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トルストイの日露戦争論/平民社訳・加藤直士訳の序文(附:春秋社『平和論集』序文)

こちらの文の一部は、以前「補足・凡例その他」の回に載せていましたが、他の序文とまとめ、こちらに一括で載せることにしました。

平民社訳、加藤直士訳の序文と、あと、おまけというとアレですが、春秋社訳編『平和論集』の序文を、それぞれ文字起こししただけのものです。

(まだお引越し中です。後でもう少し形を整える予定)


平民社訳の序文

日露戦争論

トルストイ伯著
平民社訳

トルストイ翁が、日露戦争に関して、去[さる]六月二十七日の倫敦[ろんどん/ロンドン]タイムス紙上に約十欄を填[うず]むるの長論文を公けにせり、との電報は、世界万国を刮目せしめ、皆な鶴首して其論旨如何を知らんと要せり、今や吾人其全文を接手[せっしゅ]して之を読むに、其平和主義博愛主義の立脚地より一般戦争の罪悪と惨害[ざんがい]とを説き、延[ひい]て露国を痛罵し日本を排撃する處[ところ]、筆鋒鋭利、論旨生動[せいどう]、勢い当る可[べか]らず真に近時の大作[だいさく]雄篇にして、一代の人心を警醒[けいせい]するに足る者あり、即ち匇忙禿筆[そうぼうとくひつ]を駆[かっ]て此に其全文を訳し広く江湖に薦む、但だ吾人の不才[ふさい]加うるに原文の一字一句を脱せざるを力[つと]めたるが為めに、筆端窘束[ひったんきゅうそく]、金玉[きんぎょく]を化して瓦礫となすを憾むのみ、


加藤直士訳の序文

(フリガナは底本にないので、必要と思うものを勝手に(!)当方で振りました。あるいは読み間違いもあるかもしれません。なお、文中に「平民新聞亦全紙面を割いて」とあるのは少々大げさで、確認したら全8ページ中の5.5ページほどでした。)

 小引

一幹の筆能く天下を動かすとは盖[けだ]しト翁の謂歟[いいか]。日露戦争観の一たび倫敦タイムス六月二十七日の紙上に現わるるや、世界の耳目は為めに聳動[しょうどう]せられ、就中邦人の争うて其内容を窺い知らんと欲すること啻[ただ]に大旱[たいかん]の雲霓[うんげい]のみにあらざるなり。余や甚だト翁に負う所ある者、乃ち之を我邦に紹介するの義務ありと思惟し、敢て禿筆を呵して此訳を成せり。金玉を変じて瓦礫となすの譏りは固より期する所。然るにト翁の此論を紹介するを以て任ぜるもの独り余のみならず、タイムス新聞の我邦に到着するや、東京朝日新聞先ず逐号之を訳載し、平民新聞亦全紙面を割いて之を訳出せり(一論文にして世人の注意を惹けること未だ曾て斯くの如きは有らざりき)余即ち此等の訳文をも参照し、又は其一部を採用し、以て茲[ここ]に稍[や]や完全に近しと自信する訳文を出すを得たるは、余の窃かに満足に堪えざる所、又深く両新聞訳者の労を多しとして感謝する所なり。附録仏国フ井ガーロ新聞記者の訪問録に至りては、四月二十七日の紐育週刊ポストに掲載する所を訳述せるもの、以て両々[りょうりょう]相待ってト翁の意見の全豹[ぜんぴょう]を知悉するの便に供せり。今や日露の戦局益々急迫、邦人日夜旅順の陷落を期待しつつあるの時に際し、敢て此書を世に出す所以のもの、聊[いささ]か以て我国民の反省を促がし、併せて露国思想界の暗流を知らしめんが為めのみ。若夫れ此論文を通じて見らるべきト翁の人格其物に至りては余の最も熱心に紹介せんと欲する所なり。知らず我が邦人果して此書を愛読するの餘裕ありや否やを。
 明治三十七年八月十日  訳者識[しるす]。


春秋社訳編『平和論集』の序文。これはこれで興味深い内容を含んでいると思います。
ネットにある《「春秋社」小史1》も併せて読むと、さらに理解が深まるように思います。

 序

 思想家としてのトルストイの生活を一貫する大要素は人間愛であると言える。彼のアナーキズム、彼の無抵抗主義は一つに此処に根ざしている。
 Der Anarchismus の名著を以て世に知らるるエルツバヘル{今日の一般的表記では"エルツバッヒャー" / Elzbacher }はトルストイをバクウニンやクロポトキン同列に並べるけれど、それは単に外観と、結果の上からの類別であって、其間には多大の径庭[けいてい]が存するのである。成程トルストイは人類が究竟の平和を得るには権力を廃し、革命の止み難きことを主張した。けれども彼は同時に一切、イエスの真精神、即ち、祭司の長の下僕の耳を削いだペテロを彼が誡めた「暴に酬ゆるに暴を以てするなかれ」という精神を文字どおりに尊重して、無抵抗をとなえ、斯くして武装的平和と称するが如き大矛盾、大不徹底のダイレンマから逭[のが]れ得た。だから彼の革命は決して断頭台や、バリカードや、銃劒や、爆弾やを必要とせないばかりか、又荒き声一つだにあげないで目的を達しようという、至極平和なものであって、語彙の概念に於て、普通に称せらるる革命とは甚しい相違がある。
 此処に選定集録した数篇の論文は此見地に基く彼が熱血を注いだ平和論で殊にその中の幾篇かは日露戦争に対する彼一流な犀利な批評であって、我々にとって特に感慨深いものである。
 只甚だ遺憾なのは是以外なお多く興味饒[ゆた]かに、優秀卓越な論文があるけれど、彼の餘りに卒直真摯の言は既に本篇の母体たる杜翁全集刊行当時に於てすら官憲の許可するところとならなかったのだから、今日時勢も進歩したこととて或は復活再掲しても差支えなかろうとは信じたが、なお万一を懸念し、以前に危険と認められた分は悉く割愛し、発表の許可があったものだけに止めたことである。之偏に読者の宥恕を願う所以である。
  大正十三年二月

訳者


順番が逆だったかもしれませんが、それぞれの書籍へのリンクを再掲しておきます。

平民社訳

加藤直士訳

春秋社訳