて物体を認識し、感覚器官の反応を脳でとらえ、言語などを使って解釈する。あらゆるものはそのまま受け取られるのではなく、それらが発するメッセージを受信者が解釈することで、初めて意味が付与される。
大乗仏教では、真理(仏性)は万物に宿っているとされる。それを真に悟ったとき、「色即是空、空即是色」の境地に至る。それまでの大乗の教えと異なり、密教では法身(真理そのもの)も教えを説くというが、万物=法身ということを悟った境地においては、それが理解できる。すなわち、万物は認識を介して受信者にその意味を解釈されるので、それが「ある」というだけで、メッセージを発信している=真理を説いていることと同義となる。すべては受信者次第なのだ。
『読書について』では、無闇に新刊に飛びつかずに、普遍的な良書を読むことが推奨される。
一方、すべてが読者次第であるなら、悪書などというものは、本質的に存在しないのではないか。良い・悪いはただの解釈の1つでしかない。
私は常々「働きたくない」といっているが、「労働=悪」という図式も、解釈の1つに過ぎない。絶対悪などというものは存在しない。仕事をしているからこそ、余暇の時間が輝くといった面は必ずある。すべては関係性の中で成り立っているのだ。
読書について考えてみたら、どこか遠いところまで来てしまった感じがする。これは誤読かもしれないが、1つの解釈ではある。願わくばこの記事が新たな解釈を生み出さんことを。
書籍情報
荒木博行 『自分の頭で考える読書』 日本実業出版社, 2022.
https://www.njg.co.jp/book/9784534059017/ショウペンハウエル 『読書について』 斎藤忍随 訳, 岩波文庫, 1960.
https://www.iwanami.co.jp/book/b246769.html外山滋比古 『異本論』 ちくま文庫, 2010.
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480427496/
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