『ネオカル日和』
やふぅー٩( 'ω' )و
今回も積読を紹介していきます!!
辻村深月著 『ネオカル日和』(講談社 、2015)
前置き
ネオカルってどういう意味?って調べたらアイドルが出てきた。
多分、これだろうという意味に沿って読んでから、本書の最後にある
「文庫版あとがき」(P.278)に「ネオ(新)」だと説明が。
表紙みたいに、タイトル文字がバラバラになってると気付かなかっんだが、
記事を書くにあたりタイトルを打ち込んで「ネオ」ってカタカナが並ぶとゲシュタルト崩壊に似た現象が私には起きる。
軽くめまいを起こしているような。
この2つの文字が連なると酔って気持ち悪くなってしまう。
FPSやゲーム酔いに似た感覚。
こんな体験、初めてなので書いておく。
どうでも良いことなんですが、お酒を飲んで活字を読むと酔いが早くないですか?
あれ、めちゃくちゃ気持ち悪くなっちゃう。
ここまで書いていたら、「ネオ」って何も感じなくなった(=大丈夫)
なんだこの現象(OvO)
内容
辻村先生のエッセイ。
彼女の思い出にまつわる本や、映画、そして実生活で体験したことの色々。
嬉しいことに、短編小説が4作品入ってます。
ネオカルとは言っても、そうなのか?って思う理由は著者のあとがきから思うこと。
ネオ(新)ってなんだ?!
10年以上前のこと。
これだけ書くと、過去のことなので新しくはない。
しかし、例えば本書にあるポケモンについて、最新だと書かれている。
著者が遊んだ体験や記憶は過去であり、記事を書いたのも過去。
しかしポケモンは最新なので、文化としては現代であり、これからの文化も続けて築いていくであろう未来なんじゃないか?
そうであるなら、ネオカルってよく分からんってなった。
なので単純に辻村先生のエッセイ、他者の頭の中の記憶で浮遊することを
楽しんでみた。
他者の頭の中の記憶を遊泳する楽しさ
私は辻村先生の本を、上記の他に以下の4冊を持っている。
『かがみの孤城』(上下) (ポプラ社 、2021)
『噛みあわない会話と、ある過去について』 (講談社 、2021)
『凍りのくじら』 (講談社 、2008)
『太陽の坐る場所』(文藝春秋 、2011)
これらの本を書いた人のエッセイって、どんなだろう?
まず、自分との共通点の発見は嬉しかった。
(チャンスがあれば、語り合えるかもしれないって喜び)
エドガー・アラン・ポーの『黒猫』は私も読んだ!!
一時期、壁にもしかしたら何か埋まってるかも、と考えて、同じように壁をノックするの分かる!!
楽しい。
ミヒャエル・エンデの『モモ』に対する思い。
わー!!300%語り合いたい!!!!辻村先生!!
調子乗りました。
ポケモンも…と言いたいけど、残念ながら同じシリーズは遊んだことがない。
作家がフジロックとか行くんだ?!って驚きもあった。
小説ではなく、小説家の頭の中を読んでみる。
それを可能とするエッセイを、以前より好きになった( ^ω^ )
この記事が参加している募集
読んでくだり心から感謝します。 サポートいただけたら、今後の記事に役立てたいと考えております。 スキしてくだるのも、サポートもとても喜びます!!!!