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【クリア後感想】FF16は「遊ばなくてもいい」普通のゲームだった

 FF16クリアしました。サブクエ、モブハント全て消化して約60時間かかりました。結果から言うと私にとってFF16は「遊ばなくてもいい」普通のゲームでした。それなりに楽しんだので「遊ばなければよかった」ではないです。普通に楽しめるゲームだと思います。映像は言わずもがな超ハイクオリティで、アクションの手触りも良かった。一万円どころではない価値があったと思います。でも私がRPGに求めているのは8割方ストーリーで、特にエンディングが晴れやかに終わらないと好きにはなれないんです。そしてFF16のストーリーは私を満足させるものではありませんでした。そんなわけでこの記事ではストーリーに限定して語りたいと思います。ネタバレが大いに含まれますので、プレイ予定の方は閉じてください。

 ちなみに、私はFF11を除いた全てのナンバリングタイトルをプレイしています。(10,13の派生版は未プレイです)


RPGで一番大切なのはストーリー

 私はRPGで一番大切なのはストーリーだと思っています。特に締めくくり方が大切で、どんなにひどいゲーム体験をしていたとしても最後がよければ「ああ、遊んでよかったな」と思えます。FF16はカットシーンだけで10時間あり、サブクエをやらなくてもクリアに35時間といわれています。その最後が微妙なラストシーンで締めくくられたらどうですか。費やした時間が長ければ長い程虚しくなりませんか。

 FF16のエンディングはご褒美として渋すぎたので嫌いです。ゲーム体験的には面白かったのですが、嫌いです。こんな感想を抱いた結果になってしまったこともあり、発売直前に自信満々な発言で、無駄に期待値を上げた売り方にも嫌悪感を抱いています。体験版のとってつけたような内容や突発的に行われたように見える直前のプロモーション活動をみるに、販売数予測に対する焦りで急遽やらざるを得なくなったような気がします。天下の第三開発事業本部が自信をもって「俺たちが面白いと思うRPG」「ストーリーを最重視してつくったRPG」と言っていたのは単なる煽り文句でした。スタッフの多くが携わっているFF14の、「紅蓮」「漆黒」に遠く及ばない内容だったので本当に残念でなりません。(シナリオの前廣氏は「紅蓮」「漆黒」の担当ではなかったので不安ではありましたが)

説明不足で重視したはずの「没入感」がない

 担当Pが何度も「没入感」という言葉を使っていましたが、本作はとにかく核心的な部分について語らなすぎで、いつまでもヴァリスゼアの世界の空気感になじめずストーリーの没入感はとても低かったです。流れを追えていれば理解できる「次のアクション」については必要以上に説明するのに、核心部分については曖昧な表現に終始しているので余計に気になりました。没入感を低くした原因として大きかった3点について掘り下げます。
 1. クライヴに同調できない
 2. ベアラー差別の背景が理解できない
 3. ラスボス戦が単なる喧嘩

1. クライヴに同調できない

 物語冒頭、クライヴの国が襲撃され滅ぼされます。クライヴはこのとき弟ジョシュアが蹂躙される様を目の当たりにし、殺されたと思い込みます。もうろうとする意識の中で、犯人に対する復讐を決意します。それから13年もの間、勝利国の奴隷兵士として過ごした彼はずっとその復讐心だけを頼りに生きてきたのだそうです。信じられないことに、この13年間の話が本編で全く触れられません。この長い奴隷生活の間にどんな経験をしてきたのかプレイヤーには何も開示されないので、クライヴの人格形成の背景がみえず、彼の思考に寄り添うことができません。戦乱の時代であれば、友人や家族を理不尽に失うこともあるでしょう。王子のクライヴはある程度情勢を理解しているはずで、「理不尽」の度合いは一般市民よりも小さいでしょう。それなのに弟を失ったただ一点を根拠に、復讐心を13年間も持ち続けているのは違和感があります。奴隷として酷い扱いを受けていく中で、心を守るために復讐という目標にすがるしかなかったのかもしれませんが、そんなニュアンスは全く表現されていないので、感じ取れというのであれば無茶な話です。

