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トルストイの日露戦争論/「汝ら悔い改めよ」 第四章

第四章

 試みに彼[か]の老親に別れ妻子を棄て去りし兵士、歩卒[ほそつ]、伍長、非役[ひやく]士官等に向って、何故[なにゆえ]に彼[かれ]が其曾[かつ]て相見[み]しことなき人類を殺戮するの準備せるやを問わば、彼は蓋[けだ]し啞然として答うる所を知らざるならん、彼は一兵士なり、彼は宣誓を為せり、而して上官の命令を遵奉[じゅんほう]するは彼の責務とする所なればなり、而も更に進んで、戦争──即ち人類の屠戮[とりく]──は「汝殺す勿[なか]れ」てふ訓戒と一致せざるものなりと語らば、彼は曰わん、「而[しか]も若し我等の攻撃せらるる時は如何──王の為めなり──正教の信仰の為めなり」と、(彼等の一人[にん]は曾て予[よ]の問[とい]に答えて、而も彼れ若し神聖なる物件を攻撃し来[きた]らば如何せん」と云えり、予は之に対して「神聖の物とは何ぞや」と問えるに、彼は「無論軍旗なり」と云いしことありき」、而して若し斯[かか]る兵士に向って諄々として、神の訓誨[くんかい]は軍旗よりも更に大切なるのみならず、世界の何物よりも大切なることを説[とき]たらんには、彼れ必ず黙然たるに至らん、否[しか]らずんば即ち怫然[ふつぜん]として走って上官に訴えん

 試みに士官、将校に向って、何故に彼が戦争に赴くやと問えば、彼は答えて曰わん、我は軍人なり、而して軍隊は祖国防護の為めに必要なりと、若し夫[そ]れ殺戮が基督教の法則の精神に違反するてふことに関しては、彼は甚だ介意[かいい]する所なけん、彼は此法則を信せず、若[もし]くば之を信ずるも、开[そ]は法則其物を信ずるに非ずして之に附随せる解釈を信ずるものなれば也、兎に角彼は自ら何事を為すべきやてふ一身上の問題に接すれば、亦嚮[さ]きの兵士と同じく、毎[つね]に国家若くは祖国に関する一般問題を担ぎ出[いだ]して之に代[か]う、乃[すなわ]ち曰く「目下の処[ところ]、人は祖国の危難に際しては奮闘せざる可[べか]らず、理窟は無用なり」と

 又[ま]た試みに其譎詐に依りて戦備を整うる所の外交家に向って、彼等は何故[なにゆえ]に开[そ]を為すやを問わば、彼等は答うらく、我等が活動の目的は各国間に平和を確立するに在り、而して此目的は理想空論に依[より]て達すべきにあらずして、一に外交的手腕と戦備に待たざる可[べか]らずと、而して彼等外交家も亦嚮[さ]きの軍人が、自己一身の行為の問題に代うるに、一般問題を以てせると同じく、露国の利益を説き、他列国の横暴を説き、欧洲の列強の均勢を説くのみにして、遂に一語の彼等自身の地位と活動とに及ぶなし

 更に試みに新聞記者に向って、何故[なにゆえ]に彼等は其文筆に依りて他人を煽動して戦[たたかい]に赴[おもむ]かしむるやと問わば、彼等は曰わん、戦争は一般に必須[ひっしゅ]且つ有用なる者なり、現時の戦争に至りては殊に然りと、而して彼等は曖昧極まる愛国的語句を弄して其意見の確実なるを証せんとし、又其一新聞記者、一個の個性、一個の活ける人間たる彼れが、何故[なにゆえ]に或る種の行為に出ずるやの問題に就ては、亦彼の軍人及び外交家と同じく、何等の語る所なくして、単に一般国民の利害、国家、文明、白人種等に就て論ずるのみ、

其他戦争を準備するの人々が自ら之に参與[さんよ]せることを説明するの言[げん]皆な同一轍[どういってつ]に出ず、彼等は大抵謂[おもえ]らく、戦争を禁廃[きんはい]するは元より望ましきことなるも、今日に於ては実行し難きの事なりと、今や彼等は露国人として、及び或[ある]地位ある人として、例[れい]せば貴族の戸主、地方自治体の代表者、医師、赤十字社員の如き地位ある人として、唯だ活動せんが為めに召喚せらる、即ち曰わん、「今は論ずべきの時に非[あら]ず、自己一身を考[かんが]うべきの時に非ず、吾人[ごじん]の遂行すべき一大共同の事業眼前に横[よこた]われるに非ずや」と、

