見出し画像

トルストイの日露戦争論/フィガロ紙の関連記事

以下は、加藤直士訳「トルストイの日露戦争観」に紹介されている仏「フィガロ」紙の記事です。

冒頭に加藤氏の但し書きがあり、それによれば1904年3月18日〜31日、フィガロ紙に元記事が連載。その記事を米ニューヨークの週報(序文によれば四月二十七日の紐育週刊ポスト)が転載。さらにその記事の大要を加藤氏が重訳したもの、とのこと。

大本の出典がここまで分かっているのであれば。
元のフィガロ紙記事を国会図書館かどこかで手に入れて、文字起こしして、機械翻訳にかける……ぐらいのことは、労を惜しまなければ、そこまで困難という話ではなさそうです。
(この件、下にちょっと補足。)
ですがそれは今後の課題として(^_^;)。とりあえずは加藤氏のダイジェスト重訳版を文字起こして、ここに載せておこうと思った次第です。

(本稿はまだ準備中。後ほど、中身を書き入れ、形も整える予定)

(フリガナは底本にないので、必要と思うものを勝手に(!)当方で振りました。あるいは読み間違いもあるかもしれません。)

トルストイ伯時局談

人種よりも人類──欧州文明の罵倒──伯の日本人観──支那人及び印度人の賞讃──伯の愛国心──人類の将来──日露戦争に対する伯の熱中。

仏国巴里のフ井ガーロ新聞は、其特派通信員がトルストイ伯を訪[とぶろ]うて伯の日露戦争観を問い質したる長篇の記事を、過ぐる三月十八日より三十一日に亘る紙上に連載したり。左は米国紐育の週報に転載せられたる所に據りて、其記事の大要を重訳せるものなり。

 予は一日と一夜との間、トルストイ伯の家に客となった。予が家僕に案内せられて、下の小さい書籍室に這入る間もなく、翁は左の手の拇指を脇なる革帯に挿し込み、右の手を長く伸ばし、髯のあいだには心寛かなる微笑を湛えつつ、三歩ばかり大きく蹈んで、悠然と現われ来った。げに是れ、伊太利の名手が描きなしたる大慈大悲の神が、俄かに天降りましたかと思うようである。

(文字起こし、まだ冒頭のみ。以下、準備中)

※補足:実のところ、こちらの記事ってフランス語版をオンラインで読めるんじゃないかという気がしています。例えば次のアドレスで1904年3月18日の「フィガロ」紙が読めるような?
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k2865507/f1.item.zoom

これは、これでしょうか。

他にも次のようなのも。「フィガロ」紙をOCRスキャンしてテキスト化したものか。
(1904年4月5日とあり、日付が少し「但し書き」にあるのと違うというか、範囲外な感じですが、割とそれっぽい内容のような。)https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k2865690/f1.textePage.langFR

また、こんなのも。連載記事をまとめ、単行本化したものか?https://fr.wikisource.org/wiki/Auteur:Georges_Bourdon