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毒親に追い詰められて、カウンセリングに臨む。

1.カウンセリングに臨む


うららか相談室という

オンラインカウンセリングのサイトで

一人の女性カウンセラーを選び、

カウンセリングに臨んだ。

第一印象、声の響きで、

「この人は話を聞いてくれそう」と安心感を持った。

以前、受診した頓珍漢な精神科医とは全く違った。

私が話すことを

一切遮ることなく

耳を傾け、

カタカタとパソコンに打ち込んでいた。

話していると

思考がまとまってきて

私に気付きも出てくる。

湖底から上がってくる気泡のようにプツプツと。

そのような気づきが出てくるたびに

手元の紙にメモした。
(そのメモは見当たらない)

2.カウンセリングで分かったこと


私の置かれていた状況


このカウンセリングを受けるまでは、

親に強い拒絶反応を持ちながらも

「親はあれほど私にお金を使ってくれたのに、
その親を悪く言うなんて、
私は悪い人間だ」

「親は私のためを思ってやってくれていたから、
それを虐待と言ってはいけないのではないか」

と、60%くらい思っていた。

しかし、

初対面の

熟練の、知的な、信頼できる年配の女性に

はっきりと

「それは虐待ですよ」と断言された。

それで、

私自身もついに自分が虐待されていたと認めざるを得なくなった。


父の状況

さらに、重要なことが分かった。

子どもの頃、されていたこと、
親の言動を聞いてもらったのだが、

父も母も何かしらの発達障害を持っている可能性があると言われた。

父は一見、穏やかでおとなしそうだが、

一度、怒りに火がつくと

顔を真っ赤にして暴れ馬のようになる。

そして自分の両親が何よりも大事。

一つのことに集中すると
それ以外考えられなくなって
周囲の声を一切聞かない。

私は子ども頃から
父には何を言っても話が通じないと感じて
強い違和感を持っていて
無意識に避けていたと気付いた。

ASDの可能性を感じる、とのことだった。



母の状況

母は

私が子どもの頃から

最も接触頻度の高かった大人だ。

その母にされてきたことは

印象的なものが数々あるので

ここに全て列挙することはできないが

面白いかもしれないので少し紹介しよう。

・1~2歳の乳幼児の頃、「ごめんなさい」が言えない私をトイレに閉じ込めたと誇らしげに言われ続けた。

・「あなたはお母さんの愛情が足りない子ども」と言われ続けていた。

・6歳の頃、工事現場の蓋の空いたマンホールの中に落とされそうになった。

・叱責はビンタが普通。割り算ができなくて問題が解けない時、ずっとビンタされ続けた。

・部屋をあさられるのは日常茶飯事。

・私の名前を下ネタにアレンジして、ニヤニヤして呼んでいた(母がつけた名前なんだが)。「やめて」と言ってもニヤニヤしてやめてくれない。

・姉やいとこの子どもを異常に誉めて可愛がり、私の反応を見て喜んでいた節がある。

・家族の中で私だけを仲間外れにする。

・口ごたえは絶対に許さない。

・私の話は聞かない。聞く価値がない。

・日常会話は親族をはじめとする人の悪口ばかり。

そして、

・宗教に夢中。

まだまだあるが。


母に関しては

自己愛性パーソナリティー障害の可能性が高い、とのこと。

こちらは自信を持って断言されていた。

私が持っている情報量が父に比べて多かったからだろう。

「ああ、確かに。言われてみれば!」と腑に落ちた。

自己愛性パーソナリティー障害は、
相当な精神障害だろうと思っていたから

それが母に該当するとは思わなかった。

なぜなら外からの評判は、おそらく良いからだ。

でも母にぴったりだ。

もう、それ以外はないだろうと思う。

3.なぜ虐待と思えなかったのか


「私は、虐待されていたのか…」

アラフォーにしてついに認定することになった。

認めたくなかったのだろうか。

いや、ちがう。

私は自分に厳しすぎた。


厳しすぎたがゆえに

自分の周囲で起こるすべてのマイナスを自分のせいにして

背負いこんで、

自分に苦痛を与えた。

それが正しい人の在り方だと思いこんでいた。

自分の心の声を無視した。

自分を蔑ろにした。

よく考えず、自分の心の声も聞かず。

自分の周囲にいる人が不機嫌になると
全部自分のせいだと思い込んだ…。

それは、また厳しくなってしまうが、逃げだと思う。

自分から逃げた。

なぜ逃げたか?



自分を大事にすることの大切さ、やり方を知らなかったからだ。

だから、自分より親を尊重しつづけて

自分を傷つけながら生きてきたのだ。

だから、今、私はこんな状態になっている。

4.次のステップ


当初、

カウンセラーには、

父からの連絡攻撃でバランスを崩した心をどうにかするために手助けが欲しい、と言ったのだが、

心療内科に行って診断してもらったらどうかと提案された。

素直に私もそうしよう、と思えた。

診断をつけてもらうことで

落ち着くかもしれないし、

父に対抗する切り札が手に入るような気がしたのだ。


2日連続で

同じカウンセラーさんのカウンセリングを受けた。

このカウンセリングで

父に「連絡するな」と伝える勇気が手に入った。

父にメールを打つことにした。

そして心療内科探しが始まった。


全てを自分で何とかしようともがいていた私は、

第三者の手を借りて、

ついに、一歩を踏み出せた。

11歳の頃、
「人間は結局一人だ。一人で生きる」と悟ってしまった。


だから全部一人で何とかしなくてはいけないのだと思い込んだ。

でも、誰かに話を聞いてもらうだけで

未来が拓けることがある、と知った。

私は、初めて「助けて」と言えた。

つづく



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