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実写版リトルマーメイド

すごいひさしぶりに日記書きます。
ただの個人的な感想。


実写版リトルマーメイド、公開前から主に
キャスティングについていろんな意見がありましたね。


わたしもディズニー作品は全般広く浅く好きで、
リトルマーメイドも小さい頃から
何回もアニメーションを見たことがあったので、
なるほど…そうなるのか っていうのが第一印象でした。


実際に実写映画を観てみての感想は、
すごい歌上手いしアリエルのお転婆で好奇心旺盛な
雰囲気がでててこれはこれで可愛いね!って感じです。


そもそもマーメイド=歌が上手いという元来の設定もあるので、
歌唱力でキャスティングを決めたのは
キャラクターを生かす上で正解だった気がします。


ただ、どうしても残るこの違和感の正体はなんなのか。
決して差別的な意味ではない謎の違和感。


その正体を探しに我々はジャングルの奥地へ向かったのですが、
なかなか自分の思いを深掘りするのは難しかったわけで、
ようやく咀嚼し終えたので記録しておきます。


それはつまり、自分が日本人だったからっていうのが
1番大きいのではないかと思っています。


日本はディズニーの故郷アメリカと違って多国籍な国ではないので、
私たちは同じクラスの同級生や一緒に働く同僚はほとんど
日本人であることが当たり前という環境で生きています。


そうなるともし日本で生まれたアニメーション作品を
日本で実写化しようとなった場合、
原作の主人公が日本人であれば自ずと日本人を
主演にキャスティングすることになりますよね。

今回の違和感というのは、
例えば君の名は。を実写化したら
日本人だったはずの主人公がなぜか外国人になってる!
でも舞台は日本のままで、明らかに外国人なのに
日本の学校に通って日本の制服を着てるな…?
という感覚に近い気がしています。


一方アメリカ生まれの作品をアメリカで実写化しようとした場合、
一言でアメリカ人と言っても人種の幅がかなり広いわけです。


アメリカには長い差別の歴史があり、
今それを正そうとしている時代の流れの中で、
「アリエルは白人である」
と言い切るのはかなり難しいのではないでしょうか。


そもそもマーメイドは実在しないので、
元々人ではないし人種なんて概念はありません。


そこで歌が上手くてアリエルのイメージに合いそう!と思った人を
原作元がキャスティングすることは全く不思議ではありません。


つまり、「当たり前の環境」の定義が違うから
見え方も変わってしまうだけだというのが自分なりの結論です。
致し方ないのだと。


もちろんアニメーションのルックスに寄せて欲しかった!
っていう意見もとても分かるんだけど、
実写映画=コスプレ大会でもないので
非常に難しいところ。

二次元を三次元に移行した時点で
世界中の誰から見ても完璧なハマり役!
なんてものは残念ながら存在しないんですよね。


いつか自分の中で飲み込めたとしても、
永久に受け入れられなかったとしても、
感じ方は人それぞれなのでどちらが悪いわけでもないです。


だから受け入れられなかった人は自分を責めずに、
そんな自分の感性も受け入れてあげてください。


ただしガチガチな差別主義者、
テメーはダメだ。


以上

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