 後にクライヴは弟を蹂躙していたのが自身であることを知ります。理解しがたいほどに固執していた、復讐という生きる目標を失い、自分自身が犯人だったとなれば想像を絶するショックを受けるでしょう。立ち直るのは困難で、かなりの期間が必要に違いありません。しかし、彼はほんの少しの葛藤の後に復活します。実際は十分な期間を経ていたのかもしれませんが、本編ではそのような描写はないので私視点だと数日位の感覚でした。これだけでも違和感がありますが、加えて彼は復讐に代わる新たな目標を「自分が生き残った意味を探す」だとか「命の恩人が掲げる大義に便乗する」と言い出します。最終的に「ドミナント、ベアラー、人という差別なく、だれもが平等に生きることができる世界を作る。それが正しいとは言い切れないが、とにかくそれを目指す。」というのです。こんな強引な方針転換をするくらいなら、犯人が自分ではないと思い込む必要ってあったのでしょうか。最初から自分が犯人と自覚した上で13年間悩み続け、ようやく生きる目標を見出す流れで良かったのではないでしょうか。(ベネディクタやフーゴの思い込みと重ねるための演出だったのかもしれませんが)クライヴという人間が薄っぺらく見えたのは拙い脚本に振り回されたことが原因だと感じました。

 クライヴのおかしいところは他にもあります。最終盤にジョシュアを再び失ってしまいますが、普段温厚で無表情、殆ど感情を表に出さない彼が狂ったかのように泣きわめくのです。弟の復讐に固執していた男だと思えばいくらかは理解もできますが、それにしたって異様な反応でした。特に幼馴染でパートナーであるジルに対する反応とあまりに乖離がありました。ジルは物語中盤で何度も命の危機にさらされます。このときのクライヴの行動はいつも同じで、「大丈夫か?ジル」と取り乱す様子は一切なく、ただ一言かけるだけ。どうやら彼の感情センサーの対象は弟の一点に絞られているようです。恋人を差し置いて特定の人にだけ異常な執着をもつというのは実際あり得るのかもしれませんが、私の常識ではそのような人は少数派だし、もしそうなら説明無しに取り扱うはずがないので、彼の心情を理解するのは益々難しいのだと思いました。彼が泣いたのは、シドが死んだ時とジョシュア関連のイベントだけです。(忘れてたらごめんなさい)そもそも、普段温厚なのに戦闘中は「うおーー!」とか「くたばれ!!!」とか言うのは、ハンドル握ったら性格が変わるヤバいタイプの人に見えて滑稽でした。

 このようにクライヴは、奴隷時代の描写不足や本編中の不自然なふるまいのため一般的なものさしでは理解し難いキャラクターに映りました。多言語対応及び膨大なセリフの収録のため、適切なディレクションができていなかった可能性もあります。日本語と英語ではニュアンスが異なると指摘されている部分もあり、どの言語がベースになっていたのかも非常に気になります。

2. ベアラー差別の背景が理解できない

 現代倫理ではどう考えても不当なベアラーの差別的扱いについて、あまりに現実とはかけ離れた設定のため、早い段階で説明されるかと思っていたのですが、本編では結局最後まで理由が提示されませんでした。血のつながった我が子であっても、ベアラーであると判明したら躊躇なく縁を切る。ついさっきまで親しくしていた人でも態度を一変する。人間の心情としてそこまで割り切れるのは異常であり、たやすく受け入れられる設定ではありません。すべての人がそういう考え方なら、そういう世界だとまだ割り切れるのですが、一部の人は「わが子にそんなことできない」みたいな事を言うのです。それならば、私達と同じような感情の存在する世界なわけで、やっぱりこの異常事態を手放しに受け入れることができなくなります。

 序盤・中盤のサブクエの多くは「ベアラーがいかに酷い扱いをうけているか」の事例紹介になっていて、とにかくそういうことだから事実を受け入れろと、執拗に言われているようでした。何故そうなっているのかを早く教えて欲しかったのですが、一向に触れられません。ストーリーが後半に差し掛かる頃には「実際そうなんだから仕方ない」と諦めることにしましたが、常にこの差別の背景に対する疑問が付きまとっており、ヴァリスゼアの住人たちの異常な態度に違和感しかなく楽しめませんでした。

