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旅の思い出編 ドイツ旅行(ベルリン)2019.11.16 ベルリンの暗い歴史

ドイツ旅行最終日の朝です。
昨日は人生において、とっても苦い思い出になってしまいました。
本当に最終日。トランクを持っての移動もあるので細心の注意を払っていきたいと思います。

ホテルの朝食
食べるぞー!!!笑
曇ってます

ベルリン最終日

ニベアハウス

昨日来たニベアハウス

昨日来たニベアハウス。まだ開店していないので人もいませんでした。
開店していたら昨日の2重清算の件を話しようとしましたが時間もないので泣く泣く素通りです。

ブランデンブルク門

ブランデンブルク門

9時頃、すっごい曇ってます。
このドイツ旅行は全く東洋人に会いませんでした。
少しノイシュバンシュタイン城に向かう列車で会ったかな?というレベルです。皆さんどこにいるのかしら。
2日前は工事していて通れませんでしたが通ることができました。

この時の動画を見返していたら、
“傷心中だよ。破壊的な怒り、悲しみ”と笑顔で話していましたがやっぱり妹は落ち込んでいました。最終日笑顔で頑張ってくれてありがとう。

この時の移動履歴

チェックポイントチャーリー

アンペルマンショップ
旧東ドイツの周辺
旧東ドイツ側から旧西ドイツまで歩いています

土地勘がないので急いでの観光です。
ブランデンブルク門から東の方に向かいます。
街の中心部を縦に貫通するフリードリヒ通りの南側に位置しています。
ベルリンの壁があった時には、チェックポイント・チャーリーの南側が西ドイツとなっており、その北側が東ドイツでした。

実際に検問所として使用されていたのは、ベルリンの壁が存在していた1961年から1990年の間。約30年間に渡って、ここは西ドイツや西ベルリン市民が東ベルリンへの出入り口として、また外国人の東西ベルリンの行き来の場所として使用されていました。
現在のチェックポイント・チャーリーにあるのは、60年代に使用されたアメリカ側の検問所の小屋と高く掲げられた兵士の写真など。
写真に写されているのは当時のアメリカの兵士とソ連の兵士の顔。
アメリカの兵士は北側の東ベルリンに向くように、そしてソ連側の兵士は南側の西ベルリンに向くように掲げられています。

西ベルリン(アメリカ側)を向いています
この小屋はアメリカ側の検問所の小屋
東ベルリン(ソ連側)を向いています。
かわいらしいお店
チェックポイントチャーリー
アメリカ側の検問所跡です
ベルリンの壁のお土産
当時の壁があった場所
当時の様子が写真でわかりやすく展示されています
“アメリカのセクターを去っています”って看板があるので旧西ベルリンの写真ですね。
昔のチェックポイントチャーリーでしょうね。
どうしてもあるとほしくなってしまうメダル

11時ごろ。ホテルに戻り帰りの準備をしました。
ここから空港に急いで向かいます!
ベルリン中央駅近くの空港行バスに乗ります。
空港行きのバスも少しわかりずらかったので間に合うかハラハラです。

ベルリン中央駅、さようなら


バスが何分後に来るか表示されていてわかりやすい
バスに乗り込みます!

11時50分、空港着。
軽めのお昼を食べて16時の飛行機に乗りました。

ドイツ最後の食事。私たちらしい笑
カタール航空でドーハに向かい、ドーハから成田に向かいます。
帰ります。また旅行したいな。
帰りの飛行機


機内食。なんかこういうのも懐かしい


本当にあっという間のドイツの旅行でした。
楽しかったこと、怖かったこと本当にいろいろあった旅でした。
苦い思い出もありますが、少し成長できた気がします。

2020年、2021年の5連休は取る必要も無くなったので取りませんでした。前は意地でも取ってたのに。
家でだらだらと無駄に過ごす有給は寂しいものがあります。

戦争も本当にやめて欲しい。
また自由に海外に行けるのはいつになるのかな…

最後まで読んでいただきありがとうございました。


記録として
バッテンフォール・ヨーロッパはベルリンに本社を置く大手電力会社。

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