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ダ・ヴィンチ子宮全摘出手術11 術後3日目

ダ・ヴィンチという手術支援ロボットを使って、子宮全摘出手術を受けた。
34歳の5月半ばのこと。

寝返りに失敗

朝、6時半くらいに痛みで目が覚めた。
寝返りの際に、うっかりいつもどおり腰を浮かせてしまい、下腹部にビリッと痛みが走る。
この失敗のせいか、朝トイレに行くと、ナプキンが昨日より少し鮮やかに色づいていた。
もしかして、奥の縫い跡に響いてしまっただろうか。
昨日に比べると、平静時のお腹の創の痛みがだいぶ良くなっている。
あっちが引っ込めばこっちが出っ張る。
痛いところは代わりばんこに顔を出してアピールしてくるものだ。

また、目が覚めた。
スマホの時計を見ると、もう7時を過ぎている。
二度寝してしまったか。
「おはようございまーす」
看護師さんが検温をしに、ワゴンを引いて部屋に入ってくる。
「ぐっすり寝坊しちゃいました」
いつも6時台に目が覚めていたので、今日は失敗だった。
「雨の日はみんな眠れちゃうんだわ」
カーテンを開けると、確かに雨だった。
路面が濡れ、白い雲だか霧だかわからないもやもやが低く垂れこめている。
どんよりとしたTHE曇り。
この病室の窓は東向きで、晴れた日は朝日が容赦なく射してくる。
雨や曇りの日はぼんやりと暗いままなので、ついつい身体が目覚めずに眠りこけてしまうようだ。
検温の結果、平熱。

便意、急襲

寝起きに小用を足すだけのはずが、便座に腰かけると同時にお腹がごろごろと鳴り始めた。
腸のトンネルの中を、空気と固体がほぼ同じスピードで駆け抜けていく。
両者が目指す先は…
ガスと一緒に軟らかい便がパフッと出た。
朝、まだ何も口にしていないのにもう便が出る。
昨日のお粥と野菜中心の食事が排出されるころだろう。
消化の良さを実感する。
実はこの日、この後も一日中便意に襲われることとなる。
便座に座るたび、少量ながら排便があった。

朝食

なぜか朝から快便で、8時の時点でお腹ぺこぺこであった。
一昨日までお腹を切られて寝かされていた人とは思えない。

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ごはん、味噌汁、切り干し大根、納豆、ねぎ、さけふりかけ、ミルミル、ほうじ茶。
納豆をいただけるとは思わなかった。
好物なのでありがたく美味しくいただく。
さけふりかけは使わなかった。
納豆についていただししょうゆが美味しかった。
充分な塩味とうま味があるのに塩分控えめ。

病院の食事を摂っていて感じるのは、塩分コントロールの巧みさだ。
味が薄めなのは確か。
薄味好みの私でさえ、なかなか箸が進まないようなものもある。
しかし、あの手この手で塩分を控えながらも、美味しく食べやすく工夫されている。
あの気弱そうで可愛らしい栄養士のおにいさんが考えているのだろうか。
とろみをつけてまとわせる、高野豆腐やはんぺんを味噌汁の具にして吸わせる、出汁を効かせる、柔らかく煮すぎない、汁を含みやすい葉物を使う、など。
一般的な減塩法として知られる酸味や辛味は刺激が強すぎるからか、病院ではあまり使われていないようだ。
数々の減塩テクニックは自分でもいくつか真似できそうだと思った。

向かいのギャルは本日が手術のため、それまで絶食のようだ。
申し訳ないので、あまり音を立てないように静かに完食。
数十年ぶりに飲んだミルミルは美味しかった。
バリウムのように濃厚であった。
また腸が動いた感じがする。

4日ぶりのシャワー

「練りものさーん、今日シャワーの予定でもう入れるんだけど、今行けるー?」
10時ころ、看護師さんがやってきた。
待ちに待ったシャワー!
もう頭痒いわ背中ぬるぬるだわで皮膚を取り替えたいくらい。
「はい、行けます!」
大急ぎで、とはいっても動くたびにまだ創が痛いので傍目にはゆっくりだが、シャワーの準備をする。
タオル大小、石鹸類、身体を洗う用のやすりのようなタオル、替えのパンツをビニールバッグに詰め込む。
「創のところ、強く擦らないようにね。何かあったらナースコールで呼んでくださーい」
替えの新しい病衣も渡され、用意万端。

