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トルストイの日露戦争論/「汝ら悔い改めよ」 第五章

第五章

 今の基督教世界及び今の時代の人々は、恰[あたか]も正しき道を踏み迷いて、行[ゆ]けば行くほど其道の誤まれるを悟る人にサモ似たり、されど其人、其疑いの増せば増すほど足を早めて死物狂いに急ぎつつ、斯[か]くせば何処[いずこ]かに到着するならんとて纔[わずか]に自ら慰め居れり、然るに終[つい]には其の取りつつある道が断崖[だんがい]に達するの外[ほか]なしと知れ、既に眼前にそを見得[う]るの時とはなれり

 今の基督教の人道は正に斯くの如きの地位に立てり、若し我々にして、我々の私的生活並[ならび]に国別[こくべつ]生活に導かれて、永く此生活状態を持続し、単に我身及[および]我国[わがくに]の幸福を望み、而して現に我々の為せるが如く、暴力を以て其幸福を追求せんとし、隨[したが]って人と人、国と国との間に暴力の手段を増加するとせば、我々は先[ま]ず自縄自縛の境遇に踏み入り、生産力の多[た]部分を割いて軍備に充つるに至るべく、次に又、相互の戦争に於て体力最も健全なる人を殺し、我々は漸次堕落して衰残[すいざん]に帰すべきこと明白なり

 若し我々にして此生活を改めずんば終[つい]に右の如きに至るべきこと、恰も平行せざる二直線が終[つい]に相合[そうごう]すべきが如く、爾[しか]く数理的に正確なり、而して是れ只[た]だ今の時に於て理論的に正確なりと云うのみにあらず、そは漸[ようや]く人心の奥に入[い]り、更に自覚に到達せんとせり、我々が今近づきつつある断崖[だんがん]は既に明白となれり、而して最も単純なる、曾て物の道理を考えざる、無教育の人々と雖[いえど]も既に之を見ざること能わず、即[すなわ]ち彼等は只[ただ]互[たがい]に其武備を増して互に相殺[そうさつ]し、瓶中[へいちゅう]の蜘[くも]が相闘[あいたたか]いて互の破滅に帰するの外[ほか]なきに似たり

 彼[か]の羅馬[ろうま/ローマ]や、チャールス大王{今日の一般的表記では"カール大帝", "シャルルマーニュ"}や、ナポレオンの如き、世界的大帝国に依って、今の世の事態を救わんと欲するが如きは、畢竟[ひっきょう]過去時代の想像に過ぎず、真摯[しんしつ]誠実にして識見ある今日の人士は、到底之を以て自ら慰むること能わず、中世に行われたる羅馬[ろうま/ローマ]法王の神権の如きも、神聖同盟{下註}の如きも、欧州合奏[ごうそう]の権力平均の如きも、平和的国際会議の如きも、或[ある]者の思考せる、武力の増加、有力なる武器の新発見の如きも、皆亦之に同じ

 今の欧洲諸国を以て世界的帝国若しくば共和国を組織せんとするは到底不可能なり、個々別々の国民性は決して一国家に結合するを希望せざるべければなり、さらば国際の紛争を解決せんが為[ため]に国際会議を組織すべしと云う乎[か]、そもそも何人[なにびと]か能く幾百万の軍隊を有せる当事者に対し、国際会議の裁決に服従すべき事を強要すべきぞ、兵備を撤去すべしと云う乎、何人も之を望まず、亦何人も之を始めず、一層恐ろしき破壊力を有せる武器を発明すべしと云う乎、毒瓦斯[がす/ガス]を充たせる爆裂弾を積みたる軽気球{下註}の謂[いわれ]乎、空中より互いに雨下すべき砲弾の謂乎、其発明はヨシ如何にもあれ各国互[たがい]に同様の破壊力ある武器を設備すべし、而して彼[か]の大砲の餌食(即ち兵士)は、曾て刀剣の後[のち]に銃丸に屈服し更に意気地なくも砲弾、爆裂弾、遠距離砲、機械砲、地雷火[じらいか]等に其身を曝したるが如く、今後は又軽気球より投下せらるる毒瓦斯含有の爆裂弾に屈服する事となるべし

