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母性神話に出てくるのって、どこのどの神だ?

昨日、多分投稿しないで寝てしまっていたので、今日はもう一本書いてみることにする。

手短にするために、ふと思ったことをひとつ。

それは最近、趣味で神話系の本を読んでて思ったことなんだけど、

「神さまって、子どもを気に入らないと、あっさり捨てるよね」って話だ。

エビス様になったヒルコは、日本の国を産んだイザナギとイザナミの最初の子で、不具のために葦船に入れられて流された。

ゼウスとヘラの子であるヘパイストスは、両足が曲がっていたためにオリュンポス山の高みから、母ヘラによって海に投げ捨てられた。

神話で描かれているのは、思った通りの子じゃなかったと言う理由で、あっさり子どもを捨てる神々の姿だ。

そこには、母性神話のかけらもない。

母親だったらどんな子でも無条件で愛するはず、命に代えて守り、全人生を犠牲にすることをも厭わないはず、という理想の母親の姿は、どこにもない。

なんだろう。
あまりにもあっさりと、子を捨てる神々を見て、なんか色々思い知らされた。

神々ですらできないことを、なんで人間はあたりまえにできるって信じてるんだろう?

人間ちょっと傲慢すぎ、

母親である自分も、ちょっと自分を買い被り過ぎじゃない?

って。

ちなみに、ヒルコもヘパイストスも、辿り着いた先で出会った存在たちには受け入れられて、ヒルコは恵比寿様に、ヘパイストスは器用な手先で工芸品を作るようになり、炎と鍛治の神になってるんだよね。

神話を読んでいると、子どもを産むことと育てることがセットになっていること自体がある種の文化に過ぎないんだなって気付かされる。

親としては、子どものために可能な限りなんでもしなきゃなんて自分を買い被りすぎだなって思うし、子としては親に受け入れられるかどうかより、自分の人生で出会う人の方が重要なんだなって思う。

神話はある種の原型だったり、メタファーだったりすることは知っているけど、親子関係に関しては、見た目通りに読むと親も子もすこし気楽になれるんじゃないだろうか。

「天使なんかじゃない」ってマンガ、子どもの頃読んだけど、

親もまた、神さまなんかじゃないんだから、神さまができないことをわたしたち人間ができなくってあたりまえ。

だからもし、すこしでも子どものためにがんばったり、親に認められるために努力してるんなら自分をもっと褒めていいし、そうする気がおきないならそれで当然なんだなって、自分を責める必要もない。

そう気づかせてくれた神々に、心から感謝したのだった。



自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。