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トルストイの日露戦争論/「汝ら悔い改めよ」 第九章

第九章


(本章エピグラフの試訳はこちら

 但[た]だ予に向って問う者あらん、今や我等の敵は、既に我等を攻撃し、我等の人民を殺戮し、我等を劫掠しつつあるに際して、我等露人は自国民の間[あいだ]に在[あっ]て直ちに何を行うべき乎[か]露国の兵卒、士官、将官、皇帝、一私人は果して如何なる行為に出ずべき乎、我等は真[しん]に我等の敵が我等の所有物を戕残[しょうざん]し、我等の労働者の生産物を掴取[かくしゅ]し、捕虜を押送[おうそう]し去り我等の人民を殺戮するを許すべき乎、此事既に起[おこ]るの今日に於て我等は何を為すべき乎」と

 苟[いやし]くも明達の士{下註}は皆な答えて曰わざる能わず、彼[かの]戦争が何人[なんぴと]に依[よっ]て起されしにもせよ、其起れるの以前に於て、其他何物よりも以前に於て、我が生活の事業は早く既に開始されたるに非ずや、而して我[わが]生活の事業なる者は、旅順口{下註}に対する清人[しんじん]、日本人、若くば露国人の権利の承認と何の交渉あらざる也、我生活の事業は実に我を此世に送りたる神の意を行うに在り、我は能く此意を知れり、此意は我が隣人を愛して其の為めに尽さざる可らずてふこと是れのみ、然らば則ち我は如何ぞ一時的なる偶然的[ぐんぜんてき]なる非理なる而も暴逆なる要求の為めに、永遠不変なる我生命の法則に違背[いはい]することを得んや、神真[しん]に在[ましま]さば、我れ死するの時に於て(実際何時[なんどき]死するも知れず)彼は決して予に向って、予が鎮南浦[ちんなんほ]{下註}の材木[ざいぼく]、若くは旅順{下註}、若くば露西亜[ろしあ/ロシア]帝国と名[なづ]くる大土壌[だいどじょう]を保護せるや否やを問い玉[たま]わざるべし、是れ神の予に委任せざりし所なれば也、彼は唯だ問い玉わん、予は神が賦與せる生命をもて何事を為したる乎──予は果して神の定め玉える目的の為めに予の生涯を使用せし乎、予に委任せられし所以の条件を行うことを得たる乎、換言すれば即ち予は神の法則に遵由[じゅんゆう]したる乎と

 故に戦争既に開始せる今日に於て何を為すべき乎てふ問いに対しても、能く天命を了知[りょうち]するの人は、其地位職業の如何を省みずして、唯だ左[さ]の如く答えんのみ、曰く、我は我が境遇の如何に関せず、戦争の開始せると否とに関せず、数千の露国人若くば日本人が殺されたるや否やに関せず、啻[ただ]に旅順のみならず、聖彼得堡[せんとぴーたーすぶるく/セントピータースブルク]{今日の一般的表記では"サンクトペテルブルク" 等。下註}及び莫斯科[もすこう/モスコウ]{今日の一般的表記では"モスクワ" 。下註}すらも陥落すると否とに関せず──我は神の我に命ぜし以外の事を行う能わず、故に人間としての予は、直接と間接と、指揮すると、賛助すると、煽揚するとの別なく、総て戦争なる者に参與すること能わず、然り我は能わず、我は願わず、我は為さず{下註}、而して予が神意に反するの事を為すを肯[がえ]んせざるが為めに、予の身上に直ちに如何なる珍事の起り来[きた]るべきやは、予固[もと]より之を知らず、知ること能わず、然れども予は信ず、神意を行うに依りて生する所の者は我が為めに及び万人の為めに必ず善なる者ならざる可らずと

 汝等皆な曰う、若し吾人露国民にして戦いを止[や]めて、日本人の要求に屈従せば、其結果は恐るべき者あらんと

 然れども若し吾人が吾人の隣人を愛し、彼れの為めに尽す可きこと(是れ何人[なんぴと]も反対し得ざる所)を要求せる真正の宗教を人類の間に確立するを以て、果して人間の堕落自滅を救うべき唯一[ゆいち]の方法なりとせば、即ち一切[せつ]の戦争や、交戦の刻一刻や、及び我[わ]が之に参與することは、皆な唯だ此救いの実現をして益々困難に且つ遼遠ならしむるものに非ずや
 仮りに彼等の薄弱なる意見に数歩を譲って、其予想せるが如き結果を生ずるの外[ほか]なしとするも──露国人が日本人の要求に屈従するの外なしとするも、而も之が為めに、荒廃及び屠戮[とりく]を避くるの明白なる利益あるのみならず、是れ実に人類を其破滅より救うの唯一[ゆいち]手段の実現を速[すみや]かならしむるものなり、之に反して戦争の継続は、其終局の如何に関せず、唯一救世の手段と背馳[はいち]するものなり

 論者或は曰わん「果して如此[かくのごと]しとするも、而も戦争の休止は一切[さい]人類──若くば其多数──が戦争に與[あず]かるを肯んぜざるに至りて、初めて能くするを得べきものにして、彼[か]の露国皇帝にもせよ、一兵卒にもせよ、単に一個人の之を拒絶するが如きは、何人[なにびと]にも寸毫の利する所なくして、徒[いたず]らに其生涯を零落せしむるに了[おわ]らんのみ、思え露国皇帝其人と雖も若し今日戦争を中止せんとすることあらん乎[か]、彼は直ちに廃位せられ、若くは弑殺[すいさつ]せらるるに至らん、若し常人にして兵役に就くを拒絶せん乎、彼は直ちに囚徒隊[しゅうとたい]に護送せられて、而して大抵射殺[いころ]され了[おわ]るべし、然らば則ち是れ実に社会の為に利益すべき生命を抛擲[ほうき]して無用の犬死をなす者にあらざる乎」と、平生其生活の目的を考究せず、悟了[ごりょう]せざる人々は皆な如此く言わざるはなし

