20(2018.1)

 わたしたちはゆっくりと変質してゆく、うつりげではかない存在です。これからどこへむかいどんなふうになるのか、まだなにもわからない。明日の朝食さえわたしはまだ知らないわけですから、きっとそうやって、いつまでも答えのない道をすすんでゆく。かなしいとおもう、きもちも、およそ一瞬のものですね。忘れてしまうものですね。忘れることが成長することならわたしはほんとうは、もう成長などしなくていいとかんじます。でも母は、悲しくなくなることは忘れることとはちがうと、いいました。悲しくなくなっても、それは残りつづけるものだといいました。わたしはうれしかった。よかった、とこたえながら目をとじてねむりました。

 ひさしぶりの、錠剤なしの眠りでした。Nに、抱きしめられることがなくなってからのわたしは、リスミーを飲み、やわらかい短毛の密生したテディベアを腕にかかえて眠るようになりました。この大きな熊のぬいぐるみは、中学のとき、スーパーで買い物をするともらえるシールを、三十枚集めて交換したものです。学校の帰りに、親からのいいつけで買いだしをしていたので、ひと月ほどでたまりました。五人家族なので、食費がかさばるんです。熊は、座らせても五十センチメートル以上あります。立たせれば八十センチメートルほどでしょうか。以前は、うえから透明なビニール袋をかけて、テーブルに飾っていたのですが、このごろは子どもに戻ったみたいに、ふたりで眠っています。

 子どもじゃなくなったのです。わたしは。

 もう、二十歳をすぎたから、子どもと名のっては、いけないのでした。どうしてなのか、わからない。わたしはいつのまに、おとなになったのですか。あんなに、なりたくなかったものに、いつ、なったのでしょう。わたしは泣きたくなる。おとななんて、嫌いです。なにもわかっていないのに、わかったふりをされるのは、懲り懲りでした。このまえもわたしは、考えなしなことをいわれたけれど、黙ってほほえんでいました。おとなは、鈍感なので、わたしが傷ついた、といったところで、まさかそんなことで、とか、本気じゃなかったんだよ、あるいは、冗談が通じないなあ、というのです。だから、静かに笑っていたほうが、余計傷つかずに済みます。

 たしかに、どこかのだれかにくらべたらわたしは、冗談が通じないかもしれません。どこまでが冗談で、どこまでが本心なのか、うまく、みきわめられません。病院にもし、いったら、かんたんにわたしは『こころの病気』のどれかを診断されて、しまうとおもいます。たとえば、統合失調症や、うつです。そうやってラベルをつけられてしまえば、わたしが悩んでも、病気のせいなんだ、とみんなが納得しやすくなりますね。わたし自身も、安心するかもしれない。けれど、わたしは病気じゃないんです。わたしは、病名をつけられたいんじゃないんです。そうやって、分類されて、解決したことにされたいわけではないんです。わたしを病ませているものを、どうにかしてちいさくしたい。ちいさく、というより、なんというのかな。病ませているものと、一定の折りあいをつけたい。そのためには、なにをしたらいいのでしょう。

 他人がみんな、脳のなかまで、透明だったら、わたしは気楽でいいなあとおもいました。電車にのると、わたしは吐きそうです。ひとつの車両だけで、どれだけの数の、頭部があるのか、かんがえただけでわたしは怖い。みんなが生きているんですね。めいめいに、思い思いのことをめぐらしながら、生命活動を、おこなっていますね。スマートフォンの、液晶を指であやつっている。怖い。みんながみんな、そうしています。