 ベアラー差別の背景については、最終盤のサブクエで語られています。その昔、魔法を使うことができるベアラーが、その能力を他人のために役立てながら生活していました。そうしているうちに彼らに人望が集まるようになりました。ベアラーによって自分たちの地位や財産を失うことを危惧した時の権力者達がベアラー排斥を目的に戦争を起こし、物量で押し切り勝利。このときベアラーは最底辺の人種として貶められることになったというのです。こんな設定があるなら、もっと早くそれを提示してほしかった。この話も事実でないかもしれないという匂わせもあり、確定的な説明を不可解なまでに避ける姿勢に、疑問を感じずにはいられません。そもそもなんでこんな重要な話がサブクエなんだ

3. ラスボス戦が単なる喧嘩

 物語中盤に突然現れ最後までヴァリスゼアをかき乱すラスボスのアルテマ。当初は究極の創生魔法を使って「黒の一帯」のない世界を再構築するのが目的と言っていました。しかし、ラストバトルの直前で、実は世界の再構築は二の次でまずは仲間を生き返らせたいのだと言います。そんな話ねじ込む必要あったんでしょうか?無駄にややこしくする意味がわかりません。(「レイズ」の話を出すことで、ジョシュア生存ルートを無理やり作ったのかもしれません)

 戦闘そのものも、召喚獣バトルの中で最も面白くなく呆気にとられていました。タイタンのような圧倒的な大きさもないし、バハムートやフェニックスのような劇的なシーンチェンジや高速移動もない。オーディン戦でもいえることですが終盤の召喚獣バトルは尻すぼみだった気がします。戦闘の目的の希薄さも相まって全く印象に残っていません。これまでの召喚獣バトルの過剰な演出、長い戦闘時間、QTEすべてにうんざりしていたので淡々とHPを削る作業でしかなく、ちっとも面白くありませんでした。

 本編中は神様として余裕綽々の様子で振舞っていたのに、ラストバトルではセリフも振る舞いも小物で(アルテマにも自我が芽生えてしまったからかもしれないが)ラスボス然とした威厳がなく、勝利しても達成感のない戦闘でした。恋人と勘違いしていたベネディクタの仇という思い込みでダル絡みしてくるフーゴと同様、やたら突っかかってくるからやむなく戦う程度の、単なる喧嘩にしか見えませんでした。

腑に落ちないエンディングに落胆

 冒頭で記した通り、私はRPGはストーリーを重視しています。その中でも締めくくりが最も重要だと考えています。FF16のエンディング及びラストシーンは長いプレイ時間のご褒美としてはあまりにもチープで、本当に落胆させられました。気になった3点について記します。
 1. 「黒の一帯」問題が未解決
 2. クライヴとジルの結末が描かれていない
 3. 「眉間に皺を寄せさせる」曖昧な結末

1. 「黒の一帯」問題が未解決

 FF16の世界の問題は、「黒の一帯」を一掃しなければ終わりません。スタッフロールの後、最後のシーンで魔法のない世界で人が暮らしている描写がありますが、「黒の一帯」が消滅したかは全くわかりません。平和に暮らしている様子なので、すべての問題が解決したのだとポジティブな推測もできますが、それは好意的な妄想でしかありません。「黒の一帯」問題は果たして解決したのでしょうか?