而して彼[か]の全体の責任を負うが如くに見ゆる露国皇帝も亦同様の言[げん]を為すならん、然り彼[かの]皇帝も亦嚮[さ]きの兵士と同じく、戦争は今必要なりやてふ問いに接すれば、唖然として答うる所を知らざるべし、彼[かれ]は決して戦争の停止し得[う]べしてふことにすら想到[そうとう]せざる也、彼は言わん、彼[か]れは戦争が大害[たいがい]たるを承認し、其禁止の為めに有[あら]ゆる手段を尽したりき、而して又尽さんと欲すと雖[いえど]も、而も国民全体の要求を満足せしめざる能わず、今日の塲合に於ては彼は宣戦を避くる能わず、戦争を継続せざる能わず、是れ露国の安寧及び光栄の為めに必要なりと

思うに彼れ皇帝、イワン帝、ペートル帝{今日の一般的表記では"ピョートル"}、ニコラス帝{今日の一般的表記では"ニコライ"}、若[もし]くは甲某[こうぼう]、乙某[おつぼう]は{下註}、独り隣人を殺戮するを禁ずるのみならず、更に彼れを愛し彼の為めに尽すべきことを命ぜる基督教の法則を遵奉[じゅんほう]すと自称しながら、何ぞ自ら戦争──狂暴、掠奪、殺戮──に参加するを敢てせしやと問わば、今の主戦論者の答うる所は皆な相[あい]同じ、唯だ彼は斯くして祖国の名、若くば信仰若くは宣誓、若くは名誉、若くは文明、若くば人類全体の将来の安寧等の名に於て──一般に茫漠たる或物の名に於て働ける者なることを答うるのみ、而して是等の人人が、常に戦争の準備、若くば其作戦、若くば其論議に熱心鋭意なるや、間暇[かんか]あれば僅かに其労働より休息するに供するのみ、自家一身の生活如何を論議するが如きは、寧[むし]ろ逸予[いつよ]の事として、毫[ごう]も之を省[しょう]するを許さざる也


※「思うに彼れ皇帝〜乙某は」……この辺りの箇所を機械翻訳すると以下のような文が得られました。
(率直に言って、歴史的意義とかにこだわらなければ、こちらのほうがずっと読みやすいですね。苦笑。)

「イワンもピョートルもニコライも、隣人を殺すことを禁じるだけでなく、隣人への愛と奉仕を要求するキリスト教の掟の義務を認識しながら、なぜ戦争、すなわち暴力、強盗、殺人に参加するのかと問われれば、祖国のためとか、信仰のためとか、誓いのためとか、名誉のためとか、文明のためとか、全人類の将来の利益のためとか、一般的には抽象的で明確でない何かのためにそうするのだと、いつも同じように答える。」

ここの原文
«Все эти люди на вопрос о том, почему он, такой-то, Иван, Петр, Николай, »
は、「例えばイワンとかピョートルとかニコライとかいった、これら全ての人々は〜と問われて、なぜ〜」といった感じの文章。

イワンもピョートルもニコライも、ごくありふれたロシア人男性の名前であり、ここまでの文中で色々な類型が語られてきたロシア人男性を全般的に指し示す言葉として、ここでは選ばれている──というのがこの箇所の「表向き」の意味合いではないかと私には思われます。

一方で、「イワン」はロシア史で有名なイワン雷帝(イワン4世)、「ピョートル」はピョートル大帝(ピョートル1世)、「ニコライ」はもちろん当時のロシア皇帝であるニコライ2世を、それぞれ直ちに連想させる名前でありますから。
この箇所では、さり気なく(?)皇帝を当てこすっているというか、帝室批判的なニュアンスを忍ばせているというか、そういう「裏の意味」を持たせた文章なのではという気がします。あからさまといえばあからさまですが「それは全くの誤解です」という言い訳さえ用意できれば、それで良かったのかもしれません。
この解釈で良ければ、平民社訳はそのあたりのニュアンスを読み取れなかったということになるでしょう。