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決断の3月

34歳になったばかりの3月上旬、受診の日がやってきた。
今日こそ、先生に告げる。

2月の下旬も、大量出血に襲われた。
鉄剤のおかげで貧血症状は和らいだが、予測できない出血に怯え苦しむことには変わりなかった。
しかし幸か不幸か、世間はコロナ禍。
会議も飲み会もなく、尻から血を漏らすことを恐れて人付き合いを避けるようなことはせずに済んだ。
ズボンの尻を血で汚すことは、ウンコを漏らすよりも恥ずかしい。
ウンコは赤ちゃんでも老人でも漏らすが、経血は大人の女しか流さない。
それを漏らしてしまえば、"大人の女にしか起きない現象を御しきれない幼稚なやつ"と思われても仕方ない。
便器の中を真っ赤に染めるたびに、早くこの苦しみから逃れたいと思うばかりであった。

「どうですか、出血、続いてますか?」
入室一番、主治医に訊かれた。
「ええ、先週までかなり出血して、大変でした」
「あーやっぱりねー、周期みたいのが重なるんだよねー」
タタタターンとカルテに打ち込む。
「それで、手術の件…どうですか?」
きた。
「はい、やはり子宮を取っちゃいたい、と考えています」
「いいんですか!?本当にいいんですか!?むしろこっちが『いいんですか?』って感じですよ!?」
笑いながら先生は訊いてくれるけれど、失望しているんだろうなぁ。
「ええ、いいんです。色々考えたんですけれど、出血だったり再発だったり、子宮を残しておくことのリスクがあまりにも大きいな、と…」
落ち着け、私。
自己中心的な言葉にならないように、でも可哀想な被害者ヅラはしないように。
ゆっくり気をつけて言葉を選べ。
「筋腫だけ取る手術をしても、また次々できてくるのが怖くて…だから、元から絶ってしまいたいんです」
「ご家族は何て言ってます?」
「家族は、『あんたがつらくないようにしなさい』って言ってくれています」
あ、ちょっと視界が滲んできた。
鼻の奥がつんとする。
「そうですか。ご家族も納得されているのであれば良いのですが…」

主治医、突然の提案

手術のするのなら、と主治医がイスに座り直して切り出した。
「子宮を摘出する手術として、ロボットを使った手術というのがあるんですよ」
へ?
「あ、ロボットっていっても、機械が勝手にやるわけじゃないですよ。ダ・ヴィンチって聞いたことあります?」
「あ、あります」
数年前にこの総合病院に導入されたことは、新聞やニュースで知っていた。
「腹腔鏡の手術だと、医師が道具を手で操作して手術するので、どうしてもブレたりして失敗することもあるんです。
でも、ダ・ヴィンチは身体に入るロボットを遠隔操作するんですが、それだと手ブレも起きないしカメラの映像も3Dなので、細かい作業ができます。
傷も小さくて済むので、術後5日とかで退院できちゃいます」
もしかして。
「今回の手術を、このダ・ヴィンチでやることを提案したいのですが、どうですか?」
ちょっと突然のお話で目がぱちくりとしてしまった。
ダ・ヴィンチは前立腺がん治療のイメージが強かったので、産婦人科でも扱われているとは思わなかった。
まして、主治医がその使い手だとは。
「ダ・ヴィンチには、すごく興味があります」
「子宮の手術にダ・ヴィンチを使うことは、すでに保険が適用されるようになっています。あとは、臨床研究としてですね、その病院での5例目までは手術費用を病院が負担するということになっています」
この説明をするということは、私はおそらく5例目までの中に入っている。
金銭の心配はしていない。
実績があまりにも少ないと、うまくいくのか不安はある。
しかしそれ以上に、この先生ならこの身を捧げてもいい、という気にさえなっていた。
先生の実績の一部として、私の身体が役に立つならば幸い。
「もしロボット手術が不安であれば、普通どおりの手技による腹腔鏡手術もできますが」
「安全な方法であれば、何でもかまいません」
「だいじょうぶ!もちろん安全性は担保した状態でやりますから!」
互いに笑った。
事実上の承諾だ。
ロボットでの手術、お願いしようじゃないですか。

入院日、手術日がとんとんと決まる。
「保険の手続きがあるので、もしロボット手術をやめて普通の腹腔鏡を希望される場合、早めに連絡くださーい」
そうは言われたが、私の気持ちはもう9割決まっていた。
次回、家族も連れて主治医から手術の説明を受けることになった。

晴れて暖かい日で、病院からの帰り道も足取りが軽かった。

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