 然れども真に其生活の目的を悟了せる人──即ち敬虔なる人物に至りては、決して如此きの言を為すことなし、是等の人々の活動は、決して其行為の結果の予想如何に依[より]て指導せらるる者に非ずして、実に其生活の目的の自覚に依て指導さる、工塲の労働者は其工塲に赴きて、彼[かれ]れに課せられたる労働を成遂[なしと]ぐるを知るのみ、亦其労働の結果如何と省みるなし、兵士の働く亦如此し、唯だ上官の命令を奉ずるを知るのみ、敬虔なる人物が神より命ぜられたる事業を遂行する、亦た如此し、其事業が如何の結果を生ずるや初めより仔細に議[ぎ]すべき所にあらず、故に敬虔の人に在っては、彼と事を同じくする者の多少如何は問う所に非ず、又何事の起り来[きた]るべきやは問う所に非ずして、唯だ神の命ぜる所を遂行するのみ、彼は何物も生死の以外に出[い]でざることを明知せり、而して生死は一に神の手中に存す、彼は唯だ神に従わざる可らず

 敬虔の人は如此く行う、其他を知らず、彼の之を行うは开[そ]を希[こいねが]うが為めにもあらず、自身若くは他人に利するが為にもあらず、唯だ其生命が神の手中に在るを信ずるが故のみ、其他を知らず

 敬虔なる人物の活動が高尚尊貴[そんき]なる所以は実に此に在り、

然り如此[かくのごとく]にして彼等の生活が利益に依らず、議論に依らず、唯だ宗教的自覚に依[より]て指導せらるるに至りて、人類は初めて困厄[こんやく]より救わるるを得ん



★註釈の前の注意書き

今回の「汝ら悔い改めよ」の連続記事ですが、この先の註釈などでは、国名などについて、以下、原則として次のように表記していこうと思います。
ただし、分かりやすさやド忘れなどのために、そうならないこともあるかもしれません

中国大陸:歴史的文脈では「清」「清国」。一般的文脈では「中国」など。

朝鮮半島:歴史的文脈では「朝鮮」あるいは日露戦争当時の正式な国号である「大韓帝国」。
 一般的文脈、特に今日的なことも視野に入る場合などでは:「朝鮮民主主義人民共和国」あるいは「北朝鮮」/「大韓民国」あるいは「韓国」/両者を特に分けない場合は「南北朝鮮」「朝鮮半島」など。

言うまでもなく、本文については「原文ママ」です。


(以下、註釈)

※都合により、今回は註を省いた形で一旦UPします(近日中に追加予定ではあります)。

ただ一言付言しますと……訳文中の「鎮南浦[ちんなんほ]」は、「鎮南浦」ではない別の場所が正しいのでは(つまり、一種の誤訳)という可能性などを考えたりしています。

これについて端的に書くと、

・この箇所は大本の露文では «Юнампо» (ローマ字表記に直すと "Yunampo")。一方、英訳では "Chi-nam-po"。

・ この地名は第十二章でも再度出てきて、露文ではここでも «Юнампо» 表記。英訳では「〜などといった場所」というニュアンスを出すため "chinnampos" 。

・英文 "Chi-nam-po", "chinnampo(s)"を「鎮南浦」と日本語に訳すのは当然だろうが、そもそもなぜ "Юнампо" (Yunampo)→ "Chi-nam-po / chinnampo(s)"?
(ちょっとした仮説は思いつきますが、差し当たり省きます。なお、仏語訳版で: Yunan-Po、独語訳版で:Yunampo。また、ユナンポという地名で検索しても、それらしいところは見つけられませんでした。)

・なお、ロシア語から直接訳していると思われる春秋社版の訳では「雲南浦」。「雲南浦」はハングル表記なら운남포(Un-nam-po/ウンナンポ)で、これが Yunampo になるのは、確かにありえなくもない感じ。
ただ、これが実在する地名なのか(とりわけ、日露戦争の戦場として名前が挙がるような場所なのか)は、よく分かりませんでした。

・話の飛躍を敢えてするなら、鴨緑江の河口付近に「龍岩浦」という地名があるのが気になる。
(Wikipedia記事「鴨緑江会戦」の「画像」のところにある「日本軍の第一軍が所有していた地図」などを参照。)
ここは、今日のハングル表記だと "용암포" Yong-am-po(韓国式)あるいは "룡암포" Ryong-am-po(北朝鮮式)。

・龍岩浦には製材工場などがあり、ちょっとした駐屯地のようにもなっていたらしい。鎮南浦より本文の文脈に合うような?
(参考論文:「日本の朝鮮森林収奪史」。リンク先、論文中のページ割りで31ページなど。)
とは言え、ここはあくまで「ヨンアンポ」ないし「リョンアンポ」。決して「ユナンポ」ではなく、直ちに「ここだ!」と飛びつくのはいかにも軽率。

・「ユナンポ」という地名が実際にある(あった)としたら、ハングル表記は恐らく、유남포(Yu-nam-po)または 윤암포 (Yun-am-po)といった感じか。漢字表記はいくらでも考えられるが、あくまで戯れに当てはめてみるなら、前者は「流南浦」、後者は「潤岩浦」、等々……。

……といったところです。斯界ではとっくに結論が出ていて、「車輪の再発明」をしてるだけでなければ良いなぁ、と(苦笑)。

・なお、鎮南浦(진남포)は今日の北朝鮮の南浦特別市(남포특별시)。平壌西郊の港湾都市。

確かにここでも日本軍の軍事行動はあったようです。