脱衣所で服を脱いでいくのが、思いのほかつらい。
ズボンやパンツの片足で立ちながら片足を抜くという動作は、こんなにも腹筋を使うものだったのか。
立ちながら靴下を脱ぐのもつらい。
小さな丸椅子が隅に置いてあったが、あんなものの世話にはならねえ。
キツい今こそ、負荷をかけて後から楽を感じたい。
たまにこうした妙なM心を燃やしてしまう。
さて、すっぽんぽんだ。
へそのガーゼも取り、創には細いテープが2本ずつ貼られているだけ。
身ひとつになるとこんなに心細い。

一人用のシャワーブースに入り、ちょうど40℃のお湯を一身に浴びる。
すごくお湯が熱く、強く叩きつけるような感じがした。
久々のシャワーの感覚に、皮膚がまだ慣れていないのだろう。
ここ数日なかったような刺激で、みるみると生きている実感が湧いてくる。
頭から湯を浴びると、頭皮を滑っていくお湯の道に沿って、鳥肌が立つようだった。
こんなに気持ちが良いものか。
全体が濡れると早速シャンプーを手に出し、髪の毛で泡立てていく。
全然泡立たない。
シャンプーを二度ほど追加し、ようやく通常どおりになった。
術後の寝汗まみれの頭が、徐々に清涼になっていく。
頭の泡をまとめて床に落とせば、かなりの量の抜け毛が混じっていた。
次に顔。
クレンジングジェルで脂っぽいところを念入りに撫でる。
鼻のざらつきが少しずつ丸みを帯びていく。
術後1日目にウェットティッシュで顔を拭いただけだったので、毛穴がやっと呼吸を取り戻したようなさっぱりさであった。
泡立ちタオルで身体を洗っていくが、背中などで妙にタオルの滑りが悪くなる。
垢の溜まりを感じ、念入りに擦った。
お腹の創は擦ってはいけないので、タオルの泡を手に取って軽く塗るようにした。
へその穴の奥にも泡が届くようにしてみたが、全然しみなくて安心する。
上半身を洗っているうちは良かった。
股間、鼠径部、太もも…と洗う場所が下がっていくにつれ、屈む体勢がどんどんつらくなる。
腰を支点にするのもつらく、膝を少し曲げて腿の筋肉で支えるしかない。
筋肉の貯金があって、良かった。
どうにか全身にソープの泡を行き渡らせることができ、全てをお湯で洗い流したときにはもう生まれ変わったような気分であった。
乾いたやわらかいバスタオルに身を包み、押し当てるように水分を拭っていく。
磁器の焼成のような過程。
洗うのと同様、脚の下のほうになるほど拭くのもつらい。
洗い立てのさらさらの病衣に着替え、私は病棟で最強の患者に生まれ変わった。古い病衣をスタッフステーションに返し、ランドリー室で髪にドライヤーをかけた。
髪の毛がいつもの調子を取り戻していくのがいちいち嬉しかった。
病室に戻り、タオルを干して下着や靴下をしまう。
新しい病衣から洗濯の匂いがしてむずむず笑い出したくなる。

風呂上がりの水を飲みながら身体を整えていると、ワゴンを引いて看護師さんがやってきた。
「シャワー終わりましたー?おへその消毒しますねー」
でっかい綿棒withヨードチンキがへその中を茶色く濡らす。
その上にガーゼが留められ、やっと安心してズボンのウエストゴムを気にせずに済む。
へそむき出しの状態でウエストゴムが当たるといやだなあとずっと思っていた。

昼食

風呂上がってすぐに昼ごはんってここは天国ですか?

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ごはん、八宝菜、シュウマイ2個、キウイ、ほうじ茶。
ほう、今日は中華ですか。
食器が汚れるのが嫌なので、中華丼にはせずに別々にいただく。
八宝菜の最後の一口を、えびにするか、いかにするか、うずらの卵にするか。
この日の気分はうずら。
なかなか箸で掴めずに苦労し、完食。
日頃は食べないような生の果物が否応なく出されるので、ビタミンを摂取している実感がある。
向かいのギャルはとうとう水やお茶も飲んではいけない時間を過ぎており、またもなるべく音を立てないように食した。
きちんと、手を合わせて「ごちそうさまでした」と口にする。

手術に行く人、入院しに来る人

13時ころになると、向かいのギャルが看護師さんに呼ばれて手術室に歩いて行った。
「なんか、どんと構えてる感じだね」
と彼女は看護師さんに言われていたが、本当に肝が据わっているように見えた。
羨ましい。
術前にめそめそ泣いていた自分を恥じる。
ギャルが出かけていってまもなく、空いていた2つのベッドのうちの1つ、私の隣に60代の女性が入ってきた。
手術というより軽い処置のために短い入院をするようで、どうも私と主治医が同じようだった。
「…明日ポートを抜く手術なんですが、そのときに…」
子宮のがんでも患ったのだろうか。
話す機会はほとんどなかったが、優しそうで上品な雰囲気のおばちゃんであった。
まもなくして斜め向かいの空きベッドにもう一人、60代の女性が入ってきた。
泌尿器科にかかっているらしく、何とかのステントを抜く手術だという。
何かの治療をする中で、何度も手術をするのは面倒くさいしつらいに違いない。

ギャルが抜け、同室のおばちゃんたちが荷物の整理をし、静かな午後が始まった。

この日読んでいたのはこの本。
この小説は、私のことを書いていると思った。
主人公のホリガイは、私だと思った。
大学生時代の私自身、本書と同じような思い、同じような出来事に次々に出くわしている。
そういえば前の入院のときにも、津村記久子の小説を読んでいた。
病棟の空気と相性が良い。
大きなカタルシスはないけれど、どうしようもなさに自分を重ねてうっすら涙した。
鼻水をすする音が、よそにばれないように。

ダニング=クルーガー効果

ダニング=クルーガー効果をご存知だろうか?
「能力の低い者が自分の能力を過大評価する」という仮説を指す。
理解度の低い状態のほうが「完全に理解した」と過信し、理解が深まるにつれて疑問が湧き「わからなさ」を自覚する、のだという。
これに似たことが、体力や体調においても起こりうるのではないかと、術後3日目あたりで気づいてしまった。
つまり、あまり回復していないときに限って「完治した」と勘違いしてしまうのだ。
そして、時間とともに回復が進むと、「やっぱりまだダメかも…」と自信をなくす。
術後すぐの、息をして呻くだけの生命体だったときに比べると、自分の足で立って歩いて、食事もトイレも一人で済ませられるようになった。
わずか3日の間に目覚ましい回復を遂げてしまったせいで、妙な全能感を手にしてしまったのかもしれない。
みるみるうちに自分でできることが増えていったので、何でもできると勘違いしてしまったようだ。
気持ちだけはスター状態のため、痛みを感じると急に自信を失い悲観的になる。
「この痛み、一生引かないのかも…」「創痕ぜったい残る…」など、ネガティヴな発想が去来する。
回復のスピードがもう少し緩やかであれば、このような妙な無敵感は覚えなかったのではないかとも思う。
しかし、どちらにせよ回復は早いほど良い。

レントゲンとエコー診察

14時ころ、看護師さんが病室に入ってきた。
「練りものさん、今日いまからレントゲン撮るんだけど、歩いて行けそう?」
レントゲンを撮る放射線科は、エレベーターで1階に下りて、そのフロアのずっと奥深く。
そんな距離を一度に歩いたことがない。
「歩いていけるかは、ちょっと不安です…」
「そう、そしたら車椅子手配するから、準備できたら呼びますねー」
待つこと十数分、看護助手の男性が車椅子を持ってきてくれた。
ゆっくりと腰かけるが、足を乗せるときに少し腹筋が痛む。
看護助手さんはかなりのスピードで車椅子を押してくれた。
エレベーターの中、何を話していいかわからない。
放射線科の待合の椅子で、何を話していいかわからない。
レントゲン撮影の順番はすぐにまわってきた。
撮影の台の目の前まで車椅子で運んでくれた。
ちょっと立って、顎を載せて撮影して、またすぐ車椅子に座る。
Door to Doorどころか、Chair to Chair。
レントゲン界の上げ膳据え膳。
ありがとうございますホントに…。
病棟に戻るのぼりエレベーターで、看護助手さんとやっと話ができた。
「病棟の看護師さんたちは、フロアで決まっている方々なんですか?」
「基本はそうみたいですね。看護師さんたち、皆さん忙しそうですよね」
「そうですよねー。ナースコール押すのもちょっとためらっちゃいます」
「いやいや、そこは遠慮しなくて大丈夫ですよ!押したら喜んで来てくれますよ」
今までかなり遠慮していたけれど、少し気が楽になった。
急性期の痛いときにもっとわがまま言っても良かったのかな。
爆速車椅子は無事に病室に到着。
厚くお礼を申し上げる。

15時すぎだろうか、向かいのギャルがベッドに寝かされたまま戻ってきた。
手術は無事に終わったようだ。意外と早い。
ベッドを戻して、血圧計を装着して、点滴を入れて…と、私もされたはずの一連の処置が、客観的に見るととても新鮮に思えた。
彼女の手術では脊椎麻酔をかけたようで、足の感覚のことを問われている。
そうそう、それね、感覚戻るまで結構時間かかるよ。

夕方、16時か17時か、ナースコールからのアナウンスで、診察室に呼ばれた。
今日あたりエコー診察があると知らされていた。
壁の手すりを伝いながら、スタッフステーション隣の診察室に入る。
主治医があの弾ける笑顔で迎えてくれた。
「調子、どうです?」
「歩くとまだ響きますが、日に日に元気になっています」
「そうですか、良かったー。今日エコー検査して、退院できるかどうか診ますね」
内診台に座ると、自動的に仰向けになり股を開かされる。
手術後、初めての内診。
クスコで少し大きめに広げられた。
ライトで膣を照らして覗き込んでいるようだ。
「うん、きれいですね。おすそ、きれいでーす!!」
太鼓判を押された。
美マン認定をいただきました。
使い込んでいませんから。
エコーのプローブも挿入される。
「卵巣の腫れもないですねー」
左右にぐいぐいされてすぐ抜かれた。
「ちょっとおへその創見せてくださーい。ちらっ」
え、先生いま何て言いました?
おへそのガーゼを下からめくられる。
「うんうん、大丈夫ですねー。この辺、痛かったりしませんか?」
脇腹の創周りをむにむにと押される。
特に痛くなかったが、まだお腹がぽんぽこぽんで恥ずかしい。
「いえ、痛くないです」
「じゃ、問題なさそうですね」
私は極めて順調なようだ。
「便通はあったようですが…お腹、ごろごろしてますか?」
「はい、ずっとごろごろ鳴ってます」
「あー、なぜか子宮取った方みんなそうおっしゃるんですよねー」
これ、新知見だったら学会で発表しちゃってください。
内診台が戻っていく。
「お支度しながらで良いんですが、血液検査の結果、炎症もなくすごく順調に回復されています。予定どおり、明後日には退院できると思いますよー!」
パンツを穿きながら、もう退院なのか…と思った。
「わかりました、ありがとうございます」
もう少し病院の中でいたわられたい。
お腹の創が痛むのも忘れて、退室の際に主治医に笑顔でおじぎした。
そういえば先生、さっきのギャルの手術直後だよね…お忙しいのに何であんなに元気そうなのだろう。

夕食(B食)

早くも“退院”の言葉がちらつき、嬉しいと寂しいと楽しみと不安とが入り混じる。
もうメシ食って忘れよう。
入院5日目にもなると、病院の配膳時刻に合わせてお腹が減るようになるもんだ。
しかも、今日はB食だぜ。

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ごはん、味噌汁、鶏肉のトマト煮、ふきとたけのこと揚げかまぼこの煮物、きゅうりの酢の物。
特別な栄養の配慮が要らない患者は、数十円加算することで「B食」に変えることができる。
刑務所のような名称だ。
何日かごとに献立表と希望調査票がトレーとともに配られ、希望するものにマルをつけてトレーとともに提出する。
この日、煮魚か焼き魚だったはずだが、鶏肉にしてみたかった。
カロリーも塩分も少し高くなるが、たまになら良いだろう。
こういう小さなことに幸せを感じ始め、身体が病棟に馴染んできたのを実感する。
絶食中のギャルに申し訳ないが、静かに美味しく完食。

向かいのギャルは目覚ましい回復力を見せ、術後数時間で寝返りを打てるくらいに足の感覚が戻ったらしい。
羨ましい…。
ところで何の手術だったんだろう?

咳、すなわち死

咳が、こんなにつらいと思わなかった。
腹を引き裂かれるというか、一つ咳をするたびに木刀の先で腹をピンポイントで突かれる痛み。
創は塞がってきているので、強い鈍痛になりつつある。
ストローで水を飲んでいたとき、うっかり、本当にうっかり飲むタイミングを誤った。
それがむせただけのことで、その水を喉から出しさえすれば大丈夫。
なのに。
吹き出す力が全然伝わらない。
お腹の中で痛みに替わって溜まるだけで、外に圧力として出ていかない。
このご時世、咳をしては白い目で見られるが、そんなことも気にしていられないほどつらい。
咳払いのように小さく「んんっ、んんっ」と喉を鳴らすのが精一杯。
それでも少しずつ水が去り、気管に平穏が訪れた。
21時ちょうど、消灯。
おやすみなさい。

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