見出し画像

特撮モノと「女性の活躍」(ウルトラシリーズと「ゼロ・グラビティ」より)

【本稿は『ウルトラマンマックス』第15話「第三番惑星の奇跡」の内容への軽い言及と
映画「ゼロ・グラビティ」へのネタバレを含む言及
さらに、この両作品への辛口の批判を含んでいます。】


はじめに

時代は「女性の活躍」を欲している、と言われます。
オッサンになると「それって、もう何十年も言ってるよなぁ」とか、ちょっと嫌味な感想を持たないでもないけど、しかし「女性が活躍すること」自体に別に異議はなく、どころか、目を見張るようなすごい才能がどんどん現れてくれれば、くらいの気持ちでもあります。

と、前置きしたのは、最近見た「ウルトラマンマックス」第15話に違和感を持ち、さらにそこからかつて映画「ゼロ・グラビティ」にイラついたことも思い出したからです。

簡単に言えば、これら作品、「女性の活躍」を描こうとしている、ということらしいのに全然そうなっていない。というか、私の目には「女性ディスり」の作品にしか見えないんだけど!?というツッコミです。

そんなわけで辛口レビューいきます。


『ウルトラマンマックス』第15話「第三番惑星の奇跡」(2005年)


ちょうど上記の回が(この文の執筆時点で)無料公開されているので、見てみました。
正直を言うと、サブタイトルがウルトラセブンの傑作回として名高い「第四惑星の悪夢」に似ているから、そのオマージュだろうかと思ったのです。実際には全く関係ありませんでしたが。
……というのは今回の本題ではないから措いて。

気になったのは、主人公の同僚らしき女性隊員の行動。
(すいません、マックスは全く見ていないので、キャラの背景とかには無知なのですが。)

この人をこのエピソードだけで判断するのはもちろん危険だけど、立ち位置的には、男性隊員に伍して戦う女性隊員、かと。
つまり「活躍する女性」として肯定的に描かれているキャラのはずだと思うのですが。

このエピソードを見るに、どうも私の目にはそうは映らないといいますか……。

そもそも論として、この手の防衛チームの隊員であるということは、それなりに優秀な人という設定のはずだと思います。
しかし、この人、そうした防衛チームの隊員にしてはひどく個人的なセンチメンタリズムから(「難病に苦しむ少女の音楽発表の会場を守らなきゃ、花束だって買ったのよ」といった調子)、ヒステリックになり、無謀な攻撃をして、却って自分の身を危険に晒してしまいます。(7:40あたり)

挙げ句に 8:34あたりの描写で……これ、本来なら明らかに助かってないですよね。

で、私は悩んでしまうのです。
このエピソードって
「女性はいざとなると冷静さを失い足手まといになるばかり。あくまでヒーローに助けられてナンボの存在なのだ」
というメッセージを子どもたちに伝えたいんだろうか!?と(まさかねぇ)。

まぁ、でも『ウルトラマンマックス』についてはいくらでも弁護はできると思います。

・これは子供向けの作品なので、わかりやすさを重視した結果こうなったのだと考えることはできるし
(本当は子供向けだからこそよく考えてもらいたい部分はありますけど)

・このシーン自体はエピソード全体を左右するような場面というわけでもありませんし

・TVシリーズだとエピソードによってご都合主義的にキャラが変わっちゃうこともあるし(「マックス」がそうなのかは知りませんが)

・もうだいぶ前の作品でもあるし

(そして私の好きな昭和ウルトラにも、隊員が私情でヘンになって死にかけるような展開はあったし。例:『帰ってきたウルトラマン』第44話「星空に愛をこめて」の岸田隊員……^_^;)


映画「ゼロ・グラビティ」(2013年、米・英)

さて、個人的にもっとひどいと思ったのが、映画「ゼロ・グラビティ」。

これはですねぇ……私の見るところ、ほとんど不条理ギャグの世界に片足(以上)を突っ込んでいます。大人向けの映画だから「マックス」について書いた擁護も成り立ちませんし。
もう見たのがだいぶ前だからかなり記憶で語っちゃいますが。

宇宙飛行士と防衛チームの隊員になるのとどっちが難しいかは一概に言えないけど。
割とノリで選抜されてるようにも見えたりする防衛チームに比べ、リアルのスペースシャトル搭乗員になるのはずっと難しいと考えることもできます。
例えメインのパイロットでないミッション・スペシャリストであろうと徹底的に適性を見られ、選抜の上にも選抜を重ねられることは間違いありません。

