世界をシンプルに捉えることの危険性。様々な尺度から考えることの大切さ【『戦争の地政学』読書感想文 】

本の概要

本書はまず地政学がおこった歴史的経緯の説明から始まるが、ここでは割愛する。

そもそも「『地政学(Geopolitics)』とは、地理的(Geographical)事情を重視して政治(Politics)情勢を分析する視点」(p.8)であり、特定の学問分野ではない。地政学の理論的な枠組みとして、英米系地政学と大陸系地政学の2つがある。

英米系地政学は、「ランド・パワー(大陸国家)」と「シー・パワー(海洋国家)」の対立という二元論的な世界観をもつ。
ユーラシア大陸中央部には「ハートランド」と呼ぶべき特殊な地域がある。ハートランドは背後に北極があるため、北からの侵入を受けない。しかし大洋に通じる河川を持たないという弱点もある。ハートランドに位置する政治共同体、ランド・パワーは、不凍港を求めて南への拡張政策を取る性格を持つ。
これに対し島嶼国家群であるシー・パワーは、すでに大海へのアクセスを持っている。ランド・パワーが大陸を制覇すればシー・パワーは大陸へのアクセス権を失うため、シー・パワーは国家間の同盟関係を築き、ランド・パワーを大陸内部へ封じ込める政策を取る性格を持つ。
大陸と大海の境界である半島部分は「橋頭堡」と呼ばれ、ランド・パワー、シー・パワー双方にとって重要な地域となる。橋頭堡を巡るランド・パワーとシー・パワーの対立構造こそ、英米系地政学がもたらす視点である。

一方、大陸系地政学では、世界は4つの圏域(汎アメリカ圏域、汎ユーラフリカ圏域、汎ロシア圏域、汎アジア圏域)に分けられ、それぞれの圏域(生存圏、広域圏とも)における覇権国家どうしが秩序を維持するという多元論的世界観をもつ。同一の圏域内の国家どうしは互いに生存圏を競い合うことになる。また、圏域の境界は、それぞれの圏域の覇権国家どうしの戦争地帯となりうる。

本書は、以上2つの地政学の観点から、過去~現在の紛争を俯瞰していく。

感想

これまで学んできた世界史について、地政学の視点に当てはめると、別の見方ができて面白かった。同時に、世界をシンプルに捉えてしまうことの危険性を感じた。
著者も述べているが、「個々の具体的な武力紛争は、さらに具体的な事情に応じて、発生する」(p.161)ものだが、地政学の視点に当てはめると、単純な構造に落とし込むことができてしまう。これにより、自国の政策を地政学の観点を借りることで正当化することもできてしまうと考えられる。
例えばプーチン大統領は大陸系地政学の観点から、ロシアはNATOにより生存圏を脅かされているという世界観を自他国民に向けて説明していたかと思う(要出典。たしか「『帝国』ロシアの地政学(小泉 悠, 2019年)」とかに書かれていたと思う)。

世界を「こちら側」と「あちら側」の単純な二元論的世界観で解釈し、対立を煽るのは、プロパガンダの主流な手法である(参考: 「戦争プロパガンダ10の法則」(アンヌ・モレリ, 2002年))。

現代世界の紛争の状況を構造的に理解するために地政学的な視点は役立つが、地政学的な世界観により個々の紛争が発生しているわけではないことに注意するべきだ。

同じ事象であっても英米系地政学と大陸系地政学では見え方が異なる場合がある。
著者が「地政学は、(中略)根本的に異なる世界観を持つ人々が、世界観をめぐるレベルにおいてこそ争っている様子を、明らかにするのである」(p.209)
と述べる通り、様々な戦争が世界観の違いにより発生していることがうかがえる。
この世界観の違いにより発生する争いは、国家間だけではなく、個人間においても日常的に発生しているように思える。
最近「コード品質はやはりビジネスに影響を与える」という記事を読んだが、エンジニアとビジネスサイドの人間のすれ違いは、まさしく世界観の違いによるものだろう。

多くのエンジニアはコード品質が与えるプロジェクトの影響を、何となく理解していると思う。しかし、そのことをビジネスサイドの人間――エンジニアとは別の世界観を持つ人間――に理解してもらうには、彼らの世界観に沿って説得を試みる必要がある。
議論を始めるためには、まずは世界観を共有しておかなければならない。

世界観を異にすることによって生じる軋轢について考えたときに、コテンラジオ番外編#84で話されていた内容を思い出した。何か概念を生み出すと、その概念に当てはまるものと当てはまらないものの2つが生じるため、その特性上、人間は必ず対立構造を生み出してしまうという仮説である。

この仮説に従えば、対立は人間特性から生じる問題であるため、完全に解消することはできないが、緩和する方法はある。その方法は、各人が様々な尺度を持つことであるという。
非常に困難なことではあるが、各人が様々な尺度から事象を検討できれば、より良い解決策が生まれうる。社会レベルでいえば容易には実現できないであろうが、個人レベルであれば実践していくことはできる。
先に述べた内容の繰り返しになるが、有意義な議論のためには、世界観の共有は必須である。


参考資料

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