 Nがいなくなって、わたしは、驚きました。はじめ、それは突然のことであったので、拍子ぬけさえしてしまいました。いつかは、かならずお別れすることになるだろうと、わたしは知っていました。予期していたことだったんです。でも、まさか今日がそうだとは思わなかったのでした。ひとりにしないで、とわたしは何度もいいました。いいながら、かならず、ひとりになるとわかっていたのです。なのに、今日とはおもっていなかった。変ですね。Nからの、連絡がとだえました。わたしたちはべつべつの大学に通っていたので、SNSでのやりとりが切れてから、めっきり会えなくなりました。Nが、どこにいったのか、わからないままわたしは待ちました。何日も、返信を。けれど、Nから返信はありませんでした。わたしは大学をやすみました。ベッドから、起きあがれなくなりました。排泄以外は、ずっと寝台のうえでした。母が、心配して料理をもってきてくれました。わたしは母に、Nのことをいえなかった。ただ、首に腕をまわして、泣きました。そうして泣いているといつまでも泣けそうな気がしたものです。事実、いつまでも泣きました。ひとりでいると、もう、なにをするにしても、無駄なような気がしました。なにをしたところで、Nは帰ってこないので、わたしは生きることも無駄だとおもって泣きました。死ぬのは、怖いけれどひとりで、生きつづけるのもよっぽど怖かったんです。ひとりで、のこり六十年近くの歳月を、Nなしで生きることを想像して悲鳴をあげました。

 もちろん、いまはそんなことはありません。そのときは、そうでした。

 ほんとうにひとが、ひとりになることは、ないのかもしれません。わたしのまわりには家族も、友人もいます。大切な、ひとびとですね。けれども、Nはかれらとは、まったく別の意味をわたしのなかで位置づけられていた存在だったんです。わたしには家族や友人にはいえないことが、たくさんあった。Nにはいえました。わたしは、Nはわたしを赦してくれるのではないかとおもいました。ぐちゃぐちゃで、汚れていて、醜くて、どうして、こんなふうになってしまったのか、自分でもわからない、こんな生き方しかできなかったわたしを、赦してくれるのではないかと、たったひとりの存在としてみていました。なのに、Nは去りました。Nが悪いんじゃありません。わたしは、神さまをうしなった心持でした。祭壇がからっぽになって、わたしを、かろうじてつなぎとめていた要素が瓦解しました。

 アタッチメントの対象、といえば、あなたがたは、すこしは理解しやすく、また、理解したふりをして、安心しやすくなるのでしょう。たしかに、Nを核にしてわたしは愛着を形成しようとしたようです。Nを核にしてわたしは教会の彫像をつくろうとこころみました。

 Nが、なぜ核に置かれたかといえば、きっかけがあったとおもいます。決定的な、瞬間です。わたしたちはならんで夜の新宿をあるいていました。まだわたしたちは恋仲ではありませんでした。そもそもわたしたちの出会いは、と、書いたところで、出会いを書くのはやめました。Nとわたしが邂逅した、その事実だけが重要でした。いつ、どこで、というのは、あまり、関係のないことでした。とにかくわたしたちはあるいていて、道の途中でした。くわえて、明かりの灯りすぎでなのか知りませんが、新宿の空は、真っ暗になることがありません。夜でも、灰色にけぶっています。そうやって朝でも夜でもない時間がえんえんとひきのばされているのです。わたしは、死ぬのがこわいと、いいました。新宿の、雑踏のなかで、ずいぶん物騒なことをいったものです。Nは、同意しました。そうだね。かなしい、といいました。わたしは、かなしい、という言葉が、ずっとじぶんがさがしていた返答のようにかんじました。そんなことないよ、でも、それでも生きていかなくてはダメだ、でも、仕方ないねえ、でもなく、ただかなしいといってくれればよかったのに、だれもいってくれなかった。わたしはNの、言葉がはなたれたばかりのくちもとを、咽喉のふくらみを、夜風にさらされて赤らんだ頬を、しばらくみていました。

 だれかに、会ったときにはもう一度おなじ質問をしてみたい。

 おなじ、答えをきいてみたい。そうすれば、NはまたべつのNにひきつがれてゆく、そんな気がします。でも、つがれてゆくだけで、くりかえし、わたしはひとりになるとおもいます。変えようのない、運命です。

 わたしはおとなにならなければならないと、いわれました。だれにかわからない。ひとりでもたれず生きることが立派な生きかただと、いわれました。だれにかわからないけれど、そのとおりでした。生きることは難しい、ことですね。きっとこんな出来事はありふれている。もっとたくさんの悲しみがこの世にはありますね。だから、わたしはこんなくだらない、感傷はすてて、生きていなくてはいけません。

 そうだね、といってくれたひとはもう居ない。わたしは、どんなにちっぽけといわれても、甘ったれているといわれても、やはり、かなしかったです。

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