 日露戦争はヘーグの平和会議{下註}と矛盾せずと云えるムラヴイエフ氏及びマルテンス博士{下註}の演説は今人[こんじん]が如何に甚だしく演説と称する思想伝播術を曲用し、如何に多く合理的の思索に欠けたるかを、最も明瞭に、最も顕著に表白[ひょうはく]したるものと云うべし{下註}、今や思想と演説とは、人間行為の方針を示さんが為に用いられずして、却って有らゆる行為(よしそは有罪の事ならんとも)を是認せんが為に用いらる、曩[さき]の英杜[えいと]戦争{今日の一般的表記では"ボーア戦争"。下註}及び今の日露戦争は何時[なんどき]世界的大殺戮を惹起[ひきおこ]さんも知れざる事なるが、二者{下註}共に疑いもなく右の事実を證明せり、総ての非戦論が戦争停止の為に何等の効力なきこと、非常なる雄弁も親切なる勧告も、一片の肉を争える闘犬に対して何等の効力なきが如し、彼等が互に血を流して相争うの間、其肉片は闘争に関係せざる、通りかかりの他の犬の為に奪去[うばいさ]らるべきに依り、寧ろ二頭の間に其肉片を分[わか]つことの利益なるを説くと雖[いえど]も、彼等豈[あ]に容易に之を聞かんや

 我々は今断崖に向って突進しつつあり、中途に止[とどま]ること能わず、而して今正に其縁端[えんたん]に近づきつつあり

 苟[いやし]くも道理を弁[わきま]えたる人にして、今の人道が斯くの如き地位に置かれ、其の終[おわり]に斯くの如き処[ところ]に達せざるを得ざるを思わば、何人[なにびと]と雖[いえど]も、此地位よりして我々の破滅を救うべき何等実際の施設出ずべしとも思わず、又何人も爾[しか]く有効なる結合或[あるい]は組織を作り得べしとも信ぜざるべし

 経済問題の漸次複雑に赴[おもむ]くは姑[しばら]く之を措くとするも、各[かく]十分に武装して何時[なんどき]にても直ちに戦端を開かんとするが如き、今の国家相互の関係は、此の謂わゆる文明社会の人道が終[つい]に何等かの破壊に到着すべき事を明白に指示せる者なり{下註}


※神聖同盟……以下の解説を参照のこと。


※軽気球……参考までに、ライト兄弟の初飛行は1903年12月17日。本論文発表の半年ほど前のこと。

※ヘーグの平和会議……第一章の註(ハーグ会議)を参照のこと。

※ムラヴイエフ氏及びマルテンス博士……第二章の註で述べたムラヴィヨフ氏とマルテンス氏のことと思われます。詳細はそちらにて。

※「日露戦争は〜云うべし」……この箇所の原文は(英訳でも)、反語を用いた、少々ひねった言い回しをしています。平民社訳ではもっとストレートな言い回しに直しています(一種の意訳と言っても良いでしょう)。
興味のある方は原文ないし英訳に当たられるのも良いかも。

※英杜戦争……ボーア戦争のこと(「英杜戦争」で検索すると、古めかしい文書がそれなりにヒットします)。
曩[さき]の、と述べられているところから、ここではとりわけ1899年~1902年の第二次ボーア戦争を念頭に置いているものと思われます。

なお「杜」の字は主要交戦国の一つであるトランスヴァール共和国を指すものかと思うのですが、ざっくりの検索ではそこまで確認できませんでした。

※二者……ボーア戦争と日露戦争

※「〜指示せる者なり」……原文では(英訳でも)この後、本論文の核心である第六章に向けての、ややケレン味あるヒキの一文が入るのですが。
どうしたわけか平民社訳では、その最後の一文が抜けています。

原文
«Так что же делать?»
加藤直士訳では「然らば則ち之を如何にすべき乎。」としています。