見出し画像

角の生えた器(小説ネオラクゴ#1)

朝の日課の散歩をすませてアパートに帰る。朝の日課と言いながら起きたタイミングによってその時間は変わるので、正午に差し掛かっているときもある。その日もそういう日だった。二階の自分の部屋のドアの前に男が立っている。ガタイのいい坊主頭の男だ。背中をやや丸めて立つ姿を見て俺は、吉松みたいだな。と思った。吉松だった。

「ご無沙汰してます。」

こういう時はお茶を出すものだろうと、ペットボトルの綾鷹をわざわざ湯呑に入れてだしてやった。自分が使うものには無頓着で100均で買ったものを使っている。まさかそれを来客用に使うことになろうとは。

「足くずせよ。・・・まあいいから飲めよ。冷めるぞ、あ、違うわ。ぬるくなるぞ。」

先輩らしい態度を、と落ち着いて振舞おうとしているものの、もしかしたら俺の方が動揺しているのかもしれない。吉松が言おうとしていることがわかっているからだ。さあぼちぼちくるぞ。

「築地さん、僕からこんなことを言うのも差し出がましいんですが、戻ってこられる気ないんですか。」

ほらきた。こいつは多分人生で初めて差し出がましいなんて言ったんだろうな。続けざまに吉松はリュックから、なにか新聞紙にくるんだものを取り出しながらこう言った。

「この器を見てください。これ何かわかりますか?」

目の前に置かれたのは一個の器。桜や菊の図柄に鮮やかな色使い。有田焼だ。わかる。わかるに決まっている。この器は俺の青春そのものなのだから。

「これ見ても何も思わないんですか?覚えてませんか?僕の不注意からこの器を割ってしまい、なかったことにしようと破片を隠そうとしたとき、築地さんがそれを止めてくれたんですよ。そして、こう言ってくれました。お前が自分で買い取れ。自分の失敗は自分で責任をとれ。そうしないとお前は成長することが出来ない。その日以来、僕はこれを眺めながら毎日修行に励んできたんですよ。」

他人の人生を変えるような言葉も、意外と言った方は覚えていないものだな。よく見ると金継ぎの跡がある。必死で自分の思いを伝えようとする吉松の声をぼんやりと聞きながら、この継ぎ跡は大槻ケンヂのメイクみたいだななどと考えていた。目の前の男と俺とは、熱量の差がありすぎてうまくくっつきそうもないな。

「築地さん、僕らのもとに帰ってきてください。はじめは僕たちも、築地さんいなくてもしっかりやろうなってせいいっぱいやってたつもりだったんです。でも僕たちだけでは、この器一個一個に魂がこもらないんですよ。作っては捨て、作っては捨て、床は残骸だらけです。築地さんと同じようにやっているつもりなのに、くやしいけど、僕らだけじゃできないんですよ。」

悲痛な叫び声がアパート中に響き渡った。そして僕を揺らした。比喩ではなく物理的に。アパートが相当古いのだ。俺は勢いに飲まれたくなくて何故か次のようなことを言ってしまった。

「じゃあ聞くが吉松よ。俺がお前たちの前を去って、ただノンベンダラリと日々を過ごしていたと思うのか?」

ただノンベンダラリと日々を過ごしていたのだ。

え?驚きとわずかな喜びがないまぜになったような声をあげ、吉松が俺の方を向いた。目を潤ませた仔牛のような顔していた。嫌いだ。俺の嫌いな感じの顔をしている。しかし俺はここまでの人生で学び、わかっている。嫌いな感じの顔をしていても、わざわざ訪ねてきてくれた彼の心意気に応えなければ、俺は人間としてダメだ。俺の気持ちはほとんど決まりかけていた。

ダメ人間でもいい。断ろう。

しかし決意はすぐにひるがえることになる。その後の吉松の言葉。俺はその言葉を聞いたときの喜びを生涯忘れることはないだろう。赤い布に突進する闘牛の角の如きそのメッセージは俺を貫いた。

「築地さんがいないと、うちの牛丼屋まわりませんよ。それに店長、時給あげてくれるって言ってますよ。」




この文章を明日落語化したものを明日の22時に
アップするのでyoutubeチャンネルも登録お願いします。

「月亭太遊のムーンパレスへようこそ」
https://t.co/uFR9nqO8hI?amp=1

新作落語を創って発表しています。サポートいただけると嬉しいです。作品に活かすための資料の購入費などにつかわせてもらいます。ありがとうございます。