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【ミニコラム】『孤独のグルメ』のアームロック、あるいは漫画のリテラシー

人気コミック『孤独のグルメ』の第12話「東京都板橋区大山町のハンバーグ・ランチ」。この回ではなんと主人公が店主とモメたあげく相手にアームロック(武術の「腕ひしぎ」というべきか)をかけてしまいます。
ネットでは一種の「ネタ回」として話題になることもあるエピソードですが。
この回、主人公の井之頭五郎はなんでそんな暴挙に出たのか?

これについては、実は作中に細かく描写があり、かなり理由が推測できるようになっているのですが、それに言及している人が少ないような。みんな漫画読みのリテラシーに欠けてるんじゃないの!?……というのが本稿の執筆動機です。

(以下、セリフにはスペースなどを一部補っています。)


【大前提】
主人公・井之頭五郎(ファンの愛称ゴローちゃん)は昼時の食堂に入る。店は店主とアルバイトの二人で切り盛りしている。
アルバイトは呉さんという、いかにもインテリっぽい(あえていうなら青瓢箪な^_^;)青年。名前と会話の様子からして恐らく中国人留学生。

店内は狭く、店主と店員のやりとりは客にも丸見え、丸聞こえである。

店主はなにかにつけてガミガミと呉さんを叱りつける。はっきり言ってパワハラ。店主のマネジメント不足に起因するような失敗まで、呉さんのミスだとして彼に当たる。おまけに差別っぽいことまで口にする(「国でどうやってたか知らないけどさ 日本じゃそんなテンポじゃやっていけねぇんだよ」)。
呉さんはそんな理不尽な状況を、ただ「スイマセン」の連呼でしのいでいる。

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【ゴローのポエム】
主人公は、こんな店では食事が喉を通らないと文句を言って精算をしようとする。
『人の食べてる前で あんなに怒鳴らなくたっていいでしょう』
『見てください! これしか喉を通らなかった!!』

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ここで主人公の有名な(?)ポエムが出ます。曰く。
『モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあ ダメなんだ 独りで静かで 豊かで……』

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主人公の態度に苛立った店主が「出ていけ!」といってドンと小突く。
→その腕を取って主人公が店主にアームロックをキメる。
→呉さんが「それ以上 いけない」と言ってそれを止める。

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 ……という流れ。

なお、主人公は祖父から古武術を習ったという設定らしいです。

以下は私が勝手にイメージする「読者の反応」です。

【解釈その1】
店主が人前で店員を怒鳴るのがあまり耳障りだったため、食事もろくに喉を通らなかった。
主人公はそのことに内心とても苛ついており、それがアームロックへと繋がった。

→インパクトのあるポエム(静かで心豊かな食事を礼賛する)の後だけに、単純にこの程度に受け止める人もいるかもしれません。が、これだけでアームロックに行くのはいくらなんでも行き過ぎです。明らかにゴローちゃんはそういう人ではないです。

【解釈その2】
主人公は海外暮らしの経験があるというのは第5話などで語られています。
そんな彼にとって、店主に理不尽にイビられる大人しそうな留学生というのは、到底他人事ではなく映ったでしょう。
しかも店主は出自の国までダシにしてイビってくるのです。
そういうことに対する義侠心はゴローちゃん、人一倍ありそうですよね。

そして各コマを見てみると、店主の言い分が明らかに理不尽だなぁというときには、決まってゴローの顔がインサートされていることが分かります。それも、後のものほど表情は険しくなります(^_^;)。

というわけで、食事の恨み+留学生への仕打ちに対する義侠心からなる憤りがゴローちゃんをしてアームロックをかけさせた。

 ……これは、上の解釈よりはいいセン行っているでしょうが、まだまだだと思います。
これではゴローちゃん、アームロックまでは行かないでしょう。

【解釈その3】
コマをよく見ていくと、店主は空手か何かで相当の腕前だということが、店内掲示の写真から分かります(瓦割りをしている)。

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明らかに有段者レベルであり、ひょっとしたら(モデルのお店がどうだかは知りませんが、少なくともこの作中では)「元格闘技チャンピオンの店」というような、よくある謳い文句の店だったりするのかもしれません。
その写真をゴローがしげしげと眺める様子もちゃんと(さり気なく)描かれています。
その後、お客さんの会計に向かった呉さんに対し、店主は「人の話を聞け!」と言って、あろうことか手首へのチョップを放ちます(繰り返しますが、店主は瓦割りが出来るのです)。呉さんがひどく痛がっている様子が次のコマに(これもさり気なく)描かれます。

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もちろん店主が本気でやったら「痛い」どころでは済まないでしょうから、それなりに手加減はしているのでしょうが。
それを見たところで主人公の箸は完全に止まります。
そして、上に書いたようなポエムと「出ていけ!」の流れになりまして。
ここでもまた丁寧なことに「出ていけ/ドン」の背景には例の瓦割りの写真が改めて描かれています。
(再掲)

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これはもう疑いようもない演出意図と見るべきでしょう。

つまり。
仮にも格闘技の有段者が(例え本人的には手加減しているのだとしても)素人に対してカジュアルにその技を振るうなどということは言語道断です。武道経験者であるゴローちゃんは、もちろん人一倍そういうことには敏感でしょう。

上に2つ書いた解釈の内容も当然関係はしているでしょうが、井之頭五郎をしてアームロックにまで至らしめた決定的な理由はと言えばこの空手チョップであろうと思われます(明らかにそのような演出意図でもって細かな描写が積み重ねられているということ)。
もちろん、店主がゴローを小突いたのが直接のきっかけではあるのですが。

メシの恨み+義侠心に、武道を嗜むものとしての憤りも重なって、ついにアームロックに至ったというわけです。

「素人相手に手を出すような奴は、俺が技を掛けたって文句を言える筋合いじゃない」というような考えも無意識的に働いていそうですね。

それを止めた呉さんの目にゴローが何を見、感じたか……。これは神のみぞ知るところかも。

【余談1】
しかしです。今でこそ大変な人気作となった『孤独のグルメ』ですが、連載当時はそこまでの注目度もない地味な作品だったはず。
その作品にここまで細かく、読めば読むほど納得のいくような描写を凝らしている谷口ジロー先生の腕前は実に見事です。もちろん、原作の久住先生による指示のようなものはあったのでしょうが。

あと、このお店にはモデルがあるはずなんですが、こんな話にしちゃって良かったんでしょうか……と心配になったり(^_^;)。

【余談2
本題とは関係ありませんが、『あんた文句あんのか』に『ある』と一言ズバっと切り返す。これはかっこいいですね。憧れますね。一度はやってみたいですね。
ただ、現実世界で実際にこれをやると、まずほとんどの場合あとを引いて、全然スカッとしないグダグダがいつまでも続く可能性が高いのですが……(-_-;)。

【余談3】
これは本当に余談です。
コミック最終話「フランス・パリのアルジェリア料理」はRestaurant L'etoile, 51 Rue Myrha, 75018 Paris だという無駄知識をゲットしまして。
いつか『映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?』(本note初回で扱った作品)の聖地と併せて巡礼と洒落込みたいものなのですが。
……果たしていつになることやら。

下はRestaurant L'etoileのストリートビュー。

ついでにゴローが「パリの中のアフリカ」の情緒に浸っているのは Rue Dejean の Les Primeurs du Château の前あたり。


そして、下は「花の都」の映画で印象的だった場所の一つ。
「プリキュアでもないのに私に立ち向かうとは、勇気と無謀を履き違えていないか」
「それはどうかしら!」


※最初は画像引用なしの原稿だったのですが、さすがに分かりづらいかと思い、さしあたりネット上にあった画像の流用で凌がせていただきました。なので画質は最低です。ズボラで申しわけありません。またトップ画像は公式サイトにあったもの。


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