しかし。そんな選抜をくぐり抜けたはずのサンドラ・ブロック演じる主人公がまともに宇宙飛行士してるのは映画冒頭ぐらい。

(言い換えるとそこまでは特に文句なし。特撮が素敵です。冒頭10分ほどが無料のようなので。)

その後、事故に巻き込まれ、振り子のように振り回されてパニックになる主人公ですが……。


これ以降、およそこの人が平常心を取り戻したシーンの記憶が全然ありません。
パニックになったり絶望したりしては、その度ごとに頼れる男性飛行士(俳優:ジョージ・クルーニー)に助けてもらって、辛くも生き延びるのです。

船内に火花が散っているのを華麗にスルーして当然のようにひどい目にあったりとか、その他いろいろあったような気がするけど。
あれだけ助けてもらったジョージ・クルーニー(よく分からない謎の力の作用で宇宙に流されてしまう)のことをなんとか救助できないかと考える素振りすら見せないのは凄すぎます。

いやはや、なんといいますか。

これはもう、どこをどう見てもこの映画のメッセージは

エリート中のエリートとして、最高度の訓練を受けたはずの宇宙飛行士(ミッション・スペシャリスト)といえども、所詮は女。
いざ宇宙という極限の環境に身を置けば、ちょっとしたことであっさり冷静さを失ってパニックになるばかり。
ヒーローたる男性飛行士にほとんど赤ん坊のように手とり足取り助けてもらってようやく生き延びられる、無能の上にも無能な存在なのである。
女性は宇宙飛行士になろうなどと無謀なことは考えず、おとなしく地上で暮らすべきだ。それが本人にとっても周りにとってもベストなのだから。

……こういうものだとしか私には考えられません。

しかし、私がすごく混乱させられるのは、世の中の人はあまりそう思っていないらしいことで。
それどころか、この映画は自立した女性のたくましさを描いているのだとか何とか!?
そんなレビューのほうが圧倒的に多いようなのです。
これは冗談でもなんでもなく、私には本気で理解できません。
もしや、私が見たのと他の人が見たのは別の映画だったのではと、そんなことすら考えたくなるレベルですが……

ネットで見つけた次の感想。
前半は私あまり賛成しないけど(特撮は凄いので映画館で見る価値あり。というか、多分、映画館で見ないと意味がない映画。一種のアトラクションです。)、後半の、ヒロインをディスる部分には大いに賛成です。



『帰ってきたウルトラマン』

ここまでで私が言いたいのは。
作り手の方が「女性の活躍を描くフリをしつつ、本当は女性をディスりたいんだ」と、そういう意地悪な意図を持って作品を作ってるのではないなら。
もう少し描写を考えたほうが良いのではないかなぁと。
また、鑑賞する側も作品内の描写が、言うほど「女性の活躍を描く」ものになっているかよく考えたほうが良いです。多分。

さて、しかし、そうは言っても女性の活躍をしっかり描くというのは言うほど簡単ではないのでは。
過去にその辺がうまく描かれていた作品ってあったろうか?……という質問が出るかもしれません。
が、これについては容易にお答えできます。
「帰ってきたウルトラマン」の丘ユリ子隊員です(ということで今回のトップ画像)。

丘隊員はすばらしいですよ。いつでも沈着冷静だし。他の隊員とともにマットアローに乗って攻撃もすれば、爆発炎上する地上を駆け抜けて射撃もします。

画像2

(第1話でオニギリ当番みたいな描写があったり、第47話の設定では通信メインになっているらしいことは、この際忘れてください^_^;)。

正直を言うと、丘隊員のパッと見には今ひとつ(少なくともTVドラマとして)華がない感じはあって、それをどう考えるべきかは一つの問題かもしれません。

女性隊員に「華」を求めるほうが古いのか、あるいは、戦う女性であっても「華」はなくさないほうが良いのか(この辺、特に女性の意見が気になるところです)。

ただ。それでも。「男に負けず劣らず格好良く戦う」──活躍する女性の基本イメージを考える上で、丘隊員はベストの見本になっているのではないかと思います。


そんなわけで……

結論

「活躍する女性の描写」という一点を取っても、『帰ってきたウルトラマン』はまさに不朽の名作と呼ぶにふさわしい作品である。

本稿をお読みになった皆さまにおかれましては、ぜひこのことを忘れず、しっかり胸に刻んでいただければと願って止みません。

終わり。

P.S. 『帰ってきたウルトラマン』の画像は以下のブログから流用させていただきました。ノリに好き嫌いは出そうだけど、力の入ったレビューです。
http://yctyct.blog64.fc2.com/blog-category-60.html