 物語中盤、クライヴは「黒の一帯」の拡大から世界を守るためにマザークリスタルを破壊して周っていましたが、この行動の根拠は初代シドがそう言っていたからで、マザークリスタルの破壊と同時に問題が解決するとは明言されていません。マザークリスタルを配置したのはアルテマです。彼も「黒の一帯」から逃げてヴァリスゼアにやってきたし、神になって世界を作り替える必要があると言っています。マザークリスタルの消滅では解決するはずがないのです。

 ラストバトルのあと、クライヴはアルテマから吸収した力を使って「理」を破壊すると言い、オリジンを消滅させました。しかし、オリジンが消滅することで「黒の一帯」が無くなるという話は全く無かったし、そのような描写もありませんでしたので、オリジンの消滅でも解決していないと考えるのが自然です。

 現時点で与えられた情報の範囲で解決するのは、クライヴが新たな神として世界を作り替えた場合だけです。「アルテマの作った理を焼き尽くし、ベアラーもドミナントもクリスタルも魔法も…すべてを灰に返す」という言葉とともにクライヴが世界を作り替える神の力を使ったのであれば、「魔法が消え、ベアラーも単なる人として生きることができる世界」が作られその一環として「黒の一帯」が消滅したかもしれません。これが答えでないなら、アルテマ撃破後からラストシーンまでの全く描かれていない期間に解決方法を見つけることになります。冒頭からずっと付きまとう大問題の顛末を全く語らないのはあまりにも酷いので、そうではないと信じたいです。

メインスタッフの方々はこんなことを言っています。
本当にエンディングできっちり物語を閉じて、気持ち良く終わらせている
(ディレクター高井氏)
・本当にきちんと終わらせた(シナリオ前廣氏)
これが顛末の大半を推測で補完させる事を指しているとは思えません。

 クライヴが神の力を使った説はすべての矛盾が「神様のすることだから」という、どうしようもない理由ですべて解決します。大人向けのストーリーと豪語した作品の締め方として信じたくない展開です。仮に「神エンド」だったとしても、少なくとも映像では全く表現されておらず、推測で補完しなくてはいけない部分が多すぎて腑に落ちません。

 以上の理由から「黒の一帯」問題は、前廣氏と高井氏が「神の力」で記憶を失い無かったことにされたため、未解決であると考えるのが妥当であり、FF16はきちんと物語を完結できていません。私は主人公として大きなモヤモヤを持ったまま退場することになりました。とてもやりきれません。

2. クライヴとジルの結末が描かれていない

 道中のジルは、クライヴの無頓着さも相まって、とてもヒロインポジションとは思えないほどの冷遇振りでしたが、ラストバトル直前のサブクエ「白銀の君」でようやく分かりやすく報われます。エンディングでベタベタなハッピーエンドがあるかもと期待が膨らみました。ベアラーの話同様、なんでこれがサブクエなんだ。

 ところがエンディングでは先述の通りクライヴの生死は明確にされず、石化が進んだ体とメティアの消滅、悲しそうなジルとガブをみると死んでしまったと考える方が自然です。ハルポクラテスから「すべてが終わったらその物語を書き記してほしい」と羽ペンを受け取るサブクエを引用して、クライヴが生き残ってジョシュアを名乗り「ファイナルファンタジー」を書いたという人もいますが真相はわかりません。元々「レイズ」を使おうとしていたアルテマの力を手に入れたのですからジョシュアを生き返らせていても不思議ではありません。

 ジル最後の登場シーンは泣き崩れており、幸せな描写はありません。ヴァリスゼアを取り巻く情勢を受け入れるのが遅れてしまったことや、クライヴに同調できなかった事が原因で、「魔法のない世界にすることは成就された」という結末では、私は全く納得できませんでした。有象無象の人々の幸せよりも、第一にクライヴとジル(特にジル)の幸せをみたかったです。

3. 「眉間に皺を寄せさせる」曖昧な結末

 本作は核心的な部分についてとにかく明確な表現を避けていた気がします。召喚獣バトルや、エログロに掛けた工数を核心部分の表現に充ててほしかったです。ラスボス撃破が世界にもたらす影響や、クライヴをはじめ主要キャラの生死については色々な考察がされています。逆に言うと推測で補完しなければ締めくくれないエンディングだったわけです。物語の一番重要な部分を曖昧な表現に逃げないで明示して欲しかったです。

