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男の子に依存し続けていた話

もういつの話か忘れてしまったけど、ネットを見ていてふと思い出した。

そういえば、マッチングアプリやってたなあって。マッチングアプリに限らず、チャットや電話のアプリはほとんど試した。

これらは全て、満たされない心の隙間を埋めるために使っていた。あけすけな言い方をすれば、現実では無理だけどネットだけでもチヤホヤされる体験をしてみたかっただけだ。

アプリを使う上で身体の関係は絶対に持たないというマイルールは設けていたものの、デートしたり、添い寝したり、電話やチャットで優しくされたりする生ぬるい空間を存分に楽しんでいた。

恐ろしく甘い毒。

本名を教えることもないから直接危害が加えられることがないだろうという安心感。都合のいい言葉をかけてくれてくれる嬉しさ。現実から目を背けられる楽さ。とても甘い毒に侵されていた。

アプリを使うと擬似彼氏が沢山できる。

この状態は、なんとなく自己肯定感は上がるけど、心は満たされない。なぜなら、私が彼らの1番になることも、好きになられることもないと知っているから。好かれたいけど、絶対に本気になられることは無い寂しさと諦めを何度も味わった。

さらなる「甘さ」の弊害は、自分がモテてるような錯覚に陥り、現実を見誤ることだ。

自分磨きをしているわけではないのに、なんだか男の子に需要のある「女の子」にレベルアップした気になる。本当は何ひとつとして変わっていなかったのに。この頃の写真を見返しても、全然可愛くなかった。


いつか切れるほどの希薄な関係を繰り返し築くと、逆にいつでも関係を築くことが出来ると思ってアプリの関係に依存していく。これが1番恐ろしい。私は何年もアプリ内の男の子達に依存してきた。その間、私はなにか成長していただろうか?否。ただ勘違いが加速していただけ。

でも今になればそれもいい思い出。

本当に好きだと思える、現実の男の子に出会ってからは、現実の自分と向き合えるようになった。

自分の自己肯定感や日常の充実度を少しずつと上げる努力をしていくと、わざわざ男の子に依存することはなくなった。その時間が無駄だと気がつき、自分に時間を割いて自分磨きを頑張ろうと思えるようになった。

しばらくして好きな人は彼氏になった。それでも考え方は変わらない。依存はせず、いつ別れても自己肯定感が下がらないように、自分の価値を高めることは何かを模索していきたいと思っている。




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