身も蓋もない話
掲題の通り、身も蓋もない話を、したい。
島本理生さんの『Red』という小説の中に、震えるほど共感した一文があった。
頷きすぎて、首がもげそう。
肌の触り方、キスの仕方、体を掴む手から伝わる力の強さとか、性急さとか。
性癖、という言葉にはおさまりきらない、”その人のこれまで”が透けて見えるときがある。
体の交わりなんて三大欲求のひとつにすぎない、という考えの人もいると思う。
セックスなんてそれ以下でも以上でもないとも。
わたしはそこに恋愛感情があろうが無かろうが、抱かれた相手のそれまでの人生が身体の中に入ってくる感覚。
「知り合いとことの弾みで抱き合った記憶を上書きして欲しい」と頼んだ私を抱いた人は、
加虐の一歩手前くらいの、人体を押さえつける力を持っていて。
一見乱暴、なのだけれどただの乱暴ではなくて、支配に対する本気度を感じる。
こりゃ育ちがいい人はできない触れ方だわ、、と心中思わず拍手しておりました(とても褒めております)。
反対に、満たされなくて寂しい人に抱かれると、いくら組み敷かれていてもなぜだか背中をさすりたくなるし。
ああ、人体って不思議、、と思わず嘆息。
火を使える脳みそがあって、二足歩行をして文明まで作り上げちゃって、自然をぶっ壊して都市を作って栄えてみたり争ってみたりの人間だけど。意外とシンプルで、寝て食べれば何とか生きれて、体の半分以上は水分で、それなのに脳の半分以上は複雑な思考が占めてて、愛し合ったり憎みあったり。
人に抱かれたあと、非現実の世界から現実に戻ってくるような感覚になる。
ドラッグをやる人がトリップした後倦怠感に襲われるのってこんな感じなのかな、みたいな。
人体の不思議に、誰かの人生に文字通り触れた時、ほとんどが水分のはずのその身体から、
感覚も、香りも、これまでの愛され方も、この身体で感じている。
最近はいわゆる”a friend with benefits”(セフレよりもこの表現がしっくりくる)な相手との機会が多いからか、より一層現実に戻った時に自分の身体の感覚が研ぎ澄まされているのを冷静に感じる。
この人体と脳の不思議を、死ぬまで探究したい私の身も蓋もない話。
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