 エンディングで「報われてよかったね」と終われるのが良作RPGに共通する魅力だと私は思います。RPGは一周のプレイ時間がとても長いジャンルです。ずっと寄り添ってきた主人公と近しい人たちの結末を明示することが、プレイヤーに対する一番のご褒美になると思います。私は「王道」はそうであってほしいし、FFには「私の思う王道」を期待していましたが本作は違いました。

 エンディングに大きな伏線の回収がひとつでもあれば納得できるんです。FF8のスコールとリノア、FF9のジタンとガーネット、FF10のティーダとユウナのように、やっぱりメインキャラクターに関わる男女の顛末ってわかりやすくていいですよね。FF15だってラストシーンでノクトとルナフレーナが出てきましたが、もう少し尺が長かったら道中の不可解な展開も許せたかもしれません。FF14でも紅蓮のリベレーターで同じように物語の中心に居た男女の話で締めくくっていたじゃないですか。一方FF16はクライヴたちがラスボス撃破で世界に与えた影響だけでなく、彼ら自身の顛末すら一切わからないまま終わってしまいました。吉田Pが「眉間に皺を寄せずに遊んでほしい」と言っていましたが、そうさせているのは無駄に期待値を上げるようなこと言ったり、描き切ることができなかったあなた達です。当人もそれを理解しているからこその発言だったのかもしれません。

FF16は「遊ばなくてもよかった」ゲーム

 奴隷生活の13年、拠点再構築にだけ費やした5年、全く語られない期間としては長すぎるこの18年は、本編中に多用されている「しばらくして―」と何ら変わらず呆れるしかありません。特に「5年」の方はクライヴ以外の見た目が変わっておらず『FF15の「10年後」』よりも酷い展開でした。先述しましたが、私はベアラー関連の問題と共に物語中盤で本作に期待するのをやめました。「ストーリー重視」や「大人向け」を謳っておきながら、こんな稚拙な表現を繰り返され呆れてしまったからです。そもそもCERO:Dになったのはストーリーが大人向けだからではなく安直に採用したエログロ表現のためですよね。アクション部分については苦手な人から得意な人までと配慮したのに、対象年齢で入口を絞っているのは全く理解できません。こんな内容なら問題となるシーンを削って全年齢対象で出すべきだったと思います。

 「大人向け」を公言しながら子供騙しな内容であること、「2周目が本番」と大々的に宣伝していたのに2周回以降に特筆するほど新しい要素がないこと、「綺麗に終わらせた・やりきった」と言っていたのにエンディングが曖昧だったことなど、矢面に立つ面々の発言が実態と異なっていることに強い憤りと不信感を抱きました。最近のスクエニは過去の栄華で築いた信頼度や、誇大広告によって熱心なファンを騙すような売り方が目立ち本当に心象が悪いです。FF16に関しては吉田PがFF15や他のスクエニ作品を貶めるような発言をしており、それすら誇大広告の一環になってしまっていたので残念でなりません。吉田PはFF16のディレクターではありませんが、内容を見てこの発言をしているはずなのでFF14の成功を根拠に盲目的に支持できる人ではないんだなと思いました。

 長々と書き連ねましたが、わかりやすくメインキャラクターが報われていたら全部なかったことにして「いいゲームだった」で終われたと思います。日の出のシーンにクライヴがチラ見えするだけでも良かった。当事者が報われず関係性の低い人たちが幸せになるという展開は、自己犠牲を美化しすぎだと思います。そういった信条を否定するつもりはありませんが、多くの人は主人公がストレートに報われて欲しいと思っているのではないでしょうか。明解なご褒美エンディングで、私をFF16から気持ちよく解放して欲しかったです。

 FF16は私に何のカタルシスも傷痕も残さない作品でした。歴代のファイナルファンタジーには、わかりやすく報われるエンディングや、良くも悪くも後年語り継がれるインパクトがありました。そういう意味でプレイする価値のある「遊んでよかった」ゲームだったと思います。FF16にはそういった要素がありませんでした。

 私にとって、FF16は「遊ばなくてもいい」普通のゲームでした。FF17が出たらきっと発売日に購入すると思いますが、こんな落胆を味わう作品にならないことを心から祈っています。

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