見出し画像

不出来

 一週間、一生懸命のんびり生きていたらいつの間にか次の週になっていて、noteを書くことを忘れていた。
 復職してから猫のような暮らしができなくなり、家事に仕事に遊びに、と奔走している。そんな中で、自分を振り返る時間が持てなくなっていることに気づく。私にとってnoteを書くことは、自らを振り返り、思考や感情を整理する良い機会になっているように感じる。
 でもまあ、なんか真面目なことばっか書くの飽きたよな〜。性に合わん。
 まじでライフハック系の記事とか書ける気がしない。誰かにこうしろ、ああしろ、とかおすすめする権利がないことにようやく気づいた。正しさとは?愚かさとは?それが何か見せつけてほしい。持論が大事と会社の研修では説かれたが、一生更新され続けるものであり、ジンクスとなんら変わらんのでは、と思ってしまう節もある。大体は持論通りに行くかもしれないが、仕事を一緒にする人やその他の環境に依存することもあるだろうし、全てがそうとは言えないので、信じすぎるのは良くないと思う。
 こうやって斜めに構えているから仕事ができるようにならないのだと思う。素直に言うことを聞けばいいのに…。
 かと言っても、その先を数パターン考えておくのもリスクヘッジのためには大事ではないだろうか。車の運転ではかもしれない運転は当たり前である。
仕事でもかもしれない運転は必要ではないだろうか。まあしたことないですけど。
 会社の先輩と飲みに行ったとき、「上長の話が意味わからなすぎて、自分の発達障害を疑いました。」と言ったら、そんな考えには至らん、と言われ逆になんで?と思った。可能性があるなら追って、原因を突き詰めた方が気が楽になるかもしれない。また、妥当な対策も立てやすくなるだろう。まあ、対策を立てても受け取る人間によっては暖簾に腕押し、意味がないこともある。その場合はさっさと逃げるべきである。相手にしている時間が無駄である。会社のまた別の研修で、駄目なコミュニケーションの例に上長が全て当てはまっていたのはまた別の話であろうか。
 
今日はここまで。
めでたしめでたし。
 



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?