見出し画像

行けば行くほど楽しい寄席

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、寄席について書きます。

行けば行くほど楽しいのはなぜ?

1.知っている噺が増える
2.知っている演者が増える
3.話し方や言葉に慣れてくる

まず、1について。
私は寄席に行く前に、漫画や古典落語の本を読んでいた。
実際に寄席で聞くと、あの噺はこんな風になるのか!!となるわけだ。
知らない噺は、寄席で聞いた後に調べて、元ネタのあらすじを読む。
こうしていると、知らない間に知識が増えていくのである(わずかでも)

2つ目。
これは、非常に大きいポイント。
それまで、文字だけの情報だったことを、
人が話し、人が噺に息を吹き込み、情景や感情を運んでくる。
私が笑ったり、感動するのは、そういう演者が話すからだ。

初めて寄席に行った時には、全員初めて見る演者。
それが次第に覚えていくと、好きな演者や「この前あの話してた人だな」などとなる。
分かってくると楽しさが増すのである。

そして最後に、言葉。
あの独特の話し方が、私にはなかなか慣れない。
聞き取れないと、話にもついていけない。
そして、噺に出てくる特有の固有名詞。

動画で見ている時には、あまり感じなかったのに!!
思い出してみたら、字幕ありで動画を見ていた。
寄席では字幕がないのだ(当然だ)

そういうわけで、気軽に聞けない。
集中して聞かないと、置いていかれてしまう。
4時間集中していると、身体だけでなく、疲れてしまう。
ところが、だんだん独特のあの話し方にも慣れてきた(と願う)


最近友達と行った時には、人が多くて2階席まで開放されていた。
そういうわけで、席に座れなかったので、初めて桟敷席に座った。

足が痺れる…!!後半は、身体が痛い。
夏は、距離感がないとそれだけで暑いし、そうでなくても他者との距離は、ある程度欲しい。
桟敷席には、イスのような仕切りがないため。
今回は、そういう心配がまったくなくて非常に良かった。


後ろ側に少し寄りかかって、初めて「床の間」が見えることに気づいた。
席に座っていると見えない景色に感動。
色んな席に座って楽しむのも、寄席の1つの魅力だと思う。

4時間も話聞いてるのは、つらいと言っていた友達。
神田伯山先生を見たら出ようと計画していたのだけれど、
最後の神田松鯉先生まで見ると(嬉しい)

途中にあった、山下兄弟のマジック。
誰だ?ってなっていたら、「てじなーにゃ」って言ったら分かりますか?と、ご本人たちが言う。

「あー」(?)と一応記憶にあるのを確認する。
知っているということは、聞いたことがあるんだろうけど記憶にない。


最後まで楽しんで、友達がまた行きたいと言ってくれたのが嬉しかった。
私の推し3人、神田阿久鯉、神田伯山、神田松鯉。
この3人を、友達も好きになってくれたのが嬉しい。

帰りに飲食しながら、話し方の分析を行えたのは最高に楽しかった。

何が楽しかったのか。
なぜ楽しかったのか。

何が笑えたのか。
なぜ笑えたのか。

想像力を掻き立てられるよりも先に、「気づいたらその世界にいる」経験をさせてくれる噺家の話し方は、他の人と何が違うのか。

落語もなんとなくしか分からない。
けれども、とりあえず寄席に行ってみた。
なんとなく行ってみたお陰で、私は今非常に色んなことが楽しいと思える。

講談の連続話は次が気になる。
同じ話でも、どんどん変わっていくのは落語も講談にも共通する魅力だ。

演芸は、年を重ねた方が良いとされるのだろうか?
私は、どの世代も良いと思う。

前座の持つ緊張感溢れる、新鮮さは慣れたら消えてしまうだろう。
若いからできる声の生き生きした感じも、やはり年をとれば消えるだろう。
余裕が出てくる人の演じる、本人が楽しんでいる感じは芸歴が長いからだろう。
長いこと話してくるから、出せる声質や演じ方もあるのだろう。
どの年齢も、その時に持つ素晴らしさがあるんだろう。


ところで。
落語は、やはり自分が好きな噺を聞きたいもの。
私が今のところ1番好きな「居残り佐平次」を、どこかで聞けないかな。

講談は、聞きたい噺というよりも独演会に行ってみたい。
スケジュールを見ると、なかなか難しい現状があるのだけど。


行けば行くほど、楽しい寄席。
神田伯山がトリの下席に聞きに行きたい!!!!
立ち見でも良いから、見に行きたい。



読んでくだり心から感謝します。 サポートいただけたら、今後の記事に役立てたいと考えております。 スキしてくだるのも、サポートもとても喜びます!!!!