見出し画像

私が好きな夏目漱石の講演(の枝葉部分)3 「道楽と職業」の「博士」論

前置き

(承前)
勢いがなくならないうちに(?)。我ながら矢継ぎ早に書いています。

「道楽と職業」の「博士」論


今回引っ張る箇所は、これまで以上に、講演の本題とは離れた部分かなと思います。

でも、なかなか面白い。

私は博士号などは持っていませんが、すでに取ったとか、これから取ろうと考えているといった人にとっては(特にお医者さんにとっては)耳が痛かったりする部分もあるかも?
あと、今日の観点での差別用語も含んでいますが、時代性を考え、特に伏せたりはせずにおきます。

今の社会では人のお世話にならないで、一人前に暮らしているものはどこをどう尋ねたって一人もない。この意味からして皆不完全なものばかりである。のみならず自分の専門は、日に月に、年には無論のこと、ただ狭く細くなって行きさえすればそれですむのである。ちょうど針で掘抜井戸を作るとでも形容してしかるべき有様になって行くばかりです。何商売を例に取っても説明はできますが、この状態を最もよく証明しているものは専門学者などだろうと思います。昔の学者はすべての知識を自分一人で背負って立ったように見えますが、今の学者は自分の研究以外には何も知らない私が前申した意味の不具が揃っているのであります。私のような者でも世間ではたまに学者扱にしてくれますが、そうするとやっぱり不具の一人であります。なるほど私などは不具に違ない、どうもすくなくとも普通のことを知らない。区役所へ出す転居届の書き方も分らなければ、地面を売るにはどんな手続をしていいかさえ分らない。綿は綿の木のどんな所をどうして拵えるかも解し得ない。玉子豆腐はどうしてできるかこれまた不明である。食うことは知っているが拵える事は全く知らない。その他味淋にしろ、醤油にしろ、なんにしろかにしろすべて知らないことだらけである。知識の上において非常な不具と云わなければなりますまい。けれどもすべてを知らない代りに一カ所か二カ所人より知っていることがある。そうして生活の時間をただその方面にばかり使ったものだから、完全な人間をますます遠ざかって、実に突飛なものになり終せてしまいました。私ばかりではない、かの博士とか何とか云うものも同様であります。あなた方は博士と云うと諸事万端人間いっさい天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるのです。それだから私は博士を断りました。しかしあなた方は――手を叩いたって駄目です。現に博士という名にごまかされているのだから駄目です。例えば明石なら明石に医学博士が開業する、片方に医学士があるとする。そうすると医学博士の方へ行くでしょう。いくら手を叩いたって仕方がない、ごまかされるのです。内情を御話すれば博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るような仕事をするのです。深いことは深い。掘抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い。それを世間ではすべての方面に深い研究を積んだもの、全体の知識が万遍なく行き渡っていると誤解して信用をおきすぎるのです。現に博士論文と云うのを見ると存外細かな題目を捕えて、自分以外には興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思われます。ところが世間に向ってはただ医学博士、文学博士、法学博士として通っているからあたかも総ての知識をもっているかのように解釈される。あれは文部省が悪いのかも知れない。虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもっと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思う。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺病とは没交渉の赤痢であって見れば、単に博士の名で肺病を担ぎ込んでは勘違になるかも知れない。

夏目漱石「道楽と職業」より

※文中、「虎列剌」=コレラ、「腸窒扶斯」=ちょうチフス。また「綿の木」と言っているのは、とぼけているのか、真面目に言っているのか、ちょっとよく分からないところです。


この講演が行われたのは明治44年とのことですが。

・「博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るような仕事をするのです。深いことは深い。掘抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い。」

・「現に博士論文と云うのを見ると存外細かな題目を捕えて、自分以外には興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思われます。」

針の先きで井戸を掘るような仕事、というのは、やっぱりうまい表現だなと思います。
しかし、この時代、既にこういうことが言われてたのですね。
明治でこれですから、今日=令和の博士論文などが、ちょっと常人には見当もつかないほど細かい領域を取り扱うのも、まぁ仕方のないことではあるでしょう……。

* * * * *

補足:漱石が別所で行った講演に、同様の趣旨のものがあったようです。その新聞記事が発見されたというニュース。いわゆる「持ちネタ」だったっぽいですね。http://kyodoshi